エイプリルフール2010・ジャッカル編
「はぁ…憂鬱だ」
「まだ朝練も始まってませんよ? 桑原先輩?」
「ん〜〜〜…なぁんかこう気分がなぁ」
その日の立海男子テニス部部室では、中学を卒業した筈のジャッカル桑原と、テニス部マネージャーの竜崎桜乃が、まったりとした会話を交わしていた。
本来テニス部を引退している彼はもうここに来る義務はないのだが、休み期間中の卒業生は暇を持て余しているらしく、鈍った身体を鍛えなおす意味もあって他のレギュラー達もよく顔を出していた。
しかし、今日は何故か、ジャッカルにいつもの元気さがない。
普段から特に賑やかな人間でもないが、こうも目に見えて脱力しているのを見るのは珍しく、桜乃は煎れてあげたお茶をとん、と彼の目の前に置いてやりながら気遣った。
「御身体の調子が悪いなら、今日の特別指導は中止した方が…?」
「あーいや、そりゃ大丈夫。問題なのは体力じゃなくて精神力の方」
「精神力?」
「…」
更に疑問が深まってしまったらしい桜乃に、ジャッカルは机にうつ伏せたまま、ちょいちょいと壁に掛けられていたカレンダーを指差した。
「ん?…ん〜」
そう言えば、今日の日付は…
「…あっ」
「そういうコト」
四月一日、エイプリルフール…
日付を確認したところで、桜乃も何かに激しく納得した様に頷き、改めてジャッカルへと視線を向けた。
「…もしかして、もう被害に遭ったんですか?」
「いやまだだけど……今年は何度騙されるのかと思うとブルーでな」
「既に騙されること前提なんですね…」
本当に苦労しているんだなぁ…としみじみと同情していると、気を取り直す様に彼が勢いをつけて顔を上げる。
「ま、構えてたってしょうがないんだけどなぁ…ここまで来るともう全てを疑って掛かるしか…」
「寂しい人生ですよソレ」
桜乃が、やめておきませんか?と提案していたところで、ジャッカルの携帯が鳴り出した。
「ん?」
「あら、着信ですか?」
「みたいだな…お、丸井か」
着信を示す携帯の液晶画面に、予め登録していたらしい彼の相棒の名前が点滅している。
「はい、もしもし…丸井だろ?…え?」
こんな朝早くから電話だなんて、何の用かしら…と桜乃が何気なく傍観している間に、丸井の話を聞いていたジャッカルの顔色が一気に青ざめた。
「ほ、本当かそれ! 赤也が交通事故に!?」
「!?」
ざぁっと桜乃の顔色も変わったところで、ジャッカルの動揺も露な声が部室に響く。
「え、今病院にいるのか!? 病院の…手術室!?」
(あれ…?)
何だろう…今、何かが物凄く引っ掛かった気がする…
それの正体に気付いた時、桜乃はうろたえているジャッカルの手から、半ば強制的に携帯を取り上げていた。
「もしもし? 丸井先輩ですか?」
『…!? あ、あれ? おさげちゃん…?』
自分に相手が代わった途端に、向こうのこの慌てぶり…怪しい。
「切原先輩が事故に遭われたのなら、先ずはご両親に電話しないと…連絡、されました?」
『うっ…い、いや…』
「それに、手術室の前って…確か病院内では携帯使用は禁止されてましたよねぇ?」
『ぐっ…!』
「…丸井先輩〜?」
『……ちぇっ、伏兵がいたのか〜』
ばんっ
携帯の向こうから、残念…という口調の声が聞こえると同時に、部室のドアが開き、病院にいる筈だった丸井が立っていた。
「ま、丸井〜〜〜〜っ!?」
「よっす」
まんまと騙されかけたジャッカルは、けろっとした顔で入って来た相棒にようやく真実に気付いた様子で怒りだした。
「お前はまた下らない嘘を〜〜〜っ!!」
「途中までは良かったんだけどなぁ…おさげちゃんは流石に騙されなかったか」
「穴だらけですよ。嘘だとすぐに分かりましたからいいですけど、事故のネタはちょっと不謹慎です。ジャッカル先輩、愚痴は言いますけど、本当は切原先輩の事も凄く心配してるし可愛がってるんですから、そんな事言ったら胃に穴が開きますよ?」
「あー」
「『あー』ってお前な…竜崎も、今のはちょっと買いかぶりすぎだぞ」
桜乃のフォローもあって怒りを収めたらしいジャッカルに、丸井が思わせ振りな笑みを浮かべつつそうかそうかと一人で勝手に納得している。
「まー確かに赤也の奴の事はジャッカルも気にしてるしな。けど俺だってちゃーんと気を配ってはいるんだぜい? さっきのだって、もし赤也じゃなくてアンタの名前出して、傍に本人がいなかったら、それこそこいつ錯乱状態だった…」
「いらんコト言うな――――――っ!!」
それ以上の相棒の発言を怒声で止めると、息も荒くジャッカルは丸井の肩を引っつかんで部室の外へと強制的に同行させた。
「ほら来い! 他の部員の奴らもそろそろ来るからな」
「何だよい〜〜、お前の為を思って言ってやっただけじゃんか〜〜」
「ご近所の見合いババアみたいな余計な節介すんなっ!!」
浅黒い肌のお蔭で、桜乃には赤面している事実を知られずに済んだのはラッキーだった…と、ジャッカルが心から安堵する。
実は桜乃をかなり気に入っていたジャッカルだったが、これまでは先輩、後輩の枠に留まる付き合いだった。
もう自分も卒業してしまったし、高校に入るとなかなか会う機会はもてなくなるかもしれない…しかし、諦めきれるかと言えばそれも難しい。
こんなに好きなのに、諦めるなど…しかし、相手の気持ちも分からないのにこちらの想いを押し付けるというのもどうなのか?
テニスなら攻めも守りもかなりの自信はあるのだが、恋愛になると…おそらく自分はヘタレと呼ばれる属性になるのだろう。
「…ぶつかってくのも作戦のウチじゃね?」
「それなりの格好で言わないと様にならないぞ」
「ちぇー」
襟首を掴まれ、猫の様にぷらーんとぶら下げられながらの相棒の助言にも、彼は渋い顔でそう反論していた。
その日の部活中…
「…ん?」
何故か今日は、桜乃が自分の傍にぴたりとくっついている事が多い…
流石に懸想している相手のことなので、敏感にそれを感じたジャッカルは、汗を拭きながら隣にいる桜乃を見下ろしながら尋ねた。
「今日はよく傍で見るな…俺のプレーのデータか?」
「あ、データは皆さんのをちゃんと確認していますよ。それもありますけど…今日は桑原先輩のボディーガードも兼ねております」
くすくすと笑って、おどける様に言った少女に、ん?とジャッカルが眉を顰める。
ボディーガード? 俺より当然、華奢なコイツが?
「何だそれは? 俺に特別メニューでも何か用意されてるのか?」
笑いながら尋ねる先輩に、手持ちのノートを前に抱きながら桜乃が頷く。
「用意されてるじゃないですか、エイプリルフールが」
「ん?」
「私が傍にいたら、他の人達も少しは敬遠するでしょう? 二人で騙されたらそれはもう諦めるしかないですけど、それでも少しは気も楽ですよ」
「!」
「なーんて…実は、仁王先輩からの受け売りなんですけどね。『そんなに心配なら、お前さんが傍で見とったらええじゃろが』って…」
(……あいつらまさか…)
さり気なく視線を仲間達に移すと、何となく彼らがこちらに意識を向けている気がする…あくまで気がする程度なので問い詰める訳にもいかないが。
しかし、これは自分にとってはラッキーかもしれない。
「そ、そうか…有難うよ。確かにお前が傍にいたら安心だな、俺はどうも変なところで隙があるらしいから…」
「優しいんですよ、先輩は…高校に行ってしまわれたら、何だか心配です。苦労されてないかなーって」
「あーまぁ…苦労はするだろうな…そりゃ覚悟してるさ、うん」
軽く頭をかきながら、彼はふ、と桜乃へと視線を落とし、遠慮がちに尋ねてみた。
今しかないチャンスなら、それは活かすしかないだろう!
「心配…してくれてるのか?」
「それは勿論ですよ。先輩に何かあったらって思うと、とても心配です…学校、分かれてしまいますから、あまりお邪魔するのもいけないし」
「…じゃあ、俺が、さ」
「はい?」
「……俺が、もしお前に、傍にいてくれって言うのは、迷惑じゃないか?」
「え…」
何となく遠まわしな言い方になってしまったが、それでも気持ちを伝えようと、ジャッカルは懸命に言葉を探し、選び、紡いだ。
「エイプリルフールだけじゃなくてだな…俺のコト、傍にいて見ていてくれないか? 危なっかしいところもあると思うけど、お前がいてくれるなら安心だし…その代わり、お前のコトは俺が守るから、さ…」
「先輩…」
「…その、返事は急がなくていい、急だしな。けどまぁ良かったら…考えておいてくれ」
そう言い残し、自分がいることで変な押し付けにならないようにと、ジャッカルはさっさとその場から離れていった。
「……」
残された少女はノートを抱えたまま、頬を染めてそんな相手を見送っていた。
しかしその日の部活が終わる前には、始まった時と同じ様に、桜乃はジャッカルの後ろにぴったりと寄り添っており、そんな二人の姿はその後もコート内外問わずに見かけられるようになったという…
了
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