エイプリルフール2010・切原編


『そういう台詞なら、今度のエイプリルフールにでも言ってくれよ。そうしたら遠慮なく、俺も答えられるからさ』

「…アホじゃな」
「……」
 三月某日
 立海大附属中学二年生の切原赤也は、背後から突き刺さる先輩の言葉を黙って聞いていた。
 場所はテニス部部室、他の先輩達も揃った中で、切原はぶすっとふてくされた様子で左頬に保冷材を押し当てている。
 その保冷材から覗く頬の皮膚が真っ赤に腫れており、何らかの強い刺激が与えられたのだろう事を推測させた。
「ちょっと、配慮に欠けた発言でしたねぇ、切原君」
「お前もまぁ、耐えたんだとは思うがな」
 柳生とジャッカルの指摘に、今まで我慢していた鬱憤が遂に爆発したのか、そのくせっ毛の後輩が大声で訴えた。
「だってしょーがないじゃないッスか!! 何度も何度も断ってもしつこく食い下がって来るんスから! いーッスよ、これでもう二度と来ないでしょ、纏わりつかれるくらいならビンタ一発で済んだ方がよっぽどマシっす」
「今はいいかもしれないが、相手が何を吹聴するか分からないぞ。今更言っても詮無いことだが」
「柳先輩でも、あんだけしつこくされたら目ぇ開きたくなりますって、きっと!」
 ぶつぶつと不満げに切原が訴えているところに、そこの扉を開いて、マネージャーである竜崎桜乃が入室してきた。
「こんにちは…まぁ、先輩方お揃いで」
「やぁ、竜崎さん」
「今日も暇だったからさぁ、テニスやりに来たぜっ、シクヨロ!」
「はい! 宜しくお願いします」
 春休み前のこの時期では、引退した三年生は参加する義務はないが、元々テニスが好きだった事と仲間達との集まりを楽しんでいたこともあり、元レギュラー達は積極的に顔を見せていた。
 恒例になっていたので今更桜乃も特に驚かず、幸村や丸井に丁寧に挨拶を返していたのだが、ふと、こちらに背中を向け、膝を抱く形でパイプ椅子に座っている現部長に気がついた。
「切原部長? どうしたんですか?」
「……」
 聞こえている筈なのに、完全無視…
「? あのう…」
 もしかして、自分に何か落ち度が…?とうろたえたマネージャーに、元副部長の真田が気にするなと渋い顔で断り、仁王が爽やかな笑顔で代わりに理由を暴露した。
「『付き合ってくれ、はいと返事するまで諦めん』としつこかった女子に、『はいと言わせたいならエイプリルフールに言え』っちゅうて、鮮やかにビンタ喰らったんよ」
「わーっ!! わーっ!! わ――――っ!!!」
 先輩の暴露を止めつつ桜乃の耳に届かせまいと大声を上げた切原だったが、そんな小手先が通じる筈もなく、内容はしっかりばっちり聞こえてしまっていた。
「ええっ!? 部長、大丈夫ですか!?」
「わ、わ、だ、大丈夫だって、こっち来んな!」
 急いで自分の正面に駆け寄ってくるマネージャーに、切原がぶんぶんと手を振って寄らせないようにしたが、結局相手の熱意に勝てずに接近を許してしまう。
「うわ、真っ赤じゃないですか、どれだけ酷くぶたれたんですか…」
 保冷材の向こうに見える赤く腫れた頬に意識が集中している所為で、桜乃の顔が切原のそれとかなりの近さで接近する。
 しかも彼の顔を固定しようと、彼女の柔らかで細い指先が反対側の頬と顎に触れてきて、途端、切原は頬だけでなく、顔全体が真っ赤に赤面してきた。
「〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「…あれ? 切原部長、ぶたれたのって片方だけです? 何か、顔全体が赤くなって…」

(不憫なヤツ…)

 ここまであからさまな反応を見られておきながら、それで悉くスルーされるとは…と、先輩達が皆して切原に同情する。
 普通ならこの時点で切原が桜乃に対して恋心を抱いているのは明々白々…当人の桜乃にばれても当然、いや、寧ろばれない方がおかしいのだが…
 それに、桜乃も切原には特に懐いているようだし、互いの気持ちは向き合っているのだろうに、どうしてそこから互いに前に踏み出せないのか理解に苦しむ。
「その辺りで許してやってよ、竜崎さん。そろそろ彼の血圧がヤバイ事になりそうだからさ」
「はぁ…?」
 よく分からなかったものの、元部長の幸村の訴えに応じて桜乃が切原からようやく離れたが、相変わらず彼の赤面は続いていた。
「きっぱり断っても言い寄られるのは、確かに面倒だけどね…女心も分かってあげないと」
 尤もな事を述べる幸村に、少し不満げに切原が愚痴を零した。
「俺より幸村先輩の方が、よっぽどこういう災難に遭いそうッスけどね…経験ないんスか?」
「俺は幸いないなぁ…断るのは心苦しいけど、話せば分かってくれるから助かるよ」
 そんな幸村の相手のいなし方に興味が沸いたジャッカルが、軽く質問する。
「へぇー、すぐ引っ込む奴は別として、食い下がりそうな相手にはどう上手く断ってるんだ?」
「イヤ」
 瞬間、優しい笑顔の幸村の背後に、どんなに取り縋ろうともばっさりと切り捨てる非情のオーラが見えた…気がした。
「…って、きっぱり言った方がいい場合もあるよ」
「…………ふーん」
 聞くんじゃなかった…と激しく後悔しているジャッカルだけでなく、他の桜乃を除いた全員が青くなっている。
 きっと向こうは、食い下がる決意すらぼっきりと折られてしまったに違いない…
「俺にはそんな貫禄はないッスねー…」
 あんなオーラ背負い込むくらいなら、ビンタ喰らってた方が性に合っている…と、切原は早々に諦める意思を示し、保冷材を机上に置くと椅子から立ち上がった。
「さて、と…ちょっと部員達の集まりを見て来るッス。先輩方はもう少しここで休んでて下さいよ」
「あ、私も行きます、切原部長」
 部長の仕事を補佐するのもマネージャーの役目であり、桜乃はしっかりとそれを果たすべく彼の後についていった。
 外に出て、少し歩いたところでふいっと切原が桜乃の方へと振り返った。
「竜崎、俺のほっぺた、まだ赤いか?」
「え…? うーん、大分腫れは引いてますよ。よく見ないと分からない程度には」
「そか、それなら動いてりゃ十分誤魔化せるな…俺の自業自得だけど、女にぶたれた跡なんて、やっぱ格好いいもんじゃねぇからさ…」
「…」
「…な、何だよ、やっぱ目立つ?」
 じっとこちらを見つめてくる桜乃の視線に、切原が照れそうになるのを堪えて尋ねると、相手はすみませんと謝りながら目を逸らし、ぽつんと言った。
「エイプリルフール、まで…もう少しですよね」
「? ああ、そうだな」
「…」
「?? どうしたんだよ、いきなり黙っちまってさ」
 いつもと何となく違う雰囲気の少女に戸惑いながら切原がそちらを向くと、そこには何処か艶っぽさを感じさせる、瞳を微かに潤ませた彼女がいた。
「…っ!?」
 一瞬、普段とはまるで違う桜乃の姿を目の当たりにして、若者の歩みが止まる。
「…エイプリルフールなら…『はい』って言ってくれるんですか?」
「へ…っ?」
「…エイプリルフールなら…もし、私が告白しても…『はい』って、言ってくれるんです、か?」
「!!」
 どきぃ…っ!!
(え…ちょっ、待て、それって…!?)
 心臓が早鐘を打ち出し、その脈動が耳の奥で激しく響き出す。
(もしかして…こいつ…?)
 気をつけないと自分の心拍で相手の言葉を聞き漏らしてしまうかもしれない、と、奇妙な緊迫感の中で、切原はじっと桜乃へ視線を固定させながら、どう言葉を返そうか悩む。
 しかし彼が答える前に、再び桜乃が視線を逸らしたまま、恥らうように言った。
「…言っちゃおうかな、私…嘘でも『はい』って言ってもらえるなら…」
「っ!!」
 びく、と肩を震わせた若者の反応に気付いた少女が、慌てた様に手を振って断る。
「あ…っ! ぶ、ぶちませんよ? 私、ちゃんと分かってますし、ぶったりはしません…から、言ってもいいです…」
「ダメ!!」
「え…っ」
 全てを桜乃が言い終える前に、切原が思い切り、力一杯否定した。
 ダメだ、そんな事、絶対に許さない!!
「お前だけはぜってーダメ!! どんなに頼まれても俺は聞かねーぞ! だって…」
 勢いのまま桜乃の告白を止め、切原は切羽詰った様子で彼女の両肩をがしりと掴み、怒鳴るように告白していた。
「そんな事したら、嘘になっちまうだろ! 俺、俺はさ、お前なら本気で付き合いたいって…!」
「え…っ!?」
 本気で驚いている桜乃の顔を見て、若者がはっとようやく我に返る。
(だーっ!! 言っちまったーっ!)
 告白すること自体は問題ない、悔いもない!
 しかし、もうちょっと…折角の告白なんだからもうちょっとこう…色気と言うか雰囲気と言うものを大事にしたかった……今更遅いけど。
 我に返ったところで最早隠し立ても出来ず、誤魔化しも効かない。
 こうなったら最早開き直るしかないのかもしれない。
「…き、切原部長?」
 肩を掴まれたまま戸惑っている想い人に、頭を伏せてはぁと溜息をついていた切原は、腹を括って顔を上げた。
「あのさ、もうエイプリルフールとか待たなくてさ…冗談抜きで、恋人にならない? 俺ら」
「…!!」
「俺、結構マジなんだけど。こう見えて、本気で好きな奴は大事にするし、優しいんだぜ?」
「せんぱ、い…」
 震える声で呼んでくる桜乃に、若者が照れ臭そうに笑う。
「あー…オッケーなら、『先輩』じゃなくて名前で呼んでくれよ。そっちの方が恋人っぽいじゃん。俺も名前で呼びたいし、さ。桜乃」
「…は、い…赤也、さん」

 そしてその日から切原の求愛への断りの決め台詞は、適当な嘘や誤魔化しなどではなく、『すげぇ可愛い恋人が出来たから、他の奴を見てる暇なんかねぇ』という、本気のものになったのだった…





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