帝王とエイプリルフール


「竜崎桜乃様! 大変でございます!」
「はい?」
 その日の昼下がり、青学で春休み期間中の強化講習を真面目に受けた後、帰路につこうとしていた桜乃は、校門前に出たところでいきなり呼び止められた。
 自分は文句のつけようがない程の庶民であり、『様』などという敬称を付けられる様な立場でもない。
 一瞬、同姓同名の誰かがその場にいたのかと疑ったが、こちらに駆け寄って来た人物に気付き、やはり自分を呼んでいたのだと知った。
「あら…跡部さんの家の執事さん…」
 いつか彼の邸宅にお邪魔した時に会っていた、跡部家お抱えの執事だ。
 白髪が綺麗に整えられ、同様にびしっと糊の効いた黒のタキシードがよく似合っている。
 どうやら彼は車でここまで乗り付けてきたらしく、傍の道路には超高級車のロールスロイスが脇へ寄せて止められていた。
 同じく帰宅途中の生徒達の注目を浴びながら、桜乃は走り寄って来た執事に、顔を上げて尋ねた。
「こんにちは…あの、何か?」
「桜乃様! 景吾坊ちゃまが事故に遭われて大怪我を!」
「えっ!?」
 相手の突然の言葉に桜乃は思わず持っていた鞄を取り落としてしまったが、執事はそのまま話を続けた。
「現在は治療中ですが、ずっと貴女の事をお呼びになっていて…今すぐに来て頂けないでしょうか!?」
「わ、分かりました、行きます!!」
 相手が見ず知らずの人間であれば、流石の桜乃も誘拐など悪意のある思惑の可能性を考えただろうが、跡部家に長年仕える執事の言葉であれば話が違う。
 桜乃は二つ返事で相手に承諾の意を示し、そのまま車へと乗せられ、何処かへと運ばれていった。
「ど、何処の病院なんですか!? 跡部さんの容態は!?」
 実は桜乃は異なる学校の生徒でありながら、氷の帝王と呼ばれている俺様気質な氷帝の生徒会長に何故か気に入られ、何かと懇意にしてもらっていた。
 多少…かなり強引な処はあるが優しい一面もある若者に、桜乃も少なからず好意を寄せていたのだ。
 そんな相手が事故で大怪我をしたと聞いたら、誰でも冷静さを保ってはいられないだろう。
「申し訳ありません、詳しい話は私どもからは…」
 縋る様に尋ねる桜乃に曖昧な答えを返し、執事は彼女に落ち着くように促し、それから更に車は走り続けた。
 そして、やがて車が止まった場所は…病院ではなく、とある高層ビルだった。
 跡部の親が経営している会社のビルである。
「…え? 病院じゃ…」
「車で病院へ向かう時間がありませんので、ここからヘリで向かって頂きます」
「そんなに急ぐんですか!?」
 そんなに彼の容態は悪いのだろうか…と、桜乃は真っ青になり、よろけそうになるのを必死に耐えながらビルに入った。
 連れられるままにエレベーターに乗り、屋上へ向かうと、既にプロペラをばらばらと賑やかな音と共に回している最新鋭のヘリコプターが待機していた。
「乗って頂ければ、目的の場所までお運び致します。さぁ、どうぞ」
「は、はい…!」
 どうやら執事の案内はここまでらしい…が、到着した先がもう目的地なら、迷う事もないだろう。
 何より今はあの若者の事が気になるから、急がないと!と、桜乃は大急ぎでヘリに近づき、よいしょっと中へと乗り込んだ……ところで、
「よう、来たな」
 その座席には既に、ものすっごく元気な様子の跡部景吾本人が悠然と座っていた。
 しかも彼の前のテーブルにはたっぷりと豪華な料理の数々。

 ずざざ――――――――っ!!!

 思わずタラップに足を引っ掛け、加速度がついていたそのままに、桜乃は中で頭からスライディングする形で突っ込んでしまった。
「……」
 その様を見ていた跡部が、沈黙の後に一言。
「…ヘリに乗れて嬉しいからってスライディングするこたねぇだろ」
「びっくりして転んだんです――――――――っ!!」
 鼻の頭を赤くしてそこを押えながら、桜乃は涙目で訴えた。
「何処が大怪我してるんですか、ぴんぴんしてるじゃないですか〜〜〜〜っ!!」
「ああ、怪我の話か? ああ言やお前がすぐに来るだろうと思ってな」
 そりゃ、確かにすぐ来ましたけどね…
 全く悪びれている様子の無い相手に脱力するやら怒りが湧き上がるやら、混乱している桜乃を他所に、その相手の跡部は淡々と周りに命令を出していく。
「とにかく乗れ」
「はい?」
 先ずは、桜乃の身体を引き揚げて、しっかりとヘリの座席へと座らせ、
「ドア閉めろ」
「ふえ?」
 桜乃の見ている目の前で、がしゃっとドアが固く閉ざされ、
「よし出発」
「えええ!?」
 ばらばらばらばら…とヘリは無情にも上空へと飛び立ってしまった…桜乃を乗せたまま。
「あとべさああぁぁぁ〜〜〜っ!!」
「相変わらずうるせぇ女だなお前は…ちっとは落ち着け」
「そう言うんなら落ち着かせて下さいよう! 何なんですかこれ〜〜〜!!」
「ああん? ただのサプライズだ。今日はエイプリルフールだからな、騙すのも余興だろう?」
「エイプリル…って…」
 そう言えば、確かにそうだけど…
 半分納得しつつも、桜乃はやっぱり許せないと涙目でぶんぶんと手を振り回した。
「跡部さんが大怪我したって聞かされたこっちの身にもなって下さいっ! 本当に、本当に心配したんですから〜っ!」
「………」
 大慌てで、ヘリの中でスライディングをかます程に自分の身を案じて来てくれた少女の訴えに、珍しく跡部が反論しないまま口を閉ざす。
 今更ながらそこまで心配して来てくれた少女の心が帝王に伝わり…彼はいつもより柔らかな笑顔を浮かべると、ぐいと彼女の手を引いて抱き寄せた。
「ちょっ…」
「ああ、悪かった悪かった…手当てしてやるから機嫌直せ、ほら」
 ぺろっ…
「ふあ…っ」
 桜乃の赤くなった鼻の頭を、跡部の舌が優しく舐める。
 びく、と慄いた彼女の腰を捕えて離さず、跡部は何度も相手の鼻を舐め、キスを落とした。
「あ、とべさんっ…」
「無粋なヤツだな…誰にも邪魔されないこんな場所でぐらい、景吾って呼びな」
 取り敢えず、時間の許す限りは、お前をここから解放してやるつもりはねぇからな…?
 くく、と含み笑いと共に耳元で囁かれた言葉に、ぞくんと背中が震える。
「俺を心配してくれたお前の為だけにここまでお膳立てしたんだ…最後まで付き合ってもらうぜ? 桜乃…」
「…も、もうっ」
 それからヘリの滞空時間の限界まで、桜乃は跡部と空中デートを楽しみ…ヘリが再び着陸を果たしたその後も、結局一日、帝王との逢瀬は続いたのだった…






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