妹のプロデュース?
「まだダメだな…作り直せ」
「は、はいっ」
その日、跡部の部屋には数人のスーツを着た男性達が、やけに緊張した面持ちで彼の座る執務机の前に並んで立っていた。
机の上に置かれているのは白い陶器の平皿…の上に乗せられている一口大のチョコレート。
跡部の家は国内…いや、世界的にも有名な大富豪であり、その経営内容は多岐に渡る。
建設や鉄鋼は言うに及ばず、最近は食品関係も手広くやっており、採算は上々の様だ。
実は今日は、新製品として売り出すチョコレートの味見の為に、プロジェクトの関係者達が揃って跡部の許に訪れていたのだ。
何故、跡部なのかと言うと理由は二つある。
一つは、彼の両親は殆ど国内にいないので、彼が国内の仕事の内容の確認を行っている準責任者という立場であること。
そしてもう一つは、彼の味覚は常に上質の食事を口にしていただけあり、かなり鋭敏なものであったという事だ。
つまりプロジェクトチームは、この若者の舌を納得させる程の出来でないと、商品としては売り出せないのだった。
そして今日は三度目の挑戦だったのだが…敢え無く撃沈。
再びの計画の見直しを要求された男達は、少なからず落胆した様子で部屋から退室していった。
その帰り道の廊下で、彼らは二人の学生と擦れ違った。
「参ったな、またダメだったか…」
「若様は妥協をなさらないからな…」
「その分、オーケーが出たら先ず黒字は間違いないと安心出来るが…どうしたもんか」
男達の会話にぴくんと聞き耳を立てたのは、氷帝学園の学生服を着た女子と男子。
女子は長いおさげをしており、男子の方は眼鏡をかけていた。
「何やろなぁ」
「何でしょうねぇ」
呑気にそう言った二人は、去っていく男達の背中を見送った後に…再び前を向いて、向かっていた跡部の部屋へと到着した。
「跡部」
『忍足か? 入れ』
ノックと一緒に呼びかけると、すぐに返事が返って来る。
そして二人が入室すると、跡部は彼らを見て…すっと表情を打ち消した。
「桜乃…?」
「えへへ、来ちゃった、景吾お兄様!」
毎日会っている身内だが、相変わらずお兄ちゃん大好きっ子の桜乃は、まるで久し振りに会ったかの様に兄の跡部に抱きついていった。
それを払うこともなく、そのまま抱きとめてやった跡部は、彼女に優しい瞳を向けた後…一転、冷えたそれを忍足に向けた。
「…二人っきりで来たのか」
「やましい事はしとらんて…」
妹同様に、兄もまた桜乃の事を溺愛している事を知っている忍足は、やれやれと呆れた様に目を伏せて断った。
一緒に会社に来ただけでこれだけ警戒されるのだから、この娘の恋愛は前途多難だろう。
「どーしてもお兄様の働く会社が見たい言うさかい連れて来たんや、お礼の一つも言うてくれてもええんと…」
「おい、すぐに紅茶と来客用のケーキを持ってこい」
「人の話を聞かんかい」
忍足の主張はフルシカト状態で、跡部は机上の電話機の内線を使って早速妹歓迎の準備を整えようとしていた。
その向こうで、桜乃は超高層ビルの最上階からの贅沢な眺めをガラス越しに楽しんでいた。
「きゃ〜〜、凄く良い眺め!」
「全く…他の客がいる前じゃ、そんなはしたない真似するんじゃねぇぞ」
「はーい」
睦まじい兄妹の様子を見て嘆息しつつ、忍足は先程の記憶を掘り起こし、跡部に尋ねた。
「さっき擦れ違った人ら、随分と疲れきっとる様子やったで。何か煮詰まってんのか?」
「ああ、あいつらか…」
それから跡部は簡単に事の経緯を説明してやり、ふぅと息を一つついた。
「あれでも利益は狙えると思うが…どうもインパクトに欠けててな…」
「自分満足させられるモンなんて、そこらで売っとる奴とは比べ物にもならんやろ。使う物の差も考えんと」
「ああ、分かっている…」
こういう時には、生来の完璧主義は厄介なものだな…と髪をかき上げて跡部が言ったところで、事務の女性が紅茶とケーキを運んで来た。
「ま、そんな話はいいだろう。折角だ、くつろいでいけ」
「わぁ、美味しそう」
「おおきに…ついでに、その菓子は何処で試作品作っとんの?」
「ウチの会社の七階に専用フロアーがあるからそこでやっている筈だ」
「ふーん、ヨソじゃなくてこの会社内でやっとんの。気合入っとるなぁ」
そんな雑談を交わしながら、三人は暫く楽しいティータイムを過ごしていた。
その帰り…
「…桜乃ちゃん、ちょっと付き合うてくれへん?」
「ええと、そう誘われたら即座に断れとお兄様から言われてます」
「いや、そういう意味の付き合えとちゃうねんけどな」
流石、跡部…既にそこまで教育は徹底しているのか…
「ちょっと一緒に行ってほしいトコがあるんや」
「?」
そう言って、忍足が会社内のエレベーターに乗って押したボタンは、7の文字が記されていた…
数日後…
「若様、ご試食願います」
再び、プロジェクトチームは試作品を皿に載せた状態で、跡部の許に運んでいた。
「ああ、この間のヤツだな…少しは改善が見込めたか」
「はぁ…その」
その時、代表者の一人はこれから自分が言う筈の言葉に多少の疑念を抱いていた。
あの日、セキュリティーブロック前からインターホン越しに話し掛けてきた学生はこれまでもこの会社内で見かけた事があった。
若様の親友だからこそ、このセキュリティー万全の社内にも入れるのだろうが…
しかし今日この時になれば、この台詞を言えとあの眼鏡をかけた若様の親友から言われたものの、本当にこれで上手くいくのだろうか…?
「? どうした?」
続きを促す跡部に、代表者は意を決して続けた。
「…あれから、一人アドバイザーを加えまして、そのお方の意見を参考に作成致しました」
「アドバイザー?」
「はい、この商品は元々ターゲットの客層は若い女性が主でしたから、同年代の方に意見を伺えばよりニーズに応えられると思い…」
「アンケートでも行ったのか? とてもそんな時間は無かった筈だが」
訝る上司に、男はいいえと答え、付け加えた。
「若様のお力になれるのなら是非とも、と、妹君の桜乃様が味と食感について色々とアドバイスを下さいまして…」
「!!」
跡部にとっては何より強烈なインパクト。
それから彼は忙しない動きで試作品を口に入れ…速効でオーケーを出した。
暫く後…
「これさぁ、跡部の会社が監修して作ってるんだろ?」
「結構人気なんですよ。味も上々で」
学園内で、向日と鳳が話題にしていたのは、例の試作品が無事に商品となり、出回ったもののパッケージだった。
「ふーん、流石じゃん。まーた株も上がるかこれで」
「その所為か、跡部さんも最近は機嫌がいいですからね」
和気藹々とそんな事を話している親友達の横では、忍足が無言で文庫本を読んでいた。
(そりゃなぁ…機嫌も良くなるやろ、妹がプロデュースしたモンが好評なんやから…)
元々、品質にはこだわりのある跡部ブランドともなれば、大体の人間は満足させるコトが出来るだろう。
それにちょっと見学していた自分から見ても、桜乃のチームへのアドバイスは的を得ていたものだったし…あれで不味くなる筈がない。
(ま、ええ方向へ向かったんなら良しとしよか)
実は一番の立役者だった曲者は、これで当分厳格な部長の上機嫌は確保出来た…とこっそりとほくそ笑んでいた。
了
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