検閲チェックは兄の愛情
「景吾お兄様、チョコです!」
「ん?」
その日は年に一度のバレンタインデー。
日本に於いては、チョコが最も売れる一大イベントである。
氷帝学園で最も人気がある男子である跡部景吾もまた、そのイベントの恩恵を受ける類に入っており、毎年この日はトラックを準備しないと受け取るプレゼントを持ち帰るコトが出来ないのだった。
そんな彼が、今年のバレンタインデーに起き出して食堂に向かうと、そこに先に来ていた妹である桜乃から、早速チョコを進呈された。
白い化粧箱に赤いリボン。
シンプルだが、だからこそ贈り手のセンスが粋に光る。
「日本では、女の人が好きな人に贈るんですよね、チョコ! だから私からお兄様にプレゼントです、手作りなんですよ?」
「ほう…」
普段は「氷の帝王」と評される程に冷酷な一面を持つ跡部も、可愛い妹である桜乃には非常に甘く、誰より何より彼女のことを大事に思っている。
そんな大切な妹から、早朝から早速心のこもった贈り物を受け取り、跡部はあからさまには見せないが上機嫌で相手に応えた。
「朝からやたら元気だと思っていたが、そういうコトか。ま、多少色っぽさには欠けるが、お前らしい元気な贈り方だ。有難く受け取るぜ?」
「お兄様には、私が一番であげたかったんです! ちゃんと食べて下さいね? お友達の方にあげたらイヤですよ?」
「わかったわかった」
内心は、そこまで熱烈な台詞を言われて(誰がやるか!)という心情だったのだが、それは口には出さない。
なかなか素直な言葉を言えない難儀な性格なのだ。
「…で?」
上機嫌になったところで、席についた兄は、さりげなく妹に尋ねた。
「俺以外に、誰か他にチョコをあげる奴はいねぇのか?」
そこで跡部が期待していた答えは、
『えー、いませんよ』
という否定の言葉だったのだが…
「えへ……実は準備してます」
「!」
跡部の目前で、少女はテーブルの下に置かれて死角になっていた紙袋から、似たような箱を取り出したのである。
(なにぃ!?)
いつの間にそんな相手が…っ!
「桜乃っ! そいつは、跡部家に…お前にふさわしい奴なんだろうな…っ!?」
糾弾の言葉を荒々しく吐き出しかけた跡部の目の前で、桜乃はその箱を持ったままととっと食堂の壁の方へと小走りに駆けてゆくと…
「はい、じいやさん!」
「はい?」
そこに控えていたロマンスグレーの優しい顔立ちの執事に、チョコを差し出した。
「じいやさんには、いつもお世話になってますから! どうぞ受け取って下さい!」
「よ、よろしいのですか? 私めなどに…桜乃お嬢様」
「勿論です! ね? お兄様!」
「ああもう、好きにしろ…」
不意打ちを食らって感動してしまった跡部が、くっと口元を手で隠す。
来月のホワイトデー…こいつへの予算は大幅に上乗せしてやろう…
感動したのは跡部のみにあらず…
「あ、有難き幸せでございます、桜乃お嬢様、景吾坊ちゃま。私はここで執事として働けることを嬉しく思います」
「そ、そんな、当然のことですよう」
「ああ、じいには小さい頃から世話になっているからな。これからも身体を大事にして、俺達を助けてくれ。よろしく頼む」
その日、跡部家の子息と令嬢は、図らずも屋敷の全ての使用人に改めて心からの忠誠を誓わせ、味方につけたのだった。
そして登校後の氷帝学園にて…
「お兄様のお友達の皆様にも、ハッピーバレンタインです!」
『おお〜〜』
桜乃は、昼間のテラスに集まっていた跡部とテニス部レギュラー達の処へと訪れ、彼らにも同じくチョコを進呈していた。
「わ、くれんの? サンキュ!」
「頂きます、桜乃さん。わざわざ有り難うございます」
「おおきに」
向日や鳳、忍足達が揃って喜びの声を上げながら桜乃からの贈り物を受け取り、他の男達も好ましい表情で同じくそれらを手にして微笑んだ。
「嬉しいけどさ〜〜、よく跡部が許したよね〜〜…」
まだ少し寝ぼけ眼の芥川が言った一言に、一年後輩である日吉も同感だと頷いた。
「…確かに少々意外ですね…妹君のこういう行動は止めると思っていましたが」
「お前等相手に、そこまで心は狭くねぇよ」
ふん、と鼻を鳴らして跡部はそう言い放ったのだが、続けて、
「…まぁ、しっかり俺様直々に検閲は済ませておいたからな」
と、微妙に心が狭い発言。
『…………』
「…途端に有難みが薄れるな」
じーっと渡されたチョコを見つめてぽつりと宍戸が呟いた。
まぁ、感謝の気持ちも尊ぶべきものだし、嬉しいと思う気持ちにも偽りはないが。
「でもさぁ、相変わらずこの調子じゃあ桜乃ちゃんが恋人持つのは先だよなー」
そんな台詞を向日が言っている側で、不意に桜乃がポケットに入れていた携帯が振動を始めたのに気づいて、通話に応じた。
「もしもし?……あ、届いたんですね、チョコ!」
『っ!!』
兄の跡部の検閲を逃れたらしいチョコが、まだ存在していた!?
跡部が硬直して桜乃の通話を見守る中で、同じく他の男達も驚愕して少女を見つめた。
「ど、どういうコト? 他にチョコ貰えそうな奴に覚えある!? 侑士?」
「いや…そんな奴、聞いたことないけど…」
彼らの困惑を余所に、桜乃は楽しそうに無邪気に微笑みながら相手と会話を続けていた。
「美味しかったですか? よかった! 喜んでもらおうと思って、凄く頑張ったんです。気に入ってくれて嬉しい…」
「………」
既に、跡部の目が据わって、殺気が周囲に漲りつつある。
景吾お兄様…完全にご立腹モード発動!
10…9…8…7…
「ひ―――――っ!!」
「カウントダウン入りましたーっ!!」
「待避、待避―――――っ!!」
きゃーっと仲間達がおののく向こうで、桜乃は相変わらず緊張感の欠片もなく、朗らかに会話を楽しんでいた。
「はい…私も凄く寂しいですけど、我慢します。景吾お兄様も一緒ですもの…はい…」
そういうコトを言われても、この場合は全くもって嬉しくない!!
「そんじょそこらの野郎が俺様の妹を寂しがらせて、許すと思ってんのか? ああん…?」
最早、呟かれた台詞そのものに呪詛が掛かっているかの様だ…カウントダウンも、既に5を切っている。
「寒いっ! 寒いよ、お父っつぁん!!」
「何で俺らがこんな目に―――っ!?」
「知らねー! もうどうなっても知らねーかんな俺っ!!」
そして彼らの恐怖が最高潮に達した時、タイミングよく桜乃の通話も終わりを告げた。
「じゃあ、お暇が出来たらすぐに戻ってきて下さいね…お父様!」
「許す」
瞬間、跡部の殺気が霧散。
「カウントダウン、解除されました―――――っ!!」
「ああもうやだっ! こんな生活ー!!」
鳳と日吉が抱き合いながら複雑な心境で喜ぶ中、三年生一同はぐったりと脱力していたが、そんな彼らは完全に無視で跡部が桜乃に話しかけていた。
「…向こうで何か変わりがあったのか?」
「お父様もお母様も、まだ相変わらず忙しくて日本には帰って来られないって…兄妹で仲良く助け合いなさいって」
「ふん…それなら言われるまでもねぇだろう。お前に関しちゃ、俺はいつでも最大限に気にかけているつもりだぜ?」
「うふふ…有難うございます、景吾お兄様」
(それに「お友達のコトも大事にしなさい」って付け加えてくれないかなぁ、ご両親!!)
いや、大事にされてはいますけど、こういうとばっちりのせいでかなり心労が溜まっています。
改めてもらえると、自分達、すっごく助かるんですけど!
(って言えたらいいなぁ…)
結局、その要望が声として出されることはなく、それからも特に桜乃の交友関係で問題が生じることもなく、バレンタインデーは無事に過ぎていったのだった…
了
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