神々の集い(中編)


 それからすぐに、幸は妖達全員に、桜を同行させる旨を伝えた。
「え――――――っ!!?? 絶対やだっ!!」
「危ないっすよ、幾ら何でも!!」
 その決定に、先ず飛んできたのは文太と赤也の反対だった。
「私も同じ思いである事は事実ですが…星を観る限りではこれが最良の道と出たのです」
「柳生の星見はそうそう外れん。何かの理由があるんは間違いないのう」
 柳生と仁王が続けてそう言ったが、最初の二人の意見はやはり同じ。
「集いには相応に強い奴が行かなきゃ…姫みたいにか弱い奴が行ったらすぐに食われちゃうじゃんか!」
「万が一のことがあったら…姫、戻ってこれなくなるッスよ!」
 不吉な言葉を述べる二人の様子に、同席していた桜は何のことやら分からず、きょろきょろと辺りの妖達を見回した。
「あ、あのう…そんなに集いに行くのは危険な事なんですか…?」
「…正直に言うとな」
 ふぅと溜息をついた悉伽羅は、桜の質問に正直に答えることにした。
 もし本当に彼女が向かう事になった場合、下手な気休めが寧ろ相手の心に深い傷を残す事になると思ったからだ。
「神々は、確かに天意の招きに従い、この世のものではない荘厳なる殿に入るんだが…そこに至るまでが厄介なんだ。天意の許ってのは、現世の奴らにとっては言わば極楽浄土にも等しい場所。だから、そこに至ろうとするまでの道には、成仏出来なかった亡者や魑魅魍魎達が無限にひしめき合っているのさ」
 その言葉を聞き、ぞわっと桜の全身に鳥肌が立つ。
 更に、そこに蓮の言葉が続いた。
「それに、神々と言っても全てが善い神とは限らない。中には人を喰らい、神を喰らい、世の混沌を招く邪神、悪神もいる…彼らに傅く妖達はほぼ例外なく小賢しく獰猛でな…他の神々の妖すらも喰らおうとするのだよ」
「そんな神まで呼ばれるのですか!?」
「世は一極では成り立たない…」
 姫の驚きに、弦がひそりと諭すような口調で返す。
「善と悪、男と女、陰と陽…天意はその全てを司る存在だ。だからこそ、善神のみを招くという事はなさらぬのだ。それに道を敢えて混沌のままにするのも、招く神々の力を試すが故。力なき神、守れぬ妖などが世に溢れては、それだけで人の世は乱れる事になる。天意に招かれるという事はな、桜姫、神々にとっても試練なのだ」
「試練…」
 知らなかった…と、幸を見る桜は、相手がいつもの様に優しく微笑む姿を見て、心が痛むのを感じた。
 そんな場所へ赴こうとしているのに、この御方はいつもと変わりなく笑っていらっしゃる。
「幸様…」
「吾としては柳生の言葉を信じて連れていきたいのだけれど…姫が拒むならそれでもいい」
「無論、吾らとて無慈悲にお前を放るつもりはない…魑魅魍魎どもからは出来うる限りで守ろう」
 幸に続き、弦も力強い宣言をする様子を受け、赤也が蓮に尋ねた。
「じゃあ、今度行くのは幸主と弦主と桜姫の三人だけなんすか?」
「天意の御意向だ…幸には二人の妖を付ける事が許された。吾も行きたいところだが、やはり幸を守る力を考えると、弦には劣る」
 そこまでで、全員の発言は一度途切れ、概要の説明は終了する形となり、妖達の視線は肝心の桜姫へと向けられた。
 幸が彼女の自由意志を認めた事により、彼女の一存で全ては決まる…
「幸様、弦様…」
 桜は、先ずこの二人に視線を移し…それを柳生へと向ける。
 そもそもの発端は、彼が星を観た事によるものだ。
 正直、何の役にも立たない自分が、どうしてそんな修羅場へ弦と幸の足を引っ張るような形で行く事になるのか…分からない。
 しかも、下手をしたら己の存在自身も危ういものとなるらしい。
 そろそろと見えない恐怖が足元に忍び寄る様な感覚を覚えながら、桜乃は自分でも思いがけず、柳生へと声を掛けていた。
「柳生様…一つだけ」
「はい」
「……私が赴くことで、お二方に危険が及ぶ事は…? 私だけではなく、弦様と幸様に不幸が訪れる可能性は…見えたのでしょうか?」
「凶事を読み取っていたら、私は此度の事、進言は致しません。少なくとも幸の力なら、災いは振り払えるでしょう…但し」
「…」
「確かに往く道は平坦なものではない…幸が無事でも、それが貴女の無事に繋がる訳ではありません。桜姫、どうかお忘れなき様…神が妖を助けるのではない、妖が神を守るのです」
 主従の理を忘れない様に釘を刺した柳生の言葉に、姫よりも寧ろ他の妖が動揺を示した。
「や、やっぱりやめとけよい、姫。俺が代わりに行くって、その方が絶対に安全だから、お前は此処で待ってた方が…」
「……いいえ」
 文太の忠告に、しかし桜は否定の意を示すと、真っ直ぐに幸の瞳を見据えた。
「…柳生様の星見が示したというならば、私はそれに従います。私の存在がお二方の災いにならないのなら…私が行く事で幸様のお役に立てるなら…それは私の役目です」
「…来るのだね」
「はい」
 柔らかな言葉で姫の覚悟を確認すると、幸はゆっくりと頷いた。
「いいよ、ではおいで」
 まだ不安を消せない妖達もいたが、彼らの神の言葉が全てを決めた。
 彼が決めた以上、妖達はそれに従わなければならない。
「……出立は明朝…明けの明星が見える頃になれば道が開く。姫、心の準備をしておいで」
「はい」
 幸から促された姫が静々とその間から出て行った後、どうにも黙っていられなくなった赤也が弦へ迫った。
「弦主! 絶対に姫を守って下さいよね!? 弦主ならどんだけ傷ついても死なないでしょうけど、姫はめっちゃくちゃか弱いんですからっ!」
「その発言に他意がある様な気がするのは吾の気のせいか…?」
 むすっとした彼の傍で暫く静かにしていた幸は、ゆっくりと自らの右手を上げてわきわきと動かし、虚空を見つめながらぼそりと呟いた。
「…暴力嫌いなんだけど…まぁ仕方ないよね」

『………』

 しん…とした妖達の中で、蓮が弦にぼそぼそと小さく…しかし明らかに危機感を持った口調で囁いていた。
『頼むぞ弦…っ! この際お前達に向かってくる自業自得な輩はどうでもいいが、絶対に巻き添えは作らぬ様にっ!!』
『む…難しいが努力しよう…』
 珍しく、弦の口調も不安を滲ませたものだった……


 翌朝…
「じゃ、じゃあ、行って来ますね」
「気をつけて行くんだぞい、姫〜〜」
「何かあったら、弦主を盾にして逃げろよ」
「帰って来たら覚えておけよ、赤也…」
 他の妖達に見送られる形で、桜は再び幸の間に来ていた。
 それは或る意味、死出の旅路になるやもしれない重大な出来事だった筈なのだが…
「…で、何でそんなに荷物が…」
「お、おべんと作りすぎちゃってぇ…」
 わさっと幾重もの重箱を抱えた姫に、呆れた蓮が忠告した。
「置いていけ…それこそ足手まといになるぞ」
「そ、そうですか…」
「いいよ、半分ぐらいなら。折角作ってくれたんだし姫の心遣いを無駄にするのも心苦しい」
 幸の一言で、桜はそれでも結構な数の箱を抱えていくことになったが、そんな娘にこっそりと仁王が声を掛けた。
「姫、これを持って行きんしゃい」
「はい?」
 声を掛けるだけではなく、彼は何か棒状の物を包んだ絹の袋を相手の懐に差し入れた。
「何ですか?」
「懐刀じゃ…念の為に、守り刀としてお前さんに預けとく。幸の牙を削って作ったものじゃからの、そこらの妖達にも十分威力はあるじゃろ」
 勿論、今の人の姿をした幸のではなく、竜に変じた時の牙の意味だろう。
「幸様の…」
「何に使うこともなく済めばいいんじゃが…まぁお守り代わりじゃよ。ついて行けん俺達の代わりじゃ」
「はい…お借りします」
 相手の心を受け取り、礼を述べた後、桜は弦と幸の方へと近づく。
 二人の様子からその時が近いと彼女も悟り、彼らのすぐ傍に来たところで、蓮がひそ、と言った。
「……道が開く」
 刹那
 三人の目前の空間があり得ない形で歪んでゆき、そこに人の背丈程の真っ黒な球体が顕れた。
 それは真っ黒な鞠の様にほぼ完全な球体だったが、それと自分達がいる空間との境界線は、微妙に陽炎の如く揺らいでいる。
 この向こうに何があるのかは、こちらから見る限りでは全く伺い知る事は出来ない。
 急な出来事だったので桜は思わず足を引いてしまったが、それきり、道の入り口らしい球体には変化はなく、ただ、客が来る事を待っているかの様だった…とても静かに。
 この中に、自分達は入るのだろうか…?
 そんな娘の疑問に答えるように、幸は弦に声を掛けた。
「じゃあ弦、宜しくね」
「うむ…まぁ容赦なく斬り捨てろというなら、吾にとってこれ程楽なものはない…その為に生まれてきたようなものだからな」
 非常に心強い言葉を述べた男だったが、しかし桜へと向ける視線はやはり不安の色を含む。
「姫、くれぐれも吾らの傍から離れるな…道の途中には様々な脇道もあり、そこに巣食う魑魅魍魎は、一度捕えた獲物は絶対に離さんのだ。相応の力がある妖達ですらも、奴らに捕えられたら只では済まぬ…いいな、決して他の道には足を踏み入れるな」
「…その道は何処かへ繋がっているのですか?」
 彼女の問いに、幸がうーんと小さく唸りながら答える。
「一応天意の導く先に繋がっているものもあるけど…違う世界に繋がっていたりもするよ。ただ吾らとはぐれてしまうからね、あの地は霊力がとにかく強いから吾の神通力でもなかなか探し出すのは容易じゃない…地面にも道が隠れている場合もあるから吾等の歩いた道からも外れないでね。もしものことがあれば、多分、はぐれている間に何処かの妖にぱくんと…」
「〜〜〜〜〜!!」
「だから、はぐれないようにね」
「は、はいっ」
「桜姫、お前は幸の傍にいろ。吾は太刀を揮わねばならんからな、怪我をさせるやもしれん」
 弦の忠告を最後に、いよいよ彼ら三人は球体の奥へと足を踏み出した。
 最初は幸の通る道の露払いをする為に弦が…そして、幸と並ぶ形で桜もまた前へと歩いてゆく。
 彼らが呑み込まれる様を他の妖達は全員無言で見守っていたが、三人が道の入り口の闇に包まれてしまうと、その視線の行き先も失われる。
 そうしている内に、彼らを受け入れた事を認識したかの様に闇色の球体が見る見るうちに萎んでゆくと、その存在は三人を呑み込んだまま完全に消え去り、そこには元の景色だけが残った。
「…行ったな」
 見届けた蓮は、割と冷静に彼らの出立を受け入れていたが、文太や赤也は依然暗い表情のままだった。
「ううう…不安だ〜」
「弦主が一緒なら、余程のことがなければ大丈夫だと思うけど…やっぱ心配っすね」
「しょうがないだろ。後はあいつらが帰って来るのを待つだけさ」
 自分達が騒いでも仕方のないことであれば、後は腹を括って彼らの帰りを待つしかない、と悉伽羅が前向きな発言をして、それには柳生や仁王も頷いて同意を示した。
「そういう事じゃ。今回は俺らは見守るしかないんよ」
「ここで立っていても仕方ありません…戻りましょう」
 二人の言葉に、文太達も逆らう理由もなく引き上げようと動き出す。
「うう〜〜、大丈夫かなぁ…」
 そう言いながら宮へと戻ってゆく文太だったのだが、その背後から彼を見守る他の妖達は一様に冷えた視線を送っていた。
「本当に心配してんのか? あいつは」
「まぁ本能じゃろ、あれはもう」
 そんな彼らの見る文太は、心配だ心配だと言いながらも、桜姫が置いていったおべんとの一部をしっかりと両腕に抱えていた……



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