着信ナンバー


「あれ? あのストラップ…」
 ある日の帰宅途中でのこと、立海大附属中学三年生の幸村精市は、とある店の前で足を止めた。
 そこは何処にでもある様な、ごく普通の小物などを売っている店で、店頭には客の目を引くように、携帯のストラップがずらりと揃えられている。
 店内では同じ立海の生徒と思しき女子が数人、グループで固まって品物を眺めていた。
 中に入らずともそれを知る事が出来たのは、店の壁がガラス張りだったからだ。
 店内にも複数の品物がある事は容易に予想は出来たものの、幸村はその中には入らず、店頭の陳列棚の前に留まっている。
 彼が目を留め、続けて手を伸ばしたのは、およそ男性が付けるにはそぐわないウサギのミニキャラのストラップ。
 巷で最近有名なマスコットキャラで、関連商品も多数発売されているらしいが、彼が目を留めたのはその話題性に拠るものではなかった。
(…これ、確か竜崎さんが好きだったな)
 彼が思いだしているのは、自分とは異なる学校の中学一年生である少女、竜崎桜乃。
 幸村と同じようにテニスを愛し、その上達の為に立海にもよく来てくれる彼女は、実は彼にとってはテニスを通じての先輩後輩以上の存在になっていた。
 とは言え、今はまだその気持ちは彼の心の中で留められているのだが。
「……」
 幸村は暫く無言でそのストラップを指先で弄びながら、大きさや重さを確かめていたが、やがて自身の携帯を取り出して画面を開くと、手早く登録していた誰かの電話番号を呼び出し、発信ボタンを押した。
(同じ物を持っているところは見たことないけど、聞いてみてもいいかな…ついでってコトで声も聞けるし)
 しかし数回の呼び出し音の後で聞こえてきたのは…
『お客様がお掛けになった電話番号は現在使われておりません…』
というつれないメッセージだった。
「…え?」
 嘘…そんな筈ない…これまでも何度も繋がっていたじゃないか…
 何かの間違いだと思い、一度切って再度掛けてみても、結果は全く同じだった。
「…?」
 それでもどうしても信じられなくて、彼は今度は登録された番号ではなく、記憶にあった番号を直接打ち込んでみる。
 無意味な行動だということも理解していたが、出来うることは全て試してみたかったのだ。
『お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません…』
「……」
 万事休す…と言うのだろうか、この状況を。
 今生の別れというものでもなく、次に立海に彼女が来た時にでも理由を尋ねたら済む話であるのに、若者は酷い心細さを覚えた。
 見えなくても相手と繋がっていた一つの糸がぷっつりと途切れてしまった様だ…
 らしくもなく、途方に暮れた顔をして携帯を持った手を下ろしかけた時だった。
 RRRRR…RRRRR…
「!」
 絶妙のタイミングでそれが鳴り出し、幸村は、はっと驚きながらも着信ナンバーを確認した。
 全く知らない番号…
 しかし、まだコールをしている以上悪戯とも思えず、とりあえずは通話ボタンを押して耳元に運んでみた。
「…もしもし?」
『もしもし? すみません、幸村さん…ですか?』
「竜崎さん!?」
 何度も繋げようとしては失敗していた相手との回線が図らずも向こうから繋げられた事で、若者はつい大声を出してしまった。
「ああ、良かった…丁度今、君に掛けようと思ってたんだけど、どうしても繋がらなくて…混線していたのかな?」
『あ、そうだったんですか? すみません…あの、私今、外にいるんですけど…新しい携帯買って、一緒に番号を変えたんです』
「え…?」
 番号を…変えた?
 唖然とした幸村の耳に、彼女の声での説明が届けられる。
『何処から流れたのか分からないんですけど、最近悪戯電話やメールがヒドかったんです…丁度携帯を買い換える予定はありましたから、これを機会にって申告してて…それで、今丁度その作業が終わって、携帯を受け取ったところなんですよ』
「そうだったんだ…びっくりしたよ、全然繋がらなかったから何かあったのかって…そうしていたら今度は全然知らない番号から掛かってきたしね」
 納得したところで、向こうから恐縮した声が聞こえてきた。
『ご心配をお掛けしてすみません…でも、幸村さんにはすぐに知らせたかったから…』
「え…?」
『あ…っ、その…』
 思わず問い返してしまったが、向こうは一気に押し黙ってしまう。
 しかし、声は聞こえてこなくても、その場の空気は分かる…見えなくても、容易にその光景が浮かんでくる。
 恥ずかしい失言をしてしまい、真っ赤になって携帯を握りしめている少女の姿が。
「…ふふ」
 それって…期待してもいいってコト?
 思わず幸村は笑ってしまった。
 このタイミングで店の前を通って、このタイミングでこのストラップを見つけて、このタイミングで携帯に掛けて…そしてこのタイミングで君から電話を受けるなんて…
 ねぇ、これも、縁っていうのかな…それとも大袈裟に言ったら、運命…とか?
 凄く話したい気分だけど…ここで全部言うのはもったいないよね。
 携帯で気軽に話せても、君がその時浮かべている笑顔は見られないんだから。
 だから…それは後でのお楽しみにしておこう。
「いいよ…心配はしたけど、俺を最初に思い出してくれたなら、許してあげる」
『ホントにすみませんでした…あ、でも』
 心底恐縮した様子で謝罪の言葉を述べた後、桜乃は思い出した様に若者に尋ねてきた。
『あの…私に電話していたって…何か、ご用だったんですか?』
「ああ…」
 そうだった…そう言えば、このストラップを…
「…」
 もう片方の手でそれをまだ弄っていた幸村は、数秒沈黙した後にくすりと笑った。
「…ううん、ちょっとね、聞きたい事があったんだけど…」
『聞きたいこと、ですか?』
「うん、でももういいんだ…決めたから」
『え?』
「ふふ…これ以上は今は内緒」
 悪戯っぽく言うと、彼は微笑みながら優しく誘う様に言った。
「知りたかったら、また会いにおいで…待ってるから」
『?…はい…あ』
「どうかした?」
『すみません、ちょっとだけ充電はしてもらっていたけど、もう切れてしまうみたい…』
「あ、そうか…」
 そうだった、買ったばかりだと言ってたな…
 思った幸村は、名残惜しいと思いつつ相手を気遣った。
「わざわざ有難う。何かあったらまたいつでも連絡しておいで」
『はい』
 そして彼は携帯の通話を切り、それをしまうと、店で例のストラップを買い取っていた。
「有難うございました」
 店員の声を背中で聞きながら、幸村はゆっくりと家路を辿る。
 今度彼女が会いに来たら、これを渡そう…新しい携帯に付けてくれる様に…
 そしてその時に、いっそ自分の想いも伝えてみようか?
 その時に君は、一体どんな顔をするだろう?
 思いながら、若者の手は己の携帯を再び取り出し、画面に新たな桜乃の携帯の番号となった数字の羅列を呼び出した。
 暫くその列を眺め、嬉しそうに微笑む。
「…これから宜しくね」
 以前の番号も暫くは覚えているだろうけど、君達の事もすぐに覚えるから。
 君達と一番親しいお付き合いになるのが、俺だといいんだけどな…






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