在り来たりな約束
「あ、お早うございます、幸村先輩!」
「やぁお早う、相変わらず元気だね、竜崎さん」
その日も桜乃は、テニス部のマネージャーとしての責務を全うすべく、朝も早くから元気良く登校していた。
この早い時間帯だと、まだ学校に向かう生徒の数もまばらであり、そんな彼らも殆どは朝練がある運動部の部員である割合が殆どだ。
そんな中で、彼女は一人前を行く男子生徒の後姿が自分の知己であると気付き、走り寄って笑顔で朝の挨拶をした。
立海の男子テニス部部長である幸村精市である。
彼は呼びかけられるとすぐに微笑みながら振り返り、挨拶を返してくれた。
どうやら、桜乃の声を聞いた時点で誰であるかは気が付いていた様だ。
「それだけが取り柄です!」
「ふふ…それなら、君より俺の方が余程君の事を知っているよ」
「?」
「君の取り柄が元気だけっていうのはありえないって話さ」
語ってみようか?と嘘とも本気とも取れない笑顔の相手に、桜乃はわたわたと慌てた様子でそれを止めた。
「いい! いい! いいです〜〜!!」
そんな恥ずかしいコトやめて下さい!と懇願する相手に再び笑うと、幸村は歩くペースを落として彼女と一緒に並んだ。
「…あら?」
不意に彼の腕の中に抱かれている物体を見た桜乃がきょろっと大きな瞳を好奇心に揺らす。
何であるかはすぐに分かる…花束だ。
色鮮やかな幾種類かの花々が競う様に、雅な和紙に包まれる形で咲き誇っている。
「わ、綺麗ですね……もしかして、幸村先輩の…?」
相手の趣味がガーデニングである事を知っていた桜乃が問うと、彼はうんと頷いた。
「愛情を込めて育てた分、器量良しに育ってくれてね…教室に飾ってもらおうと思って少し持って来たんだ」
「ええ、凄く綺麗です。ここまで育てるのって大変なんでしょうね」
「大変と言えばそうだけど、綺麗に咲いてくれたのを見たらそれも忘れるよ。この楽しみがあるから止められないんだ…そうだ」
そう言うと、幸村は花束の中から一輪の一際大輪の花を抜き取ると、はい、と桜乃に手渡した。
「ほえ…?」
「お裾分け…良かったら貰ってよ」
「わ! 良いんですか?」
「うん」
「わぁ、有難うございます!!」
自分も教室に一輪挿しで飾りますね!と喜んで受け取ると、桜乃はじっと暫く花を見つめた後で幸村へと振り向いた。
「このお返しは、いつか必ずしますから!」
その在り来たりな約束に、思わず幸村は笑ってしまった。
大体こういう台詞は、言われたとしてもこちらが催促しない限り果たされる例はあまりない。
しかしそもそもそういうものを期待してあげた訳でもないので、彼は軽くそれに答えた。
「ふふふ、そうかい? なら気長に待っておくよ」
「はい、気長に待っていて下さいね」
そして二人はそれから再び語らいながら学校へと向かい、いつもと変わらない日常へと溶け込んで行った。
それから時は過ぎて秋になり、最初から過度な期待もしていなかった幸村自身も、いつしか彼女と交わした約束について忘れてしまっていた。
そんな或る日の朝のこと…
「えへへ、幸村先輩?」
「ん?」
いつもの様に朝練を終え、制服に着替え終わったメンバー達がまだ部室に数人残っていた時、桜乃がちょこちょこと彼の傍へと寄って来た。
「何だい?」
「ええとぉ…これ、あげます」
きょろっと辺りを見回して誰も見ていない事を確認すると、桜乃はそっと握った拳を相手の方へと差し出した。
思わず反射的に出された幸村の掌の上に乗せられたのは、ラップに包まれた小さな白いボール。
ゴルフボールよりは大きなものだが、テニスボールよりは小さな、柔らかい球体。
よく見ると、それは何の変哲もない、小さなおむすびだった。
「…???」
何でいきなりこんなモノを?
何かあったっけ…と悩んでいた若者に、桜乃がにこーっと嬉しそうに笑う。
「随分遅くなっちゃいましたけど…お花を頂いたお礼です」
「花…」
言われてから約十秒近くの沈黙を経て、幸村はようやくあの日の約束を思い出していた。
そうだった…もうすっかり忘れてしまっていたけど、確かに彼女はあの時、お返しをすると言ってくれたっけ…?
「ああ、あの時の…お礼?」
お礼と言うには変わった選択だな…とおむすびを不思議そうに眺める相手に、桜乃がうふ、と口元を押さえながら付け加えた。
「ミニ栽培キットで苗から育てたんですー」
「!?」
思わず聞き間違いかと思って相手を見たが、向こうはえへんと胸を張っている。
「同じ育てたものをお返ししようと思ったんですけど、お花だと到底幸村先輩には敵いませんから。頑張ってもこれぐらいしか収穫出来ませんでしたが、毎日愛情込めて育てた無農薬ですよ〜」
「えええ!?」
滅多に驚かない幸村だったが、流石にこの時ばかりは話が違った。
「もしかして、お礼の為にわざわざ稲を育てたの!?」
「いえ、単に興味もあったんですけど…幸村先輩が丹精込めて育てたお花頂いたのに、普通に買える物じゃお返し出来ないなぁと思って…幸い、気長に待って下さるってことでしたから、張り切ってやってみました!」
「………」
声が出ない…
(確かに…気長に待つとは言ったけど…あんな在り来たりの約束で、ここまでする!?)
種は異なるとは言え、植物を育てる苦労は自分もよく知っている。
しかし、単に一輪の花をあげただけで、あんな他愛無い約束がこんな形で返ってくるなんて!
「…君は、凄いな」
何気なく、こうして人の心を掴んで離さない…
これはしっかり見ていないと、誰かに攫われてしまうかもしれないな…気をつけなきゃ。
「え?」
「…いや、何でもないよ。じゃあ竜崎さん、今日は一緒にお昼を食べない?」
「え!?」
立海でも一番のモテ男と一緒に食事!?
「君も気になっているだろう? ちゃんと美味しく出来ているか…最後まで責任はもたないと」
「う…」
そして昼休み
「ええと、お、美味しいですか?」
「ん、凄く美味しい」
持って来ていたお弁当とは別に、桜乃から贈られた手作りおにぎりを、幸村はゆっくりと時間を掛けて味わっていた。
本当に美味しい…塩以外の何の味付けもしていないのに。
相手の心が篭っていると思うだけで、こんなに美味しくなるものなんだ…
(…在り来たりの約束なんて思ってたけど、改めないとな。その『在り来たり』の中にこそ幸せがあるのかも)
思っていたところで、じーっと見つめてくる少女の視線に気付き、幸村は柔らかな笑みを返した。
「ふふ……食べたくなっちゃった?」
「え、い、いえっ! 違いますっ! 綺麗に実ってはいたけどちゃんと美味しく炊けたかどうか不安でっ…!!」
「大丈夫だよ、嘘じゃない……いっそこれからずっと、俺の為だけに食事を作ってほしいぐらいさ」
「ふぅん………え!?」
そんなに美味しいんだ、と思った数秒後、相手の意味深な追加発言に桜乃が真っ赤になる。
「…迷惑?」
「そ、そんな事は…っ!!」
在り来たりの約束がもたらした在り来たりの幸せ
しかしそれはどうやら、幸村に秋の実りとは別の『実り』をもたらしたらしい…
了
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