桜乃争奪戦・前編
とある日の日曜日
青学の男子テニス部メンバーは、一つの市営コートにいた。
竜崎先生の提案で、今日はここで試合などではなく、親睦を図る目的での集まりとなり、メンバー以外に、孫の桜乃や友人の朋香、かわむら寿司の主人も揃っていた。
河村の父親であるかわむら寿司の主人はテニスについての知識は皆無だが、テニスの合間に食べる寿司の差し入れと、メンバー達を店の車で運んでくれたのだ。良い親である。
「ごめんよ、いろいろと世話かけちゃって」
「いいってことよ」
謝る河村に呵呵と笑う父親は、そこに来た竜崎へと向き直って礼をする。
「こりゃ先生、いつも息子がお世話になっております」
「いや、とんでもない。こちらこそ今日は随分世話になってしまって…食事の差し入れまでして頂いて感謝しております」
大人達の挨拶が行われている最中、その脇ではメンバー達がテニスの相手の振り分けを行っており、またそれを覗き込むように、桜乃と朋香が楽しそうに笑っている。
久し振りにこういう形でみんなと騒げることが、二人にとっては非常に嬉しいらしい。
「リョーマ様、頑張ってね!!」
「当たり前でしょ」
相変わらず、自分へのエールに対してもつれない返事をする一年生は、二人へ視線を向けることもなく組み分けの紙をじっと凝視している。本当に根っからのテニス好きなのだ。
「皆さんも頑張って下さいね。応援してますから」
「うん、有難う」
朋香よりはやや遠慮がちに応援してくれる桜乃に、不二がいつもと同じ穏やかな笑顔を向けて礼を言う。
「…お前達は参加しないのか?」
話に加わってきたのは部長の手塚だった。
彼の視線は常に厳しさを称えているが、決してそれだけではないことを彼の身近にいる人々は良く知っており、無論、桜乃もその中に入っていた。
「はい、最初は見学させてもらいます。もしお時間が空いたら、少しだけお相手して頂けたら…」
「うむ。そう言えば竜崎先生が、最近お前の腕が飛躍的に伸びていると話していたが…」
「そ、そんな事ないですよ。まだまだ、です」
つい越前の口癖が出てしまって桜乃が赤くなったところで、朋香が思い出した様に親友に向き直った。
「あれじゃない? 桜乃、最近立海の人達の所でテニス教えてもらってるって言ってたから、そのお陰かも!」
「へ? そうなの〜?」
割り込んできたのは、年長組の中では子供っぽい印象が強い菊丸だった。
「そう言えば、最近ウチの練習の時にあまり見かけなかったけど…」
「青学で、立海の女子テニス部との試合も企画されたりして、おばあちゃんのおつかいで行ったりしてるんですよ」
にこにこと笑って説明する桜乃に、今度は二年生の桃城もへぇーっと声を上げる。
「そのついでにテニスの腕も見てるってか。随分面倒見のいい奴らだなぁ」
あの固い印象が強い立海の面々が、わざわざ他校の、しかも女子にそこまで心を砕くとは。
「フン…暇な奴らだ」
海堂は相変わらず不機嫌そうな表情で鼻を鳴らし、そこにいないライバル達を評したが、桜乃は笑いながら首を横に振った。
「教えてもらうと言っても、基礎の部分ばかりですから…けど、皆さん優しい方々なんですよ」
『…………』
テニスで戦ったことのあるメンバー達は否定する気はないのだろうが、ライバル心からか、なかなかその言葉に素直に頷くことが出来ない。
しかも同じ学校の生徒で可愛い妹分とも言える桜乃が、他校の男子を手放しで褒めているのを聞いて、何となくメンバー全員はもやもやした感情を抱く。
「ふーん、楽しそうじゃん」
越前が皮肉の笑みを浮かべながら言い放つと、早速それを面白がって桃城がちょっかいを出した。
「お、何だ何だ越前、ヤキモチかぁ?」
「別にそんなんじゃないッスよ。あのコワい顔した人達が竜崎にテニス教えるなんて、随分我慢強いんだなって思っただけッス。」
「あ…まぁ、それは…」
言外に、彼女の運動音痴振りを評したのだろうが、全く言い返せない桜乃は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「おい越前、お前もうちょっと言い方を考えろよ。誰でもお前みたいにちょろちょろ動けるってワケじゃ…」
デリカシーがないだろう、と桃城が後輩に注意しようとしたその時、いきなりどんっと桜乃の身体に何かが激しくぶつかり、彼女の身体が大きく揺らいだ。
「きゃ…っ」
そして、少女の小さな悲鳴を掻き消すほどの大声が響く。
「おさげちゃん、おひさ――――――――っ!!」
「え…」
誰かが自分の身体に抱きついたのだと知り、桜乃が振り向くと、そこには立海の丸井が自分の腰を包む様に手を回してべったりと張り付いていた。
「丸井さん!?」
「元気だったかいおさげちゃん!? 最近遊びに来てくんないんだもんな―――、寂しかったよい!」
続く形で、丸井だけではなく他の立海メンバーもテニスコートにぞろぞろと姿を見せ、そこで彼らは先に突進して行った仲間の行為の理由を知った。
「おい、竜崎だ」
「あー成る程のう、道理で丸井の奴が飛び出して行ったワケじゃ」
ジャッカル達が少女を指差している隣で、幸村と真田が彼女の側の青学の面々を見つけて言葉を交わす。
「やぁ、青学もここに来てたんだ」
「ほう…勢揃いだな」
一方、青学のテニス軍団は、桜乃に抱きつく丸井を見て例外なく硬直していた。
別に桜乃の所有権など誰も持っていないが、何となく、ただひたすらにムカつく……
「…向こうに低気圧の層が見える」
見えない暗雲を青学軍団の頭上に感じ取った柳がそう言うと、幸村が苦笑しながら丸井に声を掛けた。
「ブン太、青学の人達の邪魔をしたらダメだよ」
「あ?」
ぐりんっと首を回し、そこでようやく彼は周囲にいた青学の面々に気付いたのだが、掛けた言葉は……
「…なんだ、あんたらもいたの」
ピシャ――――――――――ンッ!!!!!
青学の男達の方から、鋭く空気を裂く音が聞こえてきた気がする…
「……何の音?」
「殺意が芽生えた音だろう」
幸村の疑問に真田は目を閉じて答え、疲れた様子で首を振った。
「オイ…ウチの学校の者に何してやがる」
早速、海堂がぎろっと丸井を睨みつけて威嚇したが、相手はぷーっとガム風船を膨らませ、それを破裂させると、んべっと舌を出した。
「てめぇ!!」
「海堂!!」
「ブン太、そこまで」
一気に喧嘩モードに突入しようとした海堂を手塚の一喝が押さえ、続けて幸村の声も丸井を引き下がらせた。
「…ちぇっ」
ぷいっとそっぽを向いた丸井はようやく桜乃を手放して、こちらへと歩いてくる仲間達の方へと戻ってゆく。
「久し振り、手塚。ブン太が邪魔してすまない、知った顔に会えてはしゃぎすぎた様だ」
「ああ、久しいな、幸村。しかし、お前達がこんな所まで来るとは…」
「慣れた場所だけだと流石に飽きるし、刺激は必要だよ。君達こそ今日は一同勢揃いじゃないか、俺達も同じだけどね」
部長同士の会話で取り敢えずの激突は避けられた様で、他の一同がほっと胸を撫で下ろしていると、その場に保護係の竜崎が歩いてきた。
どうやら、受付の方が無事に終了したらしい。
「おや? 珍しい顔があるじゃないか。久し振りだね、立海の」
幸村達の姿に気付いた彼女の声に、立海のメンバー達は軽く会釈した。
「御無沙汰しております、竜崎先生」
固い挨拶を固い顔で述べる真田は、生徒ではなく十分教師として通る程だ。
それから竜崎達が暫く会話を続ける間、青学と立海のそれぞれの面々は見知った者同士色々と雑談を交わしていた。
「相変わらず、データ入手に余念がない様だな、貞治」
「ああ、お前もその様だな、蓮二。色々噂は聞いている」
「今日はどっちが仁王〜?」
「プリッ。教えてやってもいいが…まぁ、その良い目で当ててみんしゃい」
「丁度いいや、ちょっと勝負しようぜ越前リョーマ」
「俺はいいけどね…そっちのコワい副部長さんはオーケーくれんの?」
わいのわいのと騒いでいる男性陣の中で、ようやくトラブルから脱した桜乃は、ほーっと軽く息を吐き出していた。
「桜乃、大丈夫?」
「あ、うん朋ちゃん、ちょっとびっくりしただけ」
「仲良くしてるとは聞いてたけど…なんか、凄かったよ」
はーっと感嘆のため息を漏らす友人に、桜乃は照れ臭そうに笑う。
「うん…でも、丸井さんはいつもあんな感じなの。抱きつかれても、全然いやらしい感じはしないし」
「まぁ、猫がじゃれてる感じだったけどね、確かに」
「でしょ?」
皆がそんな雑談に興じている間に竜崎達の方では、或る一つの案が持ち上がっていた。
「え? 合同試合…ですか?」
「俺達と?」
「難しいかねぇ、丁度双方のレギュラーが揃うなんて、良い機会だと思うんだが。別に正式な勝負をしようという訳じゃない、あくまで今日はレクリエーションという形でね」
「……・」
真田と幸村の問い掛けに、竜崎がどうだろうという表情で案を持ちかける脇では、手塚が腕を組んで何事か黙考している。
「ふむ…相手にとって不足はないが、そう言っても遊びで済ませる様な奴らではないからな…」
「そうだね、下手にこんな場所で熱くなって何かトラブルが起こるとも限らない。公式戦では納得も出来るけど」
確かに野試合で怪我などして公式の試合を欠場したとあっては、自己責任とは言え本人は悔やんでも悔やみきれないだろう。
幸村達の懸念は確かにその通りだったが、そこで竜崎は一つの条件を提示した。
「では、利き手と逆の手で試合をしたらどうかねぇ。今日は元々ウチでそういう試合を考えておったんじゃ、逆の手なら慣れていない分本気を出すのにもブレーキがかかるだろうし、良いトレーニングになると思うよ」
「利き手と逆…」
「む…」
その提案には幸村達も敏感に反応を示して顔を見合わせた。
テニスは偏側性のスポーツで、利き手の使用がより多くなることで身体のバランスが崩れ、上手く力を伝えきれなくなる。
言い換えたら、非利き手を如何に上手く使えるかがテニスレベルを上げるポイントでもあるのだ。
それは幸村達も当然理解している事で、彼らも暇があれば非利き手でスイングの練習程度は行っていたのだが、そういう形でのトレーニングは他校とは行ったことはなかった。
しかも申し込んでいる相手は、それなりの実力が保証されている青学…
「…精市?」
「面白いアイデアですね…俺達も参加していいというのなら、お言葉に甘えようかな。手塚、いいのかい?」
黙っている青学の部長に立海の部長が尋ねると、相手は静かに頷いた。
「無論だ。相手を変える事で、お互いに得るものがあると思う。立海が相手なら、こちらとしては願ったりだ」
「そうかい? 有難う」
「言っておくが、如何に野試合とは言えこちらは勝つ気でいくぞ」
向こうの副部長は既に戦闘態勢に入っており、やる気満々といった様子である。
意外なところで理想的な相手を見つけた事で、顧問の竜崎も上機嫌で頷いた。
「じゃあ、組み合わせを決め直さないとねぇ…それから折角参加してくれるんだから、どっちかが勝った時の景品でも考えようか。あんまり気の利いた物は準備出来ないと思うけど、考えて記しておくよ」
「俺は別に無くても構いませんが…まぁ、ゲームは楽しくなるかもしれませんね」
ごほうびがあったらゲームも更に盛り上がるだろうと幸村は笑い、それからは試合の組み合わせについての検討が始まったのだが、過去の因縁の対決がまだ記憶に強く残っているのか、関東決勝と同じ組み合わせでの勝負にこだわるメンバーが多く、結局今回のレクリエーションは非利き手における再試合という位置づけで収まった。
「…となると、精市は外れてしまうことになるのか…」
「ふふ、いいよ弦一郎。もし時間があったら、手塚とやらせてもらおうかな。あのルーキーも面白そうだけど」
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