通い兄貴


 青学の中学一年生『だった』少女、竜崎桜乃が立海に転校を果たして約十日の後…
 その日、遂に竜崎桜乃の、立海大附属中・男子テニス部マネージャー就任が確定した。
「まだまだ仕事については分からないところもありますが、精一杯頑張りますのでどうぞ宜しくお願いします」

『こちらこそ』

 ぺこりと一礼した少女に答えたのは八人の若者達。
 場所は立海の男子テニス部部室内、時はこれから朝練が始まろうかというところ。
 いつもなら遅刻常習犯の切原でさえも、今日は彼女の挨拶があると知らされていた為か、ばっちりと着替えて準備も済ませていた。
「…俺達も君を心から歓迎するよ。マネージャーという任を置くのは、俺達にとっても今回が初めてだ。不慣れなのはお互い様さ、もし不都合なことがあったり疑問があったりしたら、いつでも遠慮なく言ってほしい」
 部の代表として、挨拶をする桜乃に答えたのは、部長である幸村精市だった。
「取り敢えず、君のマネージャーとしての仕事の指導は、蓮二が行うようになるよ。分からないことがあれば彼に訊いてね」
「はい。宜しくお願いします、柳先輩」
「うむ。こちらこそ宜しく頼む、竜崎。プレッシャーをかける訳ではないが、お前の助力、期待している」
「が、頑張ります」
 かちこちと身体を固まらせてしまった少女に、後ろから銀髪の男がなでなでと優しく頭を撫でてやった。
「早速プレッシャー掛けまくりじゃのう、参謀」
「まぁ、これだけの男子の中に女子一人ですからね。マネージャーとか、そういう事を抜きにしても緊張はしてしまうでしょう。最初は、雰囲気に慣れることを考えるだけで宜しいのでは?」
「あ、はい、有難うございます、仁王先輩、柳生先輩」
 ぺこぺこと二人に頭を下げていた桜乃に、傍でガムを噛んでいた赤髪の若者が首を傾げた。
「ええ? けどお前もさ、青学じゃあ手塚達と割りと近いトコにいたんだろい? 応援団もしてたって話だし…もしかして、俺らの方がとっつきにくいとか?」
 ちょっとショックーと落ち込みそうになっていた相棒に、ブラジル人と日本人のハーフである相棒のジャッカルが慌てて口を挟んだ。
「そんな事はないと思うぞ。大体竜崎は、俺らとは最近まで学校そのものが違ったんだし。顔を合わせる機会もダンチだったろ? それに確か、あそこの一年生とはクラスメートだったって話も聞いてるぞ」
 そうだよな?とジャッカルが柳へと目で問いかけると、向こうはすぐに首を縦に振って肯定した。
「その通りだ。彼女は越前リョーマとはクラスメートだったと情報が入っている」
「……」
 先輩達の台詞を聞いていた桜乃が暫くの沈黙の後、改めて柳へと身体を向ける。
「…えーと、そういう情報の出所と必要性がよく…」
「使い道は人それぞれ」
 『分かりません』という桜乃の言葉を封じる様に柳が先制してそう断りながら、ぱら、と手持ちのノートを捲る。
 相手が本当に聞きたかったであろう質問の答えについてはそのままスルー。
 このさり気なさも、他人から上手く情報を引き出す為の一つの技なのだろうか…生来の性格が上手く活かされている形だ。
 良いか悪いかは別として。
「向こうでのお前の交友関係は、まぁ広く浅くといったところだった様だな。女子では特に親しいのは小坂田という幼馴染で、男子で親しかったのは…」
 そこまで言ったところで、柳の口調が微かに暗く、淀んだものに変わる。
「…その越前リョーマ」

『……………』

 瞬間、部室の中の空気が間違いなく凍ったのを桜乃は感じたが、彼女は単純にそれは彼らの、テニスに関してのライバル心からのものだと判断した。
「えと…確かに一応クラスメートでしたけど、私なんか眼中じゃありませんでしたから。テニスの腕も全然だし……たまに英語、教えてもらうぐらいだったかなぁ」
「…教えてもらってた…?…あの虫の骨に…?」
 つまりその時間は、あの少年と一緒に机を並べていた訳だ…
 ふふ…と口元には笑みを浮かべながら呟いた幸村だったが、その背後にはどす黒い何かが渦巻いている。
(ここで虫に骨格はないとフツーに突っ込んだら…)
(今日が貴方の命日ですねぇ)
 仁王と柳生がこっそりとそう囁き合い、突っ込みは未然に防がれた。
 まぁ向こうも聡明なことで知られる若者だ、本当に虫に骨格があると思ってのコトではなく、あの一年生に対する比喩なのだろうが…だからこそ、怒りの程がよく分かる。
 おそらく桜乃は、恋愛感情など一切ないまま、普通のクラスメートとして越前の事を語っているのだろうが…それでも何となく釈然としないのは男心の成せる業か。
「ま、まぁでもいいじゃん! ほら、おさげちゃんはもう立海の生徒になったんだしさ! これからは青学の奴等とじゃなくて俺達と仲良くしてけば」
「そ、そうッスよね!? 正直あいつらなんかより、俺らの方がよっぽど竜崎の助けになりますって!」
 幸村の不機嫌を直す意味合いもあり、丸井や切原が必死にフォローに走ると、向こうも少しだけ気を取り直して頷いた。
「まぁそれは当然だけど」

(うわー、迷いもせず即答したよこのヒト!!)

 凄い自信だ…と色々な意味で感心した二人の前で、どうやら先輩達が自分に対し心を砕いてくれているのだと改めて感じた桜乃は、申し訳なさそうにお辞儀をする。
「有難うございます、本当に…なるべく皆さんにはご迷惑にならないように気をつけます。勉強も頑張りますから!」
「お前と同じ学年ではないのでな…普段から傍にいてやることは難しいかもしれんが、先輩として指導することはやぶさかではない。何かあれば部の事だけにこだわらず、聞きに来てくれて構わんぞ」
 真田は普段から厳しい面が目立つ若者だが、目下の者を気遣う優しさも持ち合わせており、この時も純粋な思い遣りで桜乃にそう促した…のだが、
「はい…でも何だか、ちょっと怖いというか」
 おど…と少しだけ挙動不審になる少女に、彼はつい自分にその理由を求めてうろたえてしまった。
「お、俺がか?」
「いえいえいえ!! 決してそういう訳ではないんですけどっ!!」
「まぁまぁ、そんなに否定しなくても俺もその気持ちはよっく分かるぜ」
 上手くフォローしたつもりだったのだろうが、当人の目の前で言うのはまずかった。
『貴様は自業自得だろうがーっ!!』
『ぎゃーっ!! つい口がつるっとーっ!!』
 早速墓穴を掘ってしまった切原が向こうでその穴に飛び込んでいくのを尻目に、彼の目付け役でもあるジャッカルが桜乃に代理で尋ねた。
「じゃあ、何が怖いんだ?」
「あ…やっぱり先輩方が沢山いらっしゃるから、気後れしてしまうのもありますし…この間もちょっと注意されてしまいましたから」
「注意?」
「聞いてないな…そんな事は」
 二年や一年が三年の教室がある棟に来てはならないという校則など無かった筈。
 あったらそれはそちらの方が問題だろう、やはり論理的に考えてもおかしいと、ジャッカルと共に柳が首を傾げる。
 そして、同じ疑問を抱いたらしい部長が眉をひそめて桜乃に聞いた。
「誰がそんな事…先生かい?」
「いいえ…名前までは分かりませんけど、多分三年生の方だったと思います。『皆さんは忙しいんだから、暇な一年生の相手をしている余裕なんかないのに邪魔するなんて』って怒られてしまって…でも確かにその通りですから」

 むかっ…

「……なんざんしょ、この胸に湧き上がるいやーな感じ」
「こっちには一片の非もない筈なのに、どうしてこう罪悪感が沸いてくるんだろうなぁ…」
 丸井とジャッカルが互いに同じ、あらぬ方角を見遣りながら呟いた。
 桜乃の台詞からは当然、相手についての情報など殆ど知りえる筈も無い。
 けど、何となく分かる、これだけは分かる気がする…
「…それは女の子だった?」
「はい」

 むかむかっ…!

 幸村の質問に予想していた返事が返ってきたことで、また全員の苛立ちが強まる。
 やはり…同じ女子の、自分達ファンからのやっかみからくる妨害か…
 実はそれを予想して、予め周囲には軽く根回しをしていたのだが、それでもやはり全てを最初から防ぐ事は不可能だったようだ。
 まぁ相手が人間である以上、それも已む無しの事かもしれないが。


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