太陽の吐息
秋も過ぎ去ろうとしている初冬のある日…
立海テニス部副部長である真田は、その日の夕方、帰宅の途にあった。
まだ暦の上では秋だが、今日の冷え込みは異常とも言える程。
朝からの天気予報でも、予報士が再三繰り返していた通りの冷え込みとなった。
普段から武道で身体を鍛えている真田でも、それは別に鈍感になっているという訳ではなく、人並みの感覚は持ち合わせている。
(ふむ…確かに今日は冷えるな)
道行く人々は一様に肩を竦めたり、『寒い、寒い』と呪文のように呟いては通り過ぎてゆく。
しかし真田はその中にあっても、威風堂々、姿勢はぴしりと伸び、いつものようにテニスバッグを抱えて歩いていた。
今日は、少し遠出をしての自主練習へ行った帰りなのだ。
「……」
明るい灯りが灯る一軒のコンビニの前で、珍しく真田は立ち止まる。
(む…しまった、確か…)
失念していたが、今日発売予定の目当ての雑誌があったのだ。
コンビニにも一冊ぐらいは入っているかもしれない…
いつも自分が贔屓にしている書店はもう通り過ぎてしまっており、今更引き返すのもためらわれ、彼は今思い出したのが幸いと、コンビニへ立ち寄ることにした。
がーっと特徴的な音をたててガラス扉が開き、瞬間、ふわんと暖かな空気が頬を撫でた。
『いらっしゃいませ』という店員の声を聞きながら、真田は中に入り、そのまま真っ直ぐに書籍が並ぶ棚へと移動する。
様々な種類の雑誌が並んでいるのを一瞥し、真田は目的の雑誌を問題なく見つける。
世界的に有名なテニスプレーヤーの特集を組んだ、テニス雑誌。
一般的には然程、部数は出ていないだろうが、テニスをたしなむ人間には知名度と評判は高い雑誌であり、真田も無論、よく目を通している。
特に、今回の特集には興味があり、彼も是非一読したいと思っていたのだった。
(ああ、あそこに…)
別にそうそう人気が高い雑誌ではなく、誰かに取られるという不安もないので、真田は悠々とそちらへと歩いていくと、前に来たところですっと手を伸ばした。
「うむ、これだ…」
「あった…」
誰かの声と、自分の声が重なり…
「む?」
「あ…」
そして、同時に同じ雑誌へと伸ばされた二人の手が、指先を触れ合わせた。
条件反射的に真田はすぐに手を引き、向こうも同じようにぱっと手を隠す。
「失敬…」
「すみませ…」
それからようやく二人は互いの顔を見合わせ、ほぼ同時にあっと驚きの表情へと変わった。
「竜崎!?」
「真田さん!?」
まさかここで会うとは互いに思っていなかった二人は、テニス雑誌の前でそれぞれの名を呼び、それから互いの姿を見つめる。
二人ともが私服であったことも、気付くのが遅れた要因だったのかもしれない。
「お前もここに来ていたのか…?」
グリーンの厚手のパーカーを羽織った桜乃に、真田はようやく驚きから微笑へと表情を変える。
「真田さん…お久しぶりです、奇遇ですね」
桜乃も、いつもと違う黒いコートを纏った真田に少しびっくりした様子だったが、すぐにいつもの無邪気な笑顔を浮かべた。
立海と青学、学校は違うが彼らの間では大きな問題ではない。
同じくテニスを愛する者同士、二人は他の部員達同様に良い関係を保ち、時には真田が相手にアドバイスを与えることもあった。
「今帰りなのか?」
「はい、ちょっと寒かったのでここに寄ってみたんです」
「ああ…・確かに、今日は冷えるな」
頷く真田に、桜乃もまた頷き返しながら、しげしげと視線を送る。
「…どうした? 俺の顔に何か付いているか?」
不安になった真田が尋ねると、桜乃はぷるぷるっと首を横に振って、否定した。
「いえ。私服の真田さんを見るのは随分久しぶりですから、何だか見蕩れちゃって…」
「み…」
「似合いますよ、コート。格好良いです」
何のためらいもなくそう言ってのける年下の少女に、真田は視線を逸らして唇を閉ざした。
ここまで褒められると、どう反応していいものか分からない。
口癖の『たるんどる』も、何となくこの場には合っていない気もするし…
「む…そ、そう、か…? お前も、その…似合っているぞ」
取り敢えずは、褒め返してみた。
一応、お世辞ではない、確かにその日の桜乃の格好は女性らしく、また、彼女のほんわかとした雰囲気に合っていた。
「有難うございます。これ、お気に入りなんですよ」
にこにこと笑って真田の褒め言葉を受け取ると、あ、と桜乃は思い出したように声を上げた。
「真田さんも、読んでいるんですか?」
彼女が視線を向けたのは、例の雑誌だった。
本来の目的を思い出した男は、ああ、と同じく思い出して頷いた。
「ああ、なかなか、ためになる事が書いてある。基本もしっかり押さえてあるからな」
お前もか?と尋ね返すと、彼女は少し恥ずかしそうにしながらも、首を縦に振った。
「全部理解してるのか?って言われたら、正直、自信ありませんけど…でも、知らなかったことを知るのが面白くて」
素直な感想に、真田も思わず笑みを零す。
もしここで知ったかぶりをされたら気分をかなり害しただろうが、寧ろ正直に話されたことが、心を開いてくれているのだと感じられて、嬉しい。
「その気持ちがあるのなら、大丈夫だろう。楽しみを見出さなければ、何をやっても身につかん」
「はい…あ、そうでした」
「ん?」
桜乃は、一度は手を引っ込めた雑誌を再び取り上げると、それをそのまま真田の方へと差し出した。
「はい、どうぞ」
「え? い、いや、しかし、これはお前が先に…」
「真田さんが先でしたよ」
言い返され、真田は一度は引きかけたものの、やはりそこは譲ることは出来なかった。
レディーファーストという気障な真似をする気はないが、謙譲の気持ちは人として大切なものだ。
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