波乱の初デート
「そう言えば、最近あの子来ないよなぁ」
「ああ、あの青学の」
或る日の立海のテニスコートにて…
中学生の男子テニス部部員がコート脇でそんな会話を交わしていた。
彼ら非レギュラー部員の中でも、最近、ある他校の女子が結構話題になっていた。
竜崎桜乃という青学の一年女子である。
フルネームを知っている部員は流石に非レギュラーにはそういないが、この部の核を為すレギュラー達には例外なくよく知られている少女だ。
何故なら、そのレギュラー達全員が当の女子を非常に可愛がり、来訪についてもウェルカムの姿勢をとっているからである。
テニス部の中でも結構な曲者が揃っているレギュラー達の中で、ここまで全員一致で気に入られている存在も珍しいが、相手の女子は別段変わったところもなく至って普通の人間。
テニスの能力についても、寧ろ最近ラケットを握り始めたばかりという初心者マーク付きで、注目すべき点も正直、あまりない。
只、曲者の彼らに対しても、天然なのか鈍感なのか、ごく普通に特別扱いする事もなく自然体で接してくれるのが、男達にとって非常に心地良かったのかもしれない。
兎に角。
そういう彼らの応対も相乗効果をもたらし、少女は彼らと出会って以降も頻繁に立海へと足を伸ばして、テニスを教えてもらいながら交流を深めていた。
積極性についてはやや欠けるところはあるものの、普段から素直な性格であることから非レギュラー達からも概ねその存在は好意的に受け止められており、お年頃なこともあってか、人気もそこそこある様である。
但し、問題なのは…
「ちょっと声掛けてみたいよな〜」
「可愛いもんなぁ。デートとかに誘えたらいいんだけど…レギュラーの先輩達が何て言うか…」
「俺達が…何だと?」
気楽な雑談の中に不意に滑り込んだ声が、彼らの背筋に氷の刃を差し込んだ。
「っ!!」
「さっ…真田副部長…!?」
青くなった二人の背後には、黒の帽子を深めに被った一人の男が仁王立ちで立っていた。
このテニス部内でも部長の幸村と並んで厳しいと知られる、副部長の真田弦一郎である。
部長は実力行使よりも寧ろ言葉を使って相手を叱責する場合が殆どだが、この真田という男については、下手な粗相をすると即座に拳骨が飛んでくる。
拳骨でなければ平手打ちなど、まぁバリエーションは幾つかあるが、何れもかなりのダメージを受ける事には違いない。
そしてこの場合も例外は認められず…
ごごんっ!!
「あだっ!!」
「うおお!!」
見事な、流れるような動きによる連続拳骨が決まり、相手の二人は頭を抱えて声を上げた。
「二人とも、千回素振りで気を引き締めろ!」
おまけにペナルティーもバッチリのアフターフォロー付きである。
『ひ〜〜〜っ!』と悲鳴を上げながらも、それ以上の追加を恐れて早速素振りの準備を始めた二人を置いて、真田はむすっとした顔のままにコート脇を歩いて行った。
「ちょっと気の毒な気もするけど」
「!? 精市?」
近くのベンチを通り過ぎた時、そんな言葉が掛けられ振り返ると、ベンチに座っていた親友がコートへ顔を向けながら笑っていた。
「あれぐらいの雑談だったら…まぁ五百回ぐらいでいいと思うよ」
「…甘い。部活の最中にあんな下らん話題を…」
「まぁいいさ、あの二人は確かにさっきから五分以上に渡ってお喋りに夢中だったからね。君がやらなければ俺が行ってたよ」
副部長としての相手の采配に対して一定の理解と評価を下した部長だったが、そのまま、でも、と続ける。
「あれじゃあ、俺達なんか未来永劫素振りをしないといけないんじゃない? 彼女が可愛いのは俺達みんな同じだし」
「!?」
その台詞を聞いた真田は、明らかに動揺を表し、半歩引いて幸村を見据えた。
「お…お前、どうやってあいつらの話を…っ!?」
ここからあの二人の距離はかなりある、自分の怒声は十分に聞き取れたとしても彼らの内緒話程度の声が聞こえた筈が…っ!
そんな真田に初めて視線を向けると、彼の親友は納得した様な表情で二回頷いた。
「ああ…やっぱり竜崎さんのコトだったんだ。道理で君の顔がいつもより恐かった訳だよ」
「!!」
その時カマを掛けられていた事実に気付いて、真田はぐっと口篭ってしまった。
相手の見立て通り…と言うか、レギュラーの中では既にバレている話なのだが、この真田という若者は、桜乃に対してかなり強い恋慕の念を抱いているのだ。
然しながら、彼がかなりの堅物、且つ純情な男という事実が幸いしてか災いしてか、今のところ相手とは専ら仲の良い友人止まり。
それでも向こうはレギュラーの中でも真田に一番懐いているらしく、何かあれば彼の許へと寄って行くのだから、良い感じといえばそうなのかもしれない。
しかし、なかなか今の立場から次の一歩を踏み出すまでには至っていないのだった。
「鳶に油揚げさらわれる訳にはいかないよねぇ」
「お、お前はまたそういう事を恥ずかしげもなく…っ!」
きょろきょろと挙動不審になってしまった真田に、相手は呆れた視線を向けた。
「君ほど古風な人間も珍しいよ…良い子だと思ったなら、今時デートに誘うぐらい不思議じゃないのに」
「いつから日本は、女性ならもれなく声を掛ける様な異国になったんだ」
「イタリアだったっけ、それ」
何となく話が脱線しそうな様子だったが、そこはきっちりと当人の幸村が引き戻す。
「それとこれとは話は別。口を開けて待っていても、餌は飛び込んでこないよ。ちょっと危険は伴うけど、仁王が話してくれた女性を落とす方法を…」
「言うな―――――っ!!」
大声で相手の発言を打ち消すと、真田はここは退くべしと考え、足早に立ち去ってしまった。
これ以上下手に絡まれたら、自分こそ何を言ってしまうか分からない!
そして残った幸村の傍に、今度は参謀である柳が近寄ってゆく。
「……今度は何をやった」
「嫌だな、人を悪者みたいに」
目敏い柳が早くも話の内容について推測を立てている一方で、退散した真田は離れたコートの傍でふぅーっと息を吐き出していた。
「あいつと話していると寿命が縮む…厄介な親友を持ったものだ」
それでも親友と呼ぶ事を止めない処からも、普段の相手への信頼振りは伺える。
(…いきなりデートなど誘ったところで、受けてくれる訳がなかろうが)
付き合っている訳でもないのに…と、つい男は弱気になったのか顔を下へと俯けた。
確かに自分はどうにもこの手の話題になると、出遅れるどころか恐竜より鈍い反応しか返せなくなる。
悪い事ではないのだからと、今まで特に気にしてはいなかったのだが、あの娘が来てからというもの、時々酷い不安にかられる時がある…誰かに取られてしまうのではないかと。
他校の生徒だから日常の学校生活が見えないことも、不安の大きな理由だった。
今のところは…多分、こちらが危惧するような相手はいないのだろうけど。
「…デート、か」
そう言われても、どう誘ってみたらいいものか…それすらも不明だ。
誘いを口にしたところで、甘い言葉など程遠い、事務的な台詞が関の山だ。
「…竜崎、次の日曜に一緒に何処か出掛けないか…」
まぁこれぐらいがせいぜいだろうな…と試しに言った後で思っていると、
「いいですよ」
「……」
何処からか返事が返って来た。
自分でも理由が分からず「ん?」と周りを見回してみると、自分の背後にその少女本人が立っていた。
青学の制服を着た、竜崎桜乃…勿論、実物である。
現在の自分の状況から、返事を返したのは相手しか考えられない…のだが、暫く真田は無表情のまま固まっていた。
「…出掛けると言ったんだが」
「ええ、聞こえてましたよ?」
「…一緒に出掛けるというのは、コート以外の場所に俺とお前が二人で行くという事なんだが」
「はぁ…分かっていますけど?」
「……」
まさか、こんな形でデートの約束を交わすことになるとは…!
形としては間違っているのかもしれないが、これは願ってもない奇跡!!
今更『なかった事に』などと言うのも失礼に当たるし…と心の中で色々と理由を付けて、真田は次の日曜日に彼女とのデートの約束を取り付けたのだった。
問題の日曜日…
「……」
折角のデート日和にも関わらず、真田は待ち合わせ場所の街の交差点の一角でむっと仏頂面で、辺りの通行人を無自覚に威嚇していた。
別に不機嫌という訳ではなく、それにはちゃんと理由があった。
(…き、昨日はロクに眠れなかった)
そう、翌日はデート…しかも初めてのなので、真田自身どうしていいのか分からず、深夜までうろたえまくっていたのだ。
バッグなどは愛用のものでいいだろう、しかし肝心の当人はどういう服で行けばいいのか、とかあれこれと思い悩み、持っている衣類の全てを引き出して並べ、前に座って延々と悩み続けた。
しかもそれだけ悩んだにも関わらず、結局はよく着るコーディネートの暗色系のもので落ち着き、さて寝ようとすると今度は何故か興奮して眠れず…最後はオチた。
服でこれだけ悩まなければならないとは、こんなコトを何度も繰り返す奴は余程ヒマなのか刺激に飢えているのか英雄なのか…
(全く…よく考えたらたかが服でそこまで悩む必要もなかったのではないか? 余程見苦しくなければ…)
そう心で昨日の自分の行動に疑問を投げかけていると、そこに相手の待ち人が現れた。
「お待たせしました真田さん…御免なさい、遅れてしまって」
「ああ、りゅうざ…き?」
声がした方へと振り向き、男は声を止めて視神経に全ての意識を集中する。
確かに相手が待ち人であるとすぐに分かったが、普段の制服姿を見慣れていただけに、今日の柔らかな色合いの私服と、解いた髪の姿の桜乃は衝撃的だった。
「…もしかして、長くお待ちになりました?」
動きがぎこちなくなってしまった真田に不安げに声を掛けた桜乃だったが、男はすぐに首を横に振り、それからようやく声を出した。
「い、いや…俺も今来たところだ」
「良かった…」
声を出しながら、先程まで私服の選別に甘い考えを抱いていた事を陳謝、撤回したくなった真田は、改めて自身の服装に不安を抱いた。
(つ、釣り合っているのか? 俺は…)
口にはとても出せないが、こんな花の様な少女と共に歩くには、自分はあまりにも不似合いではないのか…?
そんな相手の不安を煽るように、桜乃は何故かじーっと彼を見詰めている。
「な…何だ?」
やはり、似合っていないのか!?と焦った真田だったが、すぐに桜乃はきゃ〜っとうきうきした表情で彼を褒め称える。
「やっぱり格好良いです〜!!」
「え…?」
「落ち着いた色合いが凄くよく似合ってますよ、真田さんらしくて素敵です」
「!!」
両手を胸の前で合わせながら、素直な言葉でそう言ってくれる少女にガラにもなく真田は大いに照れる。
いつもなら帽子を深く被るなどして顔を隠す事も出来るのだが、流石に今日はそういうアイテムは身につけていないので、遣り過ごすのに非常に戸惑っていた。
「そ、そうか?…それならその…よ、良かった。どうもこういうのは、初めてでな…しかしお前も…」
つい、軽く流そうとして、真田は無意識に相手の方へと話を向けていた。
「え…?」
「あ、いや…! その…か、髪を解いても…か、可愛いと…」
「!」
内心で『何を言ってるんだ俺はーっ!!』と自分をどつきまわしたい衝動を堪えながらも、結局本心を暴露してしまった男に、桜乃は微かに照れた微笑を浮かべる。
「そうですか? じゃあ、これからは髪、解いたままにしようかな…」
「ああ、それも…」
『うわ、あの子可愛くない?…って男連れかよ』
『ちぇ、惜しいなー』
いいな…と賛同しようとした男だったが、言い切るコンマ五秒前に、傍を通り過ぎていた高校生ぐらいの若者達の声を聞いた瞬間、あっさり意見を翻した。
「おさげで! 少なくとも俺のいない場所ではおさげで頼むっ!!」
「は、はぁ…」
別にいいですけど…とよく分からないながらも聞き入れてくれた桜乃に感謝しつつ、真田は既に多少の疲労を感じ始めていた。
照れたり気を揉んだり…デートというのは、本当にこういうものなのか!?
「ここで立っているのも何ですから、ちょっと歩いてみませんか? 面白い店があったら見てみましょう」
「あ、ああ、そうだな」
桜乃がそう促してくれたことを幸いに、真田はそこでようやく相手と並んで、『デート』らしく歩き始めたのだった。
「でも結局、ここが一番落ち着くんですよね…」
「悪いコトをしている訳ではないのだがな…」
そんな二人は三十分後、結局、通りすがりに見かけたスポーツショップの中にいた。
勿論見ているのはテニスグッズがメインだが、他にも筋トレやら武道にも通じている真田は、プロテインやトレーニングの小道具にも熱心に目を向けていた。
「プロテインって、飲みにくくないですか?」
「昔はそういう話が多かったが、最近は比較的味も向上しているぞ。何より、選択肢が増えたのは有難い。子供用や女性用というのもあるからな」
「ふぅん…私も飲んでみようかなぁ…」
「お前ならそうだな、こちらの方が」
優秀なインストラクターを得て、桜乃が楽しそうにそういうグッズを見ているところに、若い女性の店員が近づいてきた。
「いらっしゃいませ、本日はご家族連れですか?」
「あ…その」
他にも客は複数人いたが、自分達が二人で来ているという事は目に見えて分かる筈だ。
家族連れ…と言う事は、兄と妹に思われたんだろうか…まぁ分かる気はする。
どう説明しようかと思っていると、向こうは真田と桜乃を交互に見て、にっこりと笑顔で言い切った。
「『お父様』ととても仲が宜しいんですね、『お嬢さん』。お年頃の娘さんはなかなか男親とは行動しなかったりもするんですよ?」
「おと…?」
がちゃんっ!!
どういう意味?と本気で桜乃が混乱している脇で、既に相手が何を言わんとしているのかを察した真田は、手にしていたプロテインのボトルを思い切り棚に叩きつけていた。
そして二秒の後にようやく少女も意図に気付き、浮かべていた笑顔がぎこちなくなってしまう。
違う…この人は大人っぽくは見えるけど…
「あっ、あのう、お、お父さんじゃありません…」
説明しようとしている桜乃の隣では、真田が棚に身体を向けたままぶるぶると震えている。
ショックなのか、怒りによるものなのか…どちらにしろ相手に精神的苦痛を与えた事は間違いない。
(うわああぁぁん! 真田さんが怒ってる〜〜!)
えーんっと内心声を上げていた客に、その店員はあらと首を傾げた。
「あら、理想的な父娘と思っていましたが…じゃあご親戚の方? 叔父様とか…それともスクールのインストラクター…」
どれも違うし、若者の心の傷がどんどん増えていくのを感じる…!
真田リクエスト編トップへ
サイトトップヘ
続きへ