紫陽花の悪巧み


「よく降るな」
「まぁ、梅雨だから当然だな」
 その日、連続三日に渡っての雨に、立海の男子テニス部レギュラー達はうんざりといった様子で部室から外を眺めていた。
 しとしとと降る雨に、窓越しに見える景色がけぶっている。
 時は梅雨時…雨が降りやすい時期だということは重々承知はしているが、流石に連日ともなるとうっとおしくなる。
 真田が外を見ながらの一言にジャッカルがそう返していると、脇からつまらなそうに丸井が口を挟んできた。
「…今日も室内トレーニング? 何か飽きたよなー、同じ場所を繰り返し走ったり階段昇降したり…あー試合してー」
「仕方ないじゃろ。体育館は他の部が使用しとるし、雨に濡れて練習しても、後で風邪なんぞ引いたら本末転倒じゃよ」
「分かってるけどさ〜」
 仁王の諌めにむーと不満げにしながらも、一応は理解を示す丸井に、傍にいた部長の幸村はくすっと微笑みつつ窓の外へと目を向けた。
「まぁ、これも風物詩さ…それに、こういう時の積み重ねこそが後で実を結ぶものだからね……でも俺は、この時期は嫌いじゃない。ほら、あれ」
 指差したのは、部室から離れた学校の敷地内に植えられた紫陽花の群。
 赤や青、紫など、実に鮮やかで美しい色合いの変化を表した自然の彩達…
 装飾花の上に無数に散っている雨の雫が、流れる宝玉となって光っている様は、正に自然しか成し得ぬ一つの奇跡だ。
「綺麗だよね…晴れている日よりも雨の方が艶が増している気がするのがあの花の不思議なところだよ」
「うむ…なかなかに風情のある景色だな」
 部長の言葉に参謀である柳も頷いた。
「好きなんだけど、あの花は家には持ち込まないようにしてるんだよね。ちょっと嫌な話があるから」
「話って何スか? 迷信?」
 あっけらかんとした後輩の切原の質問に、幸村が苦笑する。
「迷信と言われたらそれまでだけど…紫陽花は「水」の気を吸い取る事から女の運を吸い取るって言われててね。部屋の中に飾るとその女性の縁が遠くなっちゃうんだって。ウチはほら、妹がいるから、何となくそういうの気になって」
「へぇ…そうなんだ」
「成る程…家の中に持ち込むだけの話ですか?」
「うん、庭に咲いているのは問題ないよ。柳生の家にもあるの?」
「ええ、しかしそれは良い事を聞きました。家族にも教えておきましょう」
 そんな話をしながら、彼らは部室を出て、室内トレーニングを行う共用通路へと向かっていった。


 それから暫く、テニス部メンバーは全員、室内であってもかなりの負荷をかける運動を繰り返し行い、外の雨と同じ様に肌に雨の様な汗を流していた。
 そして前半が終了したところで、タイミング良く雨が止み、少しではあるが日光が空から射してきた。
「後半は少しだけでもコートで活動が出来るかもね…よし全員、一度コートの方に戻って」
 幸村は全員に指示を出すと、部員が皆戻った事を確認した上で、最後に部室へと戻って行った。
「…あれ?」
 入ってみて、そこに新たな来訪者がいる事を知り、彼は一瞬驚いた顔をしたが、そのまま笑顔を浮かべて挨拶する。
「やぁ、ようこそ竜崎さん」
「こんにちは、幸村さん」
 青学の女子学生であり、自分達立海のレギュラーにとっては可愛い妹分でもある竜崎桜乃が、どうやら見学に来てくれたらしい。
 雨が止み、コートでの練習が出来るなら、彼女もそちらの見学も出来るので良かった…と思っていたところで、ふと彼は首を傾げた。
「…どうしたの? それ」
 そう彼が尋ねたのは、彼女が手にしていた紫陽花の切花たちだった。
 結構な本数を抱えているが、もしかして持って来てくれたのだろうか…?
「竜崎さんが持って来てくれたの?」
「あ、いいえ、これは他のレギュラーの皆さんが下さったんですよ?」
 答えを聞き…一呼吸おいて聞き返す。
「…みんなが?」
「はい! 丁度外に綺麗な紫陽花があるから、部屋に飾ったらいいよって…嬉しいです」
 何も知らない純粋な笑顔を見せて、桜乃が紫陽花を見つめる様を、幸村は無言で見つめた後……辺りにいたレギュラー達に冷たい視線を送った。
 さっき話した事…忘れていたとは思えない、いや、それどころか自分が披露した知識を、彼等が早速、邪な方向で利用したのは明らかだった。

『き・み・た・ち・ねぇっ!!』

 視線に込めた一言だったが、彼らは皆、視線を逸らしたり口笛を吹いたり、思い切り誤魔化しに掛かっている。
 そんな彼らの背後に…黒い尻尾が見えたのは気のせいだろうか……
「…ったく…」
 はぁ、とため息をついた幸村に、桜乃は首を傾げて問い掛けた。
「どうしたんですか? 幸村さん」
「ん?…うん、何でもない……綺麗な紫陽花だから、ついため息がね…」
「ですよね?」
 自分の仲間を陥れることも出来ないし…こうなったら、このまま彼女には全てを伏せておくしかないのかな…
 止めなきゃいけない事は分かっているけど…ちょっとだけ彼らに便乗したい気持ちがあるのも事実だし…
(…今回だけだからね)

 君の幸せを望んでいるのは本心だけど…もう少しだけここにいてほしい。
 だから、今回だけ…俺達の悪巧み…大目に見てよ……






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