妹をヨロシク
「あ、見て見て! テニス部の皆さんよ」
「うわ〜、相変わらず格好いい〜〜」
その日、立海大附属中学の校舎の一角で、三年生女子がそんな言葉を小声で交し合っていた。
場所は彼女たち三年生の教室が並ぶ棟の廊下…そして彼女達の視線の先には、立海の男子テニス部レギュラーメンバーが廊下で立ち話をしている姿があった。
いつもは違う棟にいる筈の切原も見えるが、学年が違っても交流は深い彼らにとっては然程珍しいことではなかった。
「切原君もいるのね」
「でもやっぱり王者の貫禄よね…あそこまで格好いいと、何だか迂闊に近寄れない…」
そんな事を誰かが言ったところで、すぅっとその脇を抜けて、一人の少女が歩いて行く。
彼等がたむろしている廊下を通り抜けようとしているのか…
よく見ると体格も小さく、顔も幼いおさげの少女であり、見た目から低学年だった。
『…たまにいるのよね、ああいう空気読めない子』
『見た感じから、田舎モノじゃない?…なに、あのおさげ』
『まぁいいじゃない、単に通り過ぎるだけなら…』
人気者であるが故か、レギュラー達をやたらと神聖視する女子もいるらしい。
確かに彼等が揃っている場所には、誰であってもおいそれと近づいてはいけない…そんな空気が立海にあるのもまた事実。
それは彼らの邪魔をしてはならないという気遣いの陰に、女子達の互いを牽制し合うが故の裏の規律も含まれていた。
「…ってとこじゃな」
「へぇ〜、じゃあやっぱ今年の注目選手は…」
世界大会の選手達について談笑していたその立海テニス部レギュラーは、わいわいと相変わらず周囲の羨望の視線を完全に無視した状態で話し込んでいたのだが…
「――――…あっ、おさげちゃん!」
「おう、竜崎じゃ」
「竜崎が来たぞ!」
その瞬間、かつてない事態が起こった。
『!!!!!』
他の生徒達が目を剥く中で、メンバー達が一斉に視線をその少女に向けると同時に、ざっと身体を引いて、通路の十分な広さを確保してやったのだ。
それはまるで、十戒の海が割れるシーンにも似ていた。
そうしなくても元々彼女一人通る為の広さはあったのだが、『さぁ、通れ』と言う様に、彼らはより気を遣ってくれたのである。
「やぁ、竜崎さん。こんな所に一年の君が来るなんて珍しいね」
そして、メンバーの中で最も美々しい若者が優しい笑顔で少女に声を掛けた。
「あ、こんにちは幸村先輩…あの、今、お邪魔ですか? 見て頂きたい書類があるんですけど」
「うん、いいよ、どれ?」
「これです…先生に提出するように言われていたものですけど、これでいいか確認を…」
「…ああこれか、どれどれ…」
受け取った書類を幸村が確認している間に、今度はメンバー達が一斉に少女へと言葉を掛け始めた。
これまでは、女子相手では誰かから声を掛けられない限りは口を開かないのが常だった若者達が。
「新しい環境に馴染むのは大変だろうが、あまり気負うことのない様にな」
「はい、真田先輩」
「それってさ、例の書類だろ? 早く通ったらいいなぁ」
「そうですね、私も楽しみですよ、桑原先輩」
強面の真田に対してすらにこにこと笑顔で答える娘は、まるで物怖じする様子もなく男達と対等に話し合っていたが、やがて幸村がその子に渡されていた書類を返しながら頷いた。
「いいよ、これで問題ない。後は先生に届けるといいよ」
「早く受理されるように、俺からも手を回しておこう」
「さっすが柳先輩、気が利くッスね〜〜! 賛成賛成」
「楽しみですね」
参謀の言葉に切原や柳生も文句なく賛同の意を示している一方では、銀髪の詐欺師がそのおさげの少女の頭をよしよしと撫でている。
普段見せない詐欺師の朗らかな笑顔で、また周囲の生徒達は度肝を抜かれていたが、当人である少女はにこ、と自然に微笑み、素直に相手の優しさを受け取った。
「有難うございます、皆さん。じゃあ、失礼しますね」
「おう、また来てくれよな、おさげちゃん。絶対だぞぃ」
「はい」
そして彼女は、イケメン揃いの先輩達の空けてくれた通路を通って、その場から立ち去って行った。
辺りはしんと静まり返ったが、やはり若者達はそれには一切意識を向けようとせず、あの少女の後姿を見送っている。
そんな彼らに勇気を振り絞った女子の一人が声を掛ける。
「あ、あの…幸村君?」
「…ん?」
「今の子…って、下級生よね」
「ああ、そうだよ。俺達のね…妹」
「はい!?」
彼らの妹…って、素直に考えるとその時点で人間ではないのだが……
「まぁ勿論血は繋がってないんだけど、色々あってね、妹として面倒を見ているんだ……だから、ね」
一度言葉を切り、彼はすぅと相手の女子に何処か冷えた色を宿した瞳を向けて微笑んだ。
「…彼女が困っていたら、手を貸してあげてくれる? 俺達に教えてくれてもいいから。最近は何かと『いじめ』とか物騒な話題も多いからね…そういうの、俺達、一番嫌いなんだよ」
まるで、お願いと言うよりも、念押しという表現がぴったりだった。
そんな台詞を言った幸村の周りのレギュラー達も、同じ様に何処か冷めた表情をしている。
先程、あの娘に相対していた時の表情とはまるで違っていた。
「う…うん…いい、けど」
その彼らの威圧感に圧され、何も言えなくなってしまった女子はそう答える他になかった。
『恋人』ではなく『妹』と言われた以上、彼女には下手に手出し出来なくなってしまった。
もし下手なやっかみから彼らの『妹』に口や手を出した事がメンバーに知られると…どうなるかは想像に難くない。
「有難う…妹を宜しくね」
にっこりと笑って礼を言うと、幸村はまた相手の女生徒から離れてメンバー達の方へと戻って行った。
「いいのか精市…早速あんな事を言って」
そう言いながらも別に責める様子のない副部長に、幸村は微笑みながら頷いた。
「下手に黙っていたら彼女にどんな害が来るか分からないからね…あの書類が受理されたら晴れてマネージャーにもなる以上、ここは少し強く言ってでも牽制しておいた方がいいよ」
「…まぁ、今のでかなり効いたとは思うがのう…」
自分達が人気者である以上、その取り巻きたちの間で美しくない争いが繰り広げられている事は知っている…向こうがどんなに上手く隠しているつもりでも。
そんな争いに、可愛いあの子を…竜崎桜乃を巻き込ませる訳にはいかない。
「まぁ、いいんじゃないか? 俺達が妹として見ていると言えば、『恋人』という意味ではないという断りにもなるだろう」
「そうそう」
ジャッカルの言葉の後に丸井も頷き、そして彼らはにっと例外なく笑みを浮かべた。
『まぁ、言ってる分にはタダだし、嘘でもペナルティーがあるワケでもないしな〜』
いつか、妹としてではなく、もっと大事な存在として呼べたらいいな…と全員が企む、或る日の昼下がりだった……
了
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