情は人の…?
「うあっづう〜〜〜〜〜〜!」
今年もいよいよ日本列島に夏が到来!
梅雨の合間の晴れの日は、気温もさることながら湿度もガンガン上がり、ついでに人の不快指数もうなぎ上りとなる。
それは例え日々鍛錬に明け暮れるここ立海の男子テニス部でも例外ではなく、放課後の練習を始める前から、レギュラーの丸井は部室で思い切り愚痴を零していた。
部室には空調管理機能が設置されているが、部活動を始めるまでの無人上体では無論その機能は切られており、入室したばかりでは最早蒸し風呂にも等しい。
「いよいよ夏って感じですねぇ。温度計と湿度計を見るのが恐くなります」
部員が着替えを済ませた事を確認して入室してきたマネージャーである桜乃が、皆と同様に汗を浮かべながら今日のスケジュールを確認している。
「あーもー早いトコ梅雨明けろってーの! テニスは好きだけどこんなに暑くちゃ溶けちまうよぃ!」
「静かにせんか丸井、却って暑苦しいぜよ」
メンバーの中でも特に暑さを苦手とする銀髪の詐欺師などは、最早愚痴を言う気力すらもないのか、大声を出す仲間に進言しつつも、その声に力はない。
「確かに、ここ最近は毎年猛暑だからね…身体を鍛えていると言っても暑さに鈍感になる訳じゃないし」
部長の幸村も、丸井の苦情には一定の理解を示す。
その傍では、厳格な副部長が腕を組んでふむ、と小さく唸っていた。
「或る程度の鍛錬をしている俺達は、それでも普段は過剰な汗をかくことはないのだが、この炎天下で練習をやるとやはりかなりの発汗を伴う。合間の水分補給は欠かさず行わなければな」
「ウェアーの交換もな」
「…そう言えば」
副部長に続いたジャッカルの言葉に、桜乃は何かを思い出した様にくるんと振り向いた。
「練習の最中に皆さんを見ると、ウェアーがびっしょり濡れてますよね…本当に色が変わってしまっているぐらい」
「軽く絞るだけでも汗が零れるからな〜、ベタつくし肌に纏わりつくから、どうしても休憩時にアンダーごと着替えたくなるんだ」
切原がようやく涼しくなってきた部屋の中で桜乃に説明すると、彼女はふむふむと何度か頷いて、レギュラー全員を見回した。
「じゃあ、皆さん全員、休憩時には着替えをされてるんですか…私は丁度水分補給のお手伝いをしていましたから、気付きませんでした」
「まぁそうだが、知らなくても支障はないぞ? 俺達が着替えている所にお前にいてもらっても、正直困るだろう」
流石に上半身の着替えのみとは言え、年頃の娘には過ぎた刺激だ、と柳が気遣い、それには桜乃も顔を真っ赤にして手を振った。
「い、いえいえいえ、そういう意味ではなくて…ええと」
気を取り直し、少女はにこ、と笑ってレギュラー全員に一つの申し出をした。
「じゃあもし宜しければ、練習に行く前に、ウェアーとかを机の上に出しておいて下さいませんか?」
「へ?」
「何で?」
当然、切原や丸井が不思議そうにその理由を尋ね、他のメンバー達も同様の反応だったが、その時は桜乃は理由の明言を避けた。
「まぁ、それは後のお楽しみってコトで…あまり大した事は出来ませんけどね」
『???』
よく分からないな、と思いつつも、レギュラー陣は全員で顔を見回し、取り敢えずは桜乃の言う通りにしてみた。
彼女の性格から、悪戯とか、彼らの不利益になるような真似をするとは思えないし、特に嫌がったり断る理由もないからだ。
「それでは、ここに置いておきましょう」
「何するか知らないけどさ、後でちゃんと種明かししてくれよな、おさげちゃん」
「はい、でも種明かししなくてもすぐに分かりますよー」
にこにこっと優秀なマネージャーは笑みを零しながら、ウェアーを委ねてくれたメンバーに礼を述べると、彼らを元気に練習へと送り出した。
暑い暑いと言っても、それにかまけて練習で気を抜く様なだれた部員が一人もいないのは、流石に王者立海の気概である。
コートに立つと彼らの口から愚痴は一切姿を消し、代わりに普段と変わらぬ闘争心が剥き出しになる。
それだけ一心不乱に動くからこそ、休憩を取る時には、まるで滝の下にいたようにウェアーが濡れてしまっているのも当然の話だった。
「よし、休憩にしようか」
幸村の一声で、レギュラー達がぞろぞろとコートの外に出て、そこに待っていた桜乃が彼らに冷えたペットボトルを手渡していく。
「お疲れ様でした、どうぞ?」
「ひゃー、あっちいあっちい」
「うわ〜気持ちい〜!」
休憩になれば再び熱いコールが復活し、彼らは桜乃から受け取った水分を早速摂取してゆく。
「えーと、後はお着替えですよね。今すぐに準備しますねー」
「? うん…」
何だろう、と思いつつ彼女を見る幸村の視界で、桜乃は一足先に部室へと入っていった。
「何じゃろうなぁ?」
「練習の間にも別にいつもと変わらない様子だったがな…」
不思議だなぁと思いながら彼等が部室に遅れて入ると、そこに丁度彼らのウェアーを重ねて持った桜乃が立って彼らを待っていた。
「はい、これが幸村先輩ので…これが真田先輩。丸井先輩、どうぞ?」
「うん…あれ? これって…」
「おっ…」
皆がその着替え分を持って何かを感じている間に、全てを配り終えた桜乃はいそいそと部室から一時席を外した。
「じゃあ、効果が消えない内に、早めに着替えて下さいね〜」
彼女の姿が消えたところで、皆が着替えをすると、辺りから口々に嬉しそうな歓声が上がった。
「うっひゃ〜〜! 何だコレ、きもちい〜〜〜!!」
「これは涼しいのう」
「一気に汗が引いてくッス! つめて〜〜!」
「…ふふ、成る程ね」
そして全員が着替えを終えて、桜乃が再び入室…
「どうですか?」
「すっげー気持ちいかったー! 着た瞬間ひんやりしてさー!」
丸井が上機嫌で喜びを訴える脇で、柳が納得した様に頷いた。
「ふむ…冷蔵庫で冷やしていたのか」
「種明かしをするまでもないですね。ほんの数分間しかもちませんけど、ちょっとだけでも涼をとってもらえたらって…子供騙しでした?」
余計な事をしたかと不安げな顔を見せた桜乃に、幸村がふるっと首を横に振って笑った。
「いや、凄くいいリフレッシュになったよ。メンバーも大喜びだったしね」
「サンキューな竜崎! 明日もこれやってくれよ!」
「俺も俺もー!」
結局、全員が今後も同様のサービス(?)を希望し、桜乃はそれを喜んで引き受けた。
「じゃあ、希望する方は明日から、ウェアーを机の上に出しておいて下さいね」
そう言って、再び後半の練習の準備の為にコートへと出て行った桜乃の後姿を見送ったメンバー達は、実に満足げな笑みを浮かべていた。
「…いい子だね」
「こういうちょっとした心配りが嬉しいんだよなぁ」
「そうだな…確かに、俺達は良い妹分とマネージャーを手に入れた様だ」
幸村やジャッカル、柳がそんな台詞を述べた後、誰ともなく全員が視線を交わし…
『やっぱこんな可愛い妹を、他の野郎に渡す訳にはいかないよな!!!』
と、改めて密かに一致団結。
細やかな気配りが出来て情が深い少女は、どうやらこれからも優しい兄達にがっちりガードされていくようである。
それが幸運なのか不運なのかは…まだ誰にも分からない…
了
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