幸せの種
その日、桜乃がいつもの様に通学路を歩いている時だった。
「…あら?」
よく気をつけなければ見つけられない程のささやかな異変に気付いたのは、全くの偶然だった。
「あ、たんぽぽの種…」
自分の視界にふわっと入ってきた小さな旅人は、ふわふわと心地良い風に煽られながら、青空をバックに当て所もない旅を続けていた。
アスファルトの地面につくかと思えば、上昇気流に煽られて再び空へと舞い上がり、またふらふら、ほわほわ…
(うわわ…だ、大丈夫かなぁ…)
何故か…手を出してはいけない、邪魔してはいけないという心理が働き、手を出さないまでも桜乃は彼の行く末が非常に気になり、いつの間にかその後を同じ様にふらふら、ほわほわと危なっかしく歩き出していた。
(頑張れ〜、頑張れ〜〜)
せめてここのアスファルトではなく、何処か柔らかな地面の上に…出来たら川辺の野原がここから一番近いんだけど、結構距離があるからなぁ…
心配しながら、桜乃はたんぽぽの種を見上げながら、必死にその後を追いかけた。
きっと彼女の行動を見ている人々は何事かと思っただろう、が、今の彼女にそこまで気を向けるゆとりはない。
(何とか…何とか、あの子がちゃんと育つ場所に辿り着いてくれないかなぁ…ああ、でもまた通学路に戻っちゃった…)
種にばかり視線を向けて、ふりゃふりゃと歩いていた桜乃の視界に、白いシャツが見えたのはその時だった。
「え…っ」
それと同時に、ひゅうんと風が種を後押しする様に吹きつけ、旅人は一気にシャツを着た人物へと向かって飛んでゆき…
ぺた…
彼のシャツにぺったりと、綿毛ごと、張り付いてしまった。
「あ…」
「ん…?」
桜乃の小さな声に気付いたシャツの人物が振り返ると…
「あれ、竜崎さん?」
「幸村先輩!?」
それは、自分の先輩でもある男子テニス部部長、幸村精市だった。
無論、彼は自分のシャツに旅人がお邪魔していることなど知らず、桜乃の方にだけ注意を向けて首を傾げた。
「お早う、早いね」
「お、お早うございます、幸村先輩…ええと、そのう…ちょっと失礼します」
取り敢えず挨拶を済ませると、桜乃は早速相手の背中側へと回り込む。
「え…? な、何…?」
いきなりの桜乃の奇妙な行動に戸惑いながら、幸村は足を止めて、自分の背中側へと顔を向けた。
「…あ、いたいた」
「?」
ようやく目的を成し遂げたのか、桜乃は再び幸村の正面へと戻ってきて、にこりと相手に笑いかけた。
「…幸村先輩って、やっぱり草花にも好かれているんですね」
「ええ…?」
何がどうしたのか全く話が分からない幸村に、桜乃がそっと綿毛の部分を大事そうに摘まんだたんぽぽの種を見せた。
「うふふ、追いかけてたんですよ…そしたら、幸村先輩のシャツにぴとって…」
「あ…たんぽぽの種だね」
そこにきてようやく話が見えてきた幸村も、種を覗き込むようにしながら微笑んだ。
「ちゃんと育てる処に行けるか気になって…でも幸村先輩を選んだあたり、しっかり者ですね!」
「ふふ…そういう事か…」
にこ、と笑うと、幸村はごそっと自分のポケットを探り、白いハンカチを取り出してそれを開いた。
「じゃあ、ここに置いて?」
「え…は、はい」
促され、桜乃がちょん、とそこに種を置くと、幸村は大事そうに再びハンカチを畳んで、今度はそれを鞄の中にしまい込んだ。
「…幸村先輩?」
「丁度、ウチに空いてる植木鉢があったんだ…帰ったら早速、植えることにするよ」
「ええ!? 植木鉢で!?」
「うん」
まさかそこまで過保護に育ててくれるとは!と驚くことしきりの桜乃に、幸村は鞄から彼女へと視線を移して優しく笑った。
「君が気に掛けてた子なら当然だよ。それに、そこまで期待されたら応えない訳にもいかないだろう?」
「あう…そ、れは…そのう…嬉しいです、けど…」
照れながらも、相手に気を遣わせてしまった事に言葉を失くしてしまった桜乃に、優しい若者はぽんぽんと頭を撫でてやる。
「俺も楽しみだよ…さ、折角会えたんだ。学校まで一緒に行こう」
「は、い…」
それから桜乃は、幸村に大事にエスコートされながら、学校へと向かっていった……
そして、数日経った或る日…
「さて、そろそろ学校に行かなきゃ…」
いつもの様に学校へと向かうべく、桜乃が鞄を持ったところで、彼女のポケットの中の携帯電話がメロディーと振動を伝えてきた。
「あら…? メール?」
こんな朝から誰かしら…
思った桜乃が早速それを開いてみると…
「…あ!」
添付された写メには、植木鉢の土の上にぴょこんと顔を出している新芽の姿が写っていた。
『芽が出たよ』
「…送信完了…っと」
そのメールを桜乃に送った幸村もまた、そろそろ学校に出ようかという出で立ちで、自身の部屋の窓際に立っていた。
日当たりのいい屋内に置いてもらって、あのたんぽぽの種はすくすくと無事に成長の真っ最中らしい。
幸村は、その新芽と、自分の携帯の画面を何度も見比べて、面白そうに笑った。
「…当分は、育児日記になりそうだな…俺の携帯」
ある程度育ったら、この子を見せる名目で彼女を家に呼ぶのもいいかもしれない…
きっと、嬉しそうに笑ってくれるだろう…たんぽぽの様に可愛い笑顔で…
そしてその笑顔を、自分は独り占め出来るのだ。
そう考えると、このたんぽぽの種は、幸せと一緒に自分のところに飛び込んできてくれたのかもしれないな…宿代代わりに。
「…有難う」
新芽に向かって礼を述べると、幸村は学校へ向かうべく、ゆっくりと部屋を後にした。
いつかここに、一人の少女を招く日を願いながら……
了
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