大胆なのか横着か?


 夏も過ぎ、秋の訪れを感じさせる或る日の立海…
「良い天気でよかったですねぇ」
「うむ、これなら紫外線殺菌の面でも申し分ないだろう」
 海林館の屋上に設置してある手すりに、幾枚かのマットを布団のように掛け終わり、桜乃は一緒に作業を行った柳と微笑み合っていた。
 今日は年に数回行われる運動部の備品を確認、点検する日であり、彼ら立海テニス部も昼休みなどを利用して、割り当てられた作業をこなしている。
 その内の一つが、倉庫に収納されているマットの虫干しを兼ねた乾燥であったのだ。
「後は、放課後に取り込んだら大丈夫ですよね?」
「今日の降水確率はゼロパーセント、湿度も乾燥には問題ないレベルだからな…手伝ってくれて有難う、竜崎」
「いいえー、じゃあ放課後も取り込みに来ますね。ええと、取り込みも柳先輩の係なんですか?」
「いや、俺は他の作業があるからな。確か、赤也が割り当てられていた筈だ。もしサボる様子があれば、遠慮なく報告してくれ」
「だ、大丈夫ですよ…多分」
「…お前は優しいな」
 あの後輩のサボリ癖については、少し付き合えばよくよく分かりそうなものだが、それでもこの娘は相手を信じようとしている。
 それは確かに人として美点なのだろうが、時に騙され、痛い思いをする事にも繋がるのだが…
(まぁ、もしそんな真似をしたら、俺でなくても誰かがもれなく止めを刺してくれると思うがな)
(…何だかたまに柳先輩の沈黙が恐い時があるんだけどなぁ…気のせい?)


 そしてあっという間に放課後に…
「あ、切原先輩、先に来ていたんですね」
「おー、竜崎か。これか? 取り込まなきゃいけないマットってさ」
「はい、そうです」
 海林館の屋上に桜乃が向かった時には既に係である切原が先に到着しており、干されているマットをぐるりと眺め回していた。
「結構な数だなぁ、それにマットって重いし…あーめんど」
「うふふ、確かにそうですけどね…うん、よく乾いてる」
 マットに触って太陽の光を十分に受けている事を確認すると、桜乃は一番小さなそれを抱えようとしたところで、重要な事実を思い出した。
「あ、いけない…下の倉庫の扉、開けてなかったっけ」
 閉まったままでは、例え持って行ってもそこで通せんぼされてしまう。
 まぁ一度マットを降ろしてから扉を開けてもいいのだが、何となくそれだとマットの上げ下ろしに余計な体力を使うし手間もかかりそうだ。
 これはやはり、先に扉を開けておくのがいいだろう、と、桜乃は身を翻した。
「切原先輩、一回下に降りますね。すぐに戻って来ますから!」
「んー? ああ」
 対する切原は、まだ面倒臭そうにマットの一群を眺めており、桜乃が屋上から姿を消した後もぶつぶつと何事かを呟いていた。
「一枚一枚運ぶのも面倒だよなぁ…何往復しなきゃいけないんだっての…ん」
 そう言ったところで、彼は柵から身を乗り出し、下の舗装された通り道を見つめた。
「…ま、結局下に運べばいいんだよな?」


 それから程なく桜乃が再び屋上へと戻ってくると…
「お待たせしました切原先輩! じゃあ、早速運んで…あれ?」
 屋上には切原はいたものの、その場は数分前に自分が見た景色と大きく異なっていた。
 あれだけ柵に掛けられていたマットが、一枚を残すだけで他のは姿形も見えなくなってしまっていたのである。
「あ、あれあれっ? 他のマット…って、どうしたんですか?」
「ああ、適当に運んでおいた」
「適当…って」
 マットが消えてしまった柵を呆然と眺めていた桜乃が、再度切原へと視線を戻すと…
「…え?」
 今度は、あの残されていたマットと一緒に、切原本人の姿までもが忽然と消えてしまった。
「えええええっ!!」
 慌てて桜乃はその場に走り寄ったが、やはり彼の姿はもうその場にない。
 これはもしかして…いや、それしか考えられない!
「きゃああああああああっ!! 切原せんぱ――――いっ!!」
 屋上から落下してしまったに違いない!と確信した桜乃は、真っ青になって大慌てで一階へと駆け戻って行き、出入り口へと走って行った…ところで、
「ただいまー」
と、呑気にマットを頭上に掲げて、切原が何事もなかった様にそこから入って来た。
「〜〜〜〜〜〜!!!!……―――――――っ」
 ショックによく耐えた少女だったが、残念ながら彼女の気丈な精神もそこが限界だった……


「あ〜か〜や――――っ!!! 貴様の頭の中には、夏休みに採ったセミかカブトムシでも詰まっている様だな〜〜〜〜っ!!」
「ぎゃああああ! 副部長の顔が恐い〜〜〜〜っ!!」
 その後、事の顛末を聞いた真田を含めた他のレギュラー達は、一方では切原の行為に呆れ返り、もう一方では桜乃のあまりにも不条理な不幸を心底哀れんでいた。
「竜崎の心臓を止める気かの…はぁ、本当に気の毒に…」
 気を失ってしまった桜乃を部室で寝かせ、よしよしと労わっている詐欺師達の向こうでは、先程から副部長の真田が怒り心頭の様子で切原を怒鳴りつけていた。
「幾ら取り込みが面倒だからとは言え、全てのマットを落とした挙句に自分まで上からダイブするとは何を考えとるんだーっ!! 聖人君子になれとは言わんが、どうして一般人の様にすら振舞えんのだ貴様は〜〜〜〜〜っ!!」
「えっ? 一般人って、クッションあっても飛び降りたり出来ないの?」
 信じられないことに、この切原のボケ…どうやら本気らしい。
「〜〜〜〜〜〜!!」
 どうやって分からせてくれようかとわなわなと震えている真田の隣で、じっと沈黙を守っていた部長の幸村が、前触れなくぼそりと口を挟んできた。
「俺が入院中に医師からこっそり聞いた話なんだけど…ビルから落ちた患者の知らせを受けた時って、先ず最初に『何階から落ちました?』って、聞くんだってね…」
「…?」
 脈絡もなくそういう事を言い出した部長に、全員の視線が向けられる。
「…三階ぐらいまでだったら何とか助かるレベルなんだけど、四階以上になったら一気に救命率が下がるかららしいんだよ…四階からですって聞いたら『あーもう難しいかな』って思うらしい…ところで、切原…」
 ふっと、薄い笑みを浮かべつつも何処か空恐ろしさを感じさせ、幸村がさらりと最後通牒。
「今度こんな横着な真似をしたら、マットと一緒にビルの二十階ぐらいから心中してもらうからね」
「ごめんなさい、もうしません」
 速攻で謝った後輩の後ろで、丸井ががくがくと震えながらジャッカルのウェアーの袖を引っ張った。
『ねぇ四階はっ!? 四階の例えは何処行っちゃったの!? ねぇっ!』
『…五倍死んどけってコトかな…多分』
 応えるジャッカルも同様に青い顔をしており、隣の柳生は眼鏡に触れながら頷いた。
(まぁ、日本語的には合っていませんが、言わんとする事は物凄く伝わってきますね…)
 余程、桜乃に下手なショックを与えたことが気に障ったらしい…

 しかし、以後、幸いにと言うべきなのか、切原が同じ様なマットの取り込みなどの役につく事はなかった。
 火のない処に煙はたたず…
 何処からか彼のそういう所業が校内に広がることとなり、生徒会が人身事故を恐れ、男子テニス部に同じ作業を依頼することが無くなったのである……






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