マネージャーのお仕事


 竜崎桜乃…青学から立海に転校した中学一年生。
 彼女は転校して間もなく、男子テニス部の部長に請われてマネージャーの任へと就いた。
 全国的に有名な実力校でもある立海のマネージャーとなると、双肩に掛かる責任も並ではなく、決して楽な仕事ではない。
 特別な能力に秀でている訳でもない娘ではあったが、レギュラー陣を始めとする部員達の協力もあり、持ち前の努力でその仕事を確実に一つ一つ覚えていった。
 マネージャーとしての心得などを主に教えるのは参謀でもある柳だったが、彼ほどの人物でさえも『努力家』と言わしめていることから、桜乃の心意気が伺える。
 しかし、桜乃は単にマネージャーとして、事務的な仕事だけをこなしている訳ではない。
 もっと重要で、彼女しか出来ないこともここにはあるのだ……


「も〜〜〜〜あったまきたーっ!! 石頭のテメーなんかも〜〜知らねーかんなっ!」
「こっちこそだ! 腹に据えかねてるのはこっちも同じだーっ!」
 或る日の放課後…立海のテニス部部室内ではそんな言い争う声が辺りを憚る事無く響いていた。
 丸井とジャッカルだ。
 どうやら、ダブルスの戦法について互いに協議していたところで、意見の不一致があったらしい。
 日常生活では、やんちゃな丸井とは対照的に温和なジャッカルが引く場面が多いのだが、事がテニスとなるとそうはいかない。
 真剣に取り組むだけ互いに妥協出来ないとなると、言い分が真っ向から衝突することもあるのだが、今日のそれはまた一段と大きなもののようだった。
「まぁまぁまぁ、随分大きな声ですねぇ、外まで聞こえますよ」
 そこにそっと割り込んできた、二人のそれとは大きく異なる落ち着いた声音に、彼らが一時舌戦を中断して注意を向ける。
「おさげちゃん? うん、今取り込み中」
「おう、竜崎か、止めないでくれ。今回ばかりは流石の俺も…」
 尚も続けようとする二人の傍にあったテーブルに、桜乃がとんとんとんっと湯のみ二つと菓子入れの器を置いた。
「熱心なのはいいことですね、でも、声ばかり出してると喉も渇きません? ちょっとだけ休憩したらどうでしょ?」
「……」
「……」
 上手いタイミングで上手い具合にそう勧められた二人は、少女の好意を無碍にする訳にもいかず、取り敢えずは茶を飲みつつ茶請けの煎餅をかじり出した。
「大体お前の言い分はなー…」
「そっちも結構無茶言ってんだよぃ…」
 ばりばりばりばりばり……
 言い合いは依然続いていたが、お茶と煎餅の効能か、先程までのぴりぴりとした空気は払拭されており、頭に血が昇っていた二人の心にも多少落ち着きが戻ってきた様だ。
 この調子なら、激しい討論が無意味に傷つけあうばかりの喧嘩になる事はないだろう、後は上手く互いの言い分を理解し合って、絆が強くなることを願うばかりだ。
「ふぅ…」
 これで一安心だと胸を撫で下ろしていた桜乃だったが、その安寧は長くは続かなかった。
 一難去ってまた一難。
「今日と言う今日は、私も言わせて頂きます」
「ほーう、望むところじゃ。因みに俺には世間の常識は通じんからのう」
 今度は別所でもう片方のダブルスペアである柳生と仁王の対立。
 理由は…多分最初の二人とそう変わらないと思われる。
「まままままま、まぁまぁまぁ〜〜〜〜っ!!」
 そこに再び、桜乃がお茶と茶菓子を抱えて出動。
 世の争いの殆どは、腹を満たすことで解決出来ると言ったのは誰だったか…
 別に自分が悪い訳でもないだろうに、当人達より気を遣いつつ仲を取り成しに入った彼女を、少し遠巻きに幸村と真田が見つめていた。
「…家族や恋人の仲をペットが取り持つ話はよく聞くけどねぇ」
「ペットとは違うが…言いたい事は理解出来る」
 桜乃がマネージャーになって以降、こういう事態が生じるのは、実は今回が初めてではない。
 当初同じ事態が生じた時に、自分達の想像以上に厄介な役目を押し付けてしまったのではないかと懸念した事もあったのだが、驚いたことに彼女はその難題を、こちらの予想より上手にこなしてしまったのだった。
 どうやらあの小さな娘は、まだ自分でも気付いていない才能を隠しているようだ。
 今も、話している間に桜乃の懐柔作戦が成功に向かったのか、あの二人の言い合いも落ち着いたそれになりつつある。
「彼女に言われたらつい聞いちゃうんだよねぇ。しかも、わだかまりが残る前に間に入って仲裁する、あのタイミングを図る能力は天性のものだ、あればかりは人が教える事は出来ない…こういう言い方は好きじゃないけど、いい人材だよ」
「その分、本人の気苦労が気に掛かるがな」
 少し気の毒に思っているらしい副部長に、部長も反論せずにあっさりと頷いた。
「そこは俺達で出来るところを努力しよう…そう言えば、君は仲裁に入られたことはないの? 弦一郎」
「入られる前に、大体は俺の拳骨で片がつくからな」
「…それってあんまりじゃないッスか?」
 いつの間に来ていたのか、後ろにいた切原がぶすっとふてくされた顔をしながら真田の台詞を咎めたが、相手は一切の情を挟まずすっぱりと切り捨てた。
「自業自得だ」


(つ、疲れる〜〜〜〜…マネージャーって結構大変なんだなぁ…あ、そろそろまたお茶菓子補給しとかないと…)
 一仕事、二仕事終えた桜乃は、お盆を抱えたままよろよろとコート脇のベンチへと戻ってきた。
 そこには、データノートをいつもの様に開いて、部員達の状態を逐一細かく確認している柳が先に座っている。
 主に参謀から様々な事を教えてもらっている桜乃は、やっていた仕事が終わると大体は彼の傍に戻って、また色々な教示を受けられるように控えるのだ。
 覚える事もやる事も、まだまだ山ほどある…と分かってはいるのだが、今のような大仕事が続いてしまうと流石に……
「はふぅ…」
 思わず出てしまった大きな溜息に、桜乃が慌てて口を両手で押さえた。
(わ、いけない! こんなところで…っ)
 部活中に溜息なんて、不謹慎だって注意されちゃうかも…と、思っていた少女だったが…

 さわ…

「…?」
 頭に何かが柔らかく触れた感触に、ふ、と視線を上げると、隣の柳がノートを見つめたまま、手を自分の頭に伸ばして優しく撫でてくれていた。
(柳先輩…?)
 戸惑う間にも、柳は口元に微かな笑みを浮かべ、しかし視線はノートから外さず、桜乃の頭を撫で続けている。

 なでなでなで……

「…えへ」
 さっきまで疲弊を感じていた心に、元気の素が注がれてくるような気がする。
『よくやったな』って言葉が、聞こえてくるような気がする。
 マネージャーとして頑張ったこと、褒めてくれてるのかな…
 私には参謀として厳しく教えないといけない立場だから、あまり表立って褒める事は出来ないのかもしれないけど…でも、ちゃんと見てくれてるんだ。
 この人が見てくれているなら、私もしっかり応えていかないと。
「…頑張りまーす」
「うむ」
 何を、と語ることもなかったが、桜乃のその言葉に、全て察しているとばかりに参謀は頷いた。
 空は青く、陽気はぽかぽか。
 今日も立海テニス部は、優しいマネージャーのささやかな心配りに守られてすこぶる平和である…






戻る
サイトトップヘ