お前の望むまま


 氷帝学園の生徒会長である跡部景吾は、その日の昼休みも数多くの議題を手早く振り分けては、認可出来るものから片付けていた。
「こっちの予算は前年の結果と比較し、効果が上がっていたら認めよう。無駄金を使うぐらいなら、もっと伸びる奴らの為に使った方が有意義だ」
「はい、会長」
「それとこの意見は俺だけでは決められん。次の総会で上げる旨を告知しておけ」
「はい」
 他の生徒会の役員達が彼の指示に従って次々と動き、会長室はさながら前線の司令塔の様相を呈している。
 無論、普段からこんな状態ではないのだが、採決が溜まる時期はどうしても生徒会は多忙となる。
 それでも愚痴一つ言わず前面に立って陣頭指揮を執っていた跡部は、摂り合えず自分の目前に積まれていたほぼ全ての案件を片し、部屋から生徒会の役員達を退出させると初めて軽く息をついた。
「ふぅ…少しは机上が見られるようになったか…あと、決めないといけないのは…」
 まだ残っていた書類の一枚を取り上げ、小さく読み上げる。
「…修学旅行の内容についての案件、か…」
 そうか、一年生の旅行が控えているのだったな…
 この氷帝学園は世界に通じる人材の育成を目標として掲げている為、世界の広さを実感させる為にも修学旅行も海外の何処かの国から選ばれる。
 最近は多くの学校が海外に目的先を求めているらしいが、この氷帝は、行き先もさることながら、内容の密度についてもかなり高水準という噂だった。
「一年生…と言うと…」
『あの、失礼します』
 ふっと一人の生徒の姿が脳裏に浮かぶと同時に、その者の声がタイミングよく部屋のドア越しに聞こえてきた。
「…ああ、入れ」
 絶妙のタイミングだな、と唇を歪めて許可をすると、ドアが開かれてその向こうから一人の女生徒が入って来た。
 幼い顔立ち、細い身体、長いおさげを持つ少女…竜崎桜乃だ。
 元々は氷帝のライバル校でもあった青学の生徒だったのだが、テニス部を通じて跡部が彼女と知り合い…
『お前、ウチに来い』
『はい…?』
 自分でも何かあったのかよく分からないまま、桜乃は氷帝に転校してしまっていた。
 青学の教師でもある祖母の許に跡部が訪ねて来ていたのは目にしていたが、実はそこで学費やら何やら大人の問題について相談されていたらしい。
 色々あったが、桜乃は氷帝に転校後、何かと跡部に気にかけられ、ようやく最近ここの生活に慣れてきたところである。
 詳細はよく分からなかったが、自分が彼に世話になっているらしいという事実は理解出来ており、それを恩義に感じてか、彼女は校内でさり気なく相手のことを気遣って、自分の出来る範囲で彼の力になろうと努力をしていた。
「お仕事、終わられたみたいだったので…コーヒー淹れましょうか?」
「ああ、貰おう。喉も渇いていたところだ」
 今もどうやら仕事の区切りを察して差し入れに来てくれたらしい。
 彼女はこちらへと歩いてくると、部屋に備え付けられていたメーカーで手際よくコーヒーを淹れ、芳しい香りを放つそれの入ったコーヒーカップを、ソーサーと一緒にテーブルの上に置いた。
「お疲れ様です、跡部さん」
 本当は跡部先輩と言うべきなのだろう、事実、最近まで自分はそう呼んでいたのだが、相手が堅苦しいと嫌がり、今の呼び方になっている。
 実は、更に詳しく言うと名前で呼べ、と要望があったのだが、流石に恥ずかしいと少女が恥らうことしきりだったので、摂り合えず、跡部が間を取って妥協した形で落ち着いたのだ。
「お仕事、もう全部片付いたんですか?」
「まぁ、概ねはな…ところで、氷帝には少しは慣れたか?」
「はい、さっきもお友達とお話していたんですよ?…丁度、一人が持っていた本で、一緒に動物占いやったり…」
 にこ、と笑って答える少女に、聞いた後でも男は怪訝な表情を解かなかった。
「動物占い?」
「幾つかの質問に答えて、自分がどの動物になるかで性格とかを見るんです、結構面白いですよ」
「占いねぇ…俺様には関係ねぇな」
「うふふ、跡部さんがそういうのに頼るって想像出来ませんね」
「当然だ、そんなのを気にしている間に別の問題を解決した方が余程有意義だ…まぁ女がそういうものが好きなのは知っているし、人の好みに口出しをしようとは思わねぇがな」
 そう言いながら、跡部はコーヒーを一口含みつつ、改めて手にした書類をじっと見つめていた。
 そして徐に…
「ところで…」
「?」
「…お前は、コアラとパンダと、どっちが好きだ?」
「はい?」
 いきなり何だろう…その選択の基準は…?
 動物占い繋がりだろうか、と思った桜乃は首を傾げて尋ね返した。
「えーと、動物占いは、動物から決める訳じゃないんですよ?」
「誰が占ってやると言った。単純な質問だ、いいから答えろ」
 相変わらず俺様な若者が何を考えているのかはよく分からないが、桜乃は素直に彼の疑問に答えるべくじっと少しだけ考え込んだ。
「ええ、と…どっちも可愛いですけど……パンダって結構大きいし獰猛らしいので、私としては抱っこ出来るコアラさんの方が好きかなーなんて…」
 そう答えたところで跡部を見ると、彼は既に机上に設置してあった電話の受話器を取り上げて何処かへ連絡を取ろうとしていた。
「…ああ、俺だ。今年の修学旅行の行き先は、オーストラリアに決定する」
(ええ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!)
 思わず悲鳴を上げそうになった桜乃の目の前で、更に生徒会長は俺様命令を指示。
「オプションにはコアラを抱けるツアーを必須で入れておくように、以上」
(まさかまさかまさか〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!)
 少女がだら〜〜〜っと嫌な汗を流している向こうで、あっさりと受話器を置いた跡部は相手に向かってけろりと言った。
「まぁ、存分に楽しんで来い」
「やっぱり私が決定スイッチ押しちゃったんですかぁ〜〜〜〜〜〜!!??」
 つまり、最終候補として中国とオーストラリアが残っていたということか。
 でもまさか、動物占いもどきからそんな決め方をするなんて〜〜!
「あううう…他の一年生の皆さん、ゴメンなさい…」
 しくしくと泣きながらこっそりと詫びる桜乃の姿に、跡部は、ん?と軽く首を傾げた。
「何だ、そんなに嬉しかったか?」
 流石、帝王…自分がどれだけスケールのデカイ事をしでかしたのか自覚もないらしい。
 きっと自分の為を思ってしてくれたのは間違いない、間違いないから、有難く受け取るしかないのだろうけど、庶民の自分はまだちょっと慣れない部分が…
「あ、有難うございます〜〜〜…」
「まぁ転校して慣れないこともあるだろうからな。心細かったり困った事があったらすぐに俺に言え、大体の事は対処してやれる」
「な、何とか自力で頑張らせて下さい…」
「?」
 図らずも帝王の寵愛を受けることになった庶民派の姫は、彼の優しさに感謝しながらも、これからも実感する事になるだろう彼の器の大きさを思い、嬉しさ半分不安半分だった…






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