それなりに仲良し
「ふぇっきし!!」
「きゃ! お、お兄ちゃん?」
その日の朝、立海大附属中学校二年生の切原赤也が、居間に下りて大きなくしゃみを一つすると、その場に居合わせた妹が驚いて振り返った。
「びっくりしたぁ…赤也お兄ちゃん、今日は早いね」
「おー、桜乃。相変わらず無駄に早起きだなー、年寄りみてぇ」
ぐすっと鼻を鳴らして切原がぞんざいに言うと、妹の桜乃はぷーっと頬を膨らませて早速抗議。
「むーっ、もう朝ごはん作ってあげないよ〜」
「へいへい…なーんか勝手に目が覚めちまったんだよなぁ、まぁ朝練に遅れないのはいいけど」
「いつもこのぐらいに起きてくれたらいいのに、遅刻しないで済むよ?」
「やだね、寝る子は育つんだよ」
「どーせゲームの腕しか成長しないくせに〜〜」
「うっせ」
せめてもの苦言に軽く返した切原は、いつも朝は座ることが滅多にない自分の席に着席した。
朝錬に遅れると騒ぎながらばたばたと家を出て行くのがほぼ日課となっているので、こういうのんびりした朝食時間は珍しいのだ。
「ありゃ? お袋は?」
「何か隣の奥さんと外で長話してるみたい」
「ふーん」
まぁいいかと早速トーストに手をつけ始め、以後は無言で食事を始めた赤也の向こうでは、桜乃はつめつめ…とお弁当のおかずを弁当箱に詰める作業を行っている。
自分と兄の分だが、赤也の弁当箱は彼女のそれの裕に二倍の大きさはあった。
「ちゃんとお野菜も食べないと駄目よ、お兄ちゃん」
「肉、割り増しでよろしく。代わりに貴重な野菜はお前に譲ってやる」
「…お兄ちゃんの恋人になる人、可哀想…ああ、どうせいないからいいよね。もし出来たら、『不出来な兄だけど、どうか見捨てないであげて!』って私からもお願いしてあげる」
「やかーしーっ!」
こういうやり取りもいつもの事。
何だかんだと文句を言いつつもしっかりお弁当を作ってあげた桜乃が彼の鞄にそれを入れてやったところで、丁度いいタイミングで切原が席を立った。
「ごっそさん、んじゃぼちぼち…」
「え?」
何気ない相手の言葉に、しかし妹は怪訝そうに振り返った。
「…お兄ちゃん、今日、あまり食べてないね」
確かに、普段は完食が当たり前の彼のプレートには、半分残されたおかずが乗ったままだ。
「あー、何かいつもより食欲ないって言うか…味付けもちょっと違うしさ」
「え、いつもと同じだよ?」
おかしい、と思いつつ桜乃は相手の様子を伺ったが、向こうは構わずに鞄を持ち、学校に行くべく玄関に向かう。
「弁当サンキューな、んじゃ行くわ」
「う、うん、気をつけてね」
片付けもあるので同行出来ない妹は、いつもと違う兄の様子を気遣ったが、それが気のせいではなかった事が判明したのは帰宅後のことだった。
「げほっ、げほっ…」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
帰宅した兄は、明らかに普段とは違う様子で、咳を繰り返しながらソファーに身を投げ出していた。
何とか部活の練習までは乗り切ったが、そこまでが彼の限界だったらしく、今日は寄り道もせずに家へと直帰したのであった。
「あ〜〜、かんっぜんに風邪ひいた〜〜」
「風邪って…」
傍についていた桜乃は、そこで壁に掛かっていたカレンダーをばっちり確認した。
「……夏じゃないのに?」
「オメーがお兄ちゃんを普段どういう目で見ているのかはよっく分かった」
そーだよな、夏風邪はバカがひくって言うもんなー、と張り合う事もなくそのままソファーにふて寝してしまうところを見ると…どうやら本当に具合は悪いらしい。
その様子を見て、流石に桜乃はそれ以上ちょっかいを出す事は出来ず、代わりに市販の風邪薬と水を入れたグラスを差し出した。
「ごめんなさい、今のはナシ。お兄ちゃん、お薬飲んで?」
「あー…わり」
差し出されたそれらを見て、切原はよっと起き上がると、錠剤を口の中に放り込んでそのまま水を一気に呷った。
「ああくそ、だりい…今日はもう寝るわ」
このままだとソファーから動けなくなると危惧したのか、思い切りをつけて切原は立ち上がった。
「荷物持つね」
「いやいい、それより桜乃、俺に近づいたらダメだって、風邪移るだろ」
「あう…」
鞄を持ってあげようとした妹の手からそれを奪うと、兄はひらひらと寄るんじゃない、と手を振った。
ぞんざいに見えても、それは明らかな兄としての優しさだ。
「でも…大丈夫?」
「へーきへーき、こんなん寝てりゃ治るって」
けほけほと尚も咳をしながら、切原は心配そうに見送る桜乃の視線を受けながら自室に向かい、そのままベッドに潜り込んで泥のように眠った……
翌日……
「ん〜〜〜〜……」
朝の爽やかな光が外から差し込むのを感じ、切原はもぞ、とベッドの中で寝返りを打ちながら瞳を開く。
この明るさからだと…目覚まし時計で予約していた時間よりはまだ早い様だ。
「………?」
おや?…と思った。
視界の中に…妹の寝顔がある。
夢…であってもそれはそれで怖いのだが、残念ながら更に驚く事には現実だった。
「ううおわあああああああああああっ!!!」
物凄い叫びを上げつつ、一気に目が覚めた男が飛び起きると同時に、賑やかな目覚ましで桜乃ももぞもぞと起き出してくる。
「ん〜〜〜、おはよー、赤也お兄ちゃん」
「桜乃――――っ!? お、お、お前、一体何してんだよっ!!」
起きて尚も慌てまくる兄とは対照的に、妹は全く緊張感の欠片もなく、のほーんとした様子でこしこしと目を擦りながら答えた。
「だって、私に移したらお兄ちゃんの風邪治ると思って…テニス出来ないと困るでしょ?」
「だからって、嫁入前の娘が男の布団に勝手に潜り込んじゃダメだっつーの!!」
「えー、何で?」
「何ででも!!」
「うん、じゃあノックするね」
「寝惚けてんのかオメーはーっ!!」
どたばたと騒ぐ切原は、昨日の不調など嘘の様にとても元気になっていた。
そして幸いにも、桜乃も風邪を移されてはいなかったらしい。
何かと賑やかだが、今日も二人はそれなりに仲良しである……
了
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