一番好きな人


「へ〜〜、心理テストねぇ」
「結構面白いんスよ、コレ」
 或る日の立海男子テニス部の部室内で、服を着替えて練習準備もぼちぼちと整えたレギュラー達が、一冊の本を持った切原を中心にして円を作っていた。
 他の非レギュラーやマネージャーがまだ揃っていない事もあり、彼らは短い待機時間をそこで過ごしているところだったが、今はどうやら切原の持つ心理テストの本についての話に花が咲いているようだ。
「心理テストか…まぁ、人の心の奥底を覗きたいというのは誰しもが持つ欲求だが、やや簡易すぎる方法とも思えるな」
「愚にもつかん」
 参謀の柳がやや冷徹な評価を下した隣では、腕組みをしていた副部長である真田が一言で切り捨てている。
 こういう話題はいつでも賛否両論に分かれるところだから無理もない。
「まぁしかし…これも結構使えるものなんじゃよ、ちょっと貸しんしゃい、赤也」
「へ?」
 にっと笑った詐欺師が、後輩の手からその本を受け取ると、ぱらぱらとページを捲りながら続ける。
「つまりな、誰かに心理テストをするという名目で、質問に対して速効で答えさせる。考える時間を与えんで、とにかく何問かを即座に回答させるように仕向けるんじゃ。一つ一つ答え合わせをすることもなく、ひたすらにそれを続けていく」
「ふむふむ」
 傍で聞いていた赤毛の丸井が、興味津々といった様子で何度も頷く。
 他の部員達も暫し仁王の講義に耳を傾けている。
「で、な? 最後に、その人間に対して一番聞きたい、本音を暴きたい質問をぶつけてみる…上手くいけば、そいつが心の奥底に隠しとった秘密の答えが、ぽろっと出るんじゃよ……うっかりという形でのう」
「あー…何となく分かるな、勢いで条件反射的に答えさせる訳か」
 ジャッカルがうんと頷きながら言った言葉に、仁王はこくんと頷き返した。
「ま、無論こちらにも多少のテクニックは必要になる。最初から何かを企んどると悟られたら、その時点でアウトじゃからの…けどまぁ、成功したらそいつの心が垣間見えるという訳じゃよ。例えば………一番好きなヤツ、とかなぁ」
「…一番好きな…?」
 切原が相手の言葉をそう反芻した時…
「すみません! ホームルームが長引いて遅れました!」
 何も知らないマネージャーが、慌てた様子で部室の中に飛び込んできた。
 一年生の竜崎桜乃である。
 レギュラー達にとって最も気になる少女は、どんな話が中で行われていたかも知らず、軽く息を切らせながら先に来ていた彼らをぐるりと一瞥した。
「あ…良かった、間に合いました…」

『……………』

(あれ…? 何、この沈黙…)
 切原達だけでなく、三強ですら視線をロッカーに向けるなりして沈黙を守っていた。
 奇妙な空気が部屋を支配していることに少女が戸惑う一方で、メンバー達の視線が一斉に詐欺師へと向けられる。

(先生、お願いしますっ!)

 そんな声が聞こえたか聞こえなかったかは定かではないが、仁王は彼らの無言の意志を受ける形でにこ、と桜乃に普段と変わらない笑顔を向けた。
「おう、お疲れさん、竜崎。そんなに慌てんでもええよ、俺らもここでちょっと遊んどったところじゃ」
「遊んでた?」
「ああ……そうじゃ、お前さんもちょっとやってみんか? 簡単な心理テストじゃよ」
「心理テスト…ですか、何だか面白そうですね」
 えてして女性はこういうものが大好きである。
 桜乃もその例に漏れず、一切怪しい雰囲気を隠している詐欺師の誘いにあっさりと乗ってしまった。
「どうしたらいいんですか?」
「俺がお前さんに今から幾つかの質問をする。ここで約束、絶対に答えに時間をかけんコト。聞かれたら速効で、とにかく思いついた答えを言うんじゃよ。質問は幾つかあるから、油断せんように」
「うわ…何だかドキドキしますね…い、いいですよ」
 ドキドキしているのは、周りのレギュラーも同じことだろう。
 今から詐欺師の仕掛ける罠で、もしかしたらこの娘の想い人が分かるかもしれないのだ。
 全員の不安と期待を受け、いよいよ仁王は桜乃に質問を始めた。
「じゃあ、いくぜよ? 好きな色は?」
「桃色!」
「好きな教科は?」
「え、と、家庭科!」
「海と山、好きなのはどっち?」
 仁王は淀みなく質問を浴びせ、桜乃も最初こそ戸惑っていたが、次第にスピードにもやり方にも慣れてきたのか調子をどんどん上げていった。
 調子を上げていく、という事は、もう完全に向こうのペースに乗せられているという事だ。
 七問目を過ぎた頃には桜乃は何の疑念も持たず、仁王の問いに素直に答えていた。
(ふむ…そろそろかのう…)
 頃合も良いと判断し、遂に彼は最後の、本来の目的である質問を桜乃に放る。
「じゃ、一番好きな人は?」
 全員の耳が集中して少女の言葉に向けられた時…

「おばあちゃんっ!」

 何の躊躇いもなく、桜乃は声を大に宣言していた。

『……………』

 再び、全員が沈黙…
 質問者の仁王すらも無言になり、また奇妙な沈黙が流れて桜乃は戸惑って周囲を見回した。
「あ、あれ…? お、おかしかったです? 今の…答えにありませんでした?」
「………あー…まぁ…のう…」
 言葉を濁しつつ、仁王は質問を終えて苦笑した。
 そうきたか…詐欺師の自分でも読めなかった。
 彼の苦味を含んだ笑みは周囲のメンバーにも伝染した様に、彼らは困った様な…しかし嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それでこそ、竜崎さん…というところですね」
「何か、がっかりってより、不思議に嬉しいんだよな〜」
「え? え? え?」
 柳生や丸井が苦笑しつつも満足そうにそう言う姿を、桜乃は混乱しながら見つめる。
 私…何かしたのかしら…?
「ええと、ええと……そう言えば、今のって何の心理テストだったんですか?」
 桜乃の質問に答えたのは、その頭にそっと手を乗せて優しくさわりと撫でた部長だった。
「ふふ……君が、俺達が思っていた通りのいい子だって教えてくれたテストだよ。ね?」
 振り返って真田と柳に同意を求めた彼に、二人も同様に笑って頷いた。
「む…そう、だな…精市の言う通りだ」
「俺達が求めていた答えとは異なったが、求めていた以上に理想的な答えだった」
「???」
 何がどういうことなのか分からない…と桜乃はまだ首を傾げていたが、レギュラー達はそれ以上は語ろうとはしなかった。
「そろそろ始めようか…竜崎さん、先にコートに行って人数の確認をお願い出来るかい?」
「あ、はい!」
 気を取り直し、張り切って外に出て行った桜乃の後姿を暫く眺めていた男達は、それぞれの顔を見合わせて再度笑った。

 残念な筈なのに、嬉しいなんておかしいけど……今はまだこれが一番いい形なのかもしれないな…






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