詐欺師の妹


「んも―――――っ、いーかげんにしてよ雅治お兄ちゃんっ!」
 その日の夜、帰宅した仁王雅治を待ち構えていたのは、二つ年下の妹・桜乃の気合の入った叫び声だった。
「おー、何じゃ桜乃、あんまり叫ぶと近所迷惑じゃよ」
 叫ばれた仁王本人は、その自覚もない様に相変わらず呑気に玄関先にテニスバッグを置くと、よいしょと靴を脱いで家に上がる。
「誤魔化さないで! お兄ちゃんまたやったでしょ!?」
 今日こそは許さないんだから!と怒っていますアピールを続ける妹だが、元々身長差も体力差もかなりのものがあり、何より普段の素直で優しい性格を知っている兄にはまるで脅しとして通じていない。
 寧ろ、微笑ましささえ感じる程であり、仁王ははいはいと軽くいなしながらリビングへと向かった。
「ん〜〜〜、やったと言われてものう…せめていつのどの件なのか言ってもらわんと思い出すのが大変じゃ」
「言われなきゃ分からない位、騙くらかしてんの〜!?」
 最悪!!と思い切り非難しながら、桜乃はそこで自分のポケットからメモ帳を取り出すと、ぱらぱらぱらっとそれを捲りながら話しだした。
「二年のA組の松井先輩から百円、C組の堺先輩から三百円、D組の本村先輩と三年のA組の滝村先輩から五百円、いかがわしいやり方で借りたでしょ!? お兄ちゃんが上手く逃げ回ってるから捕まらなくて、今日、妹の私が皆さんから返すように言われたんだからーっ!!」
(ありゃ、そんなに溜まっとったんか)
 内心、そう呟いた仁王の前で、尚も妹はがみがみがみと兄に対して説教を続けた。
「借りるなら借りるで、ちゃんとそう言って借りたらいーじゃない! どうして柳生先輩に化けて借りようとするのよ。毎回毎回、謝りに行く私の身にもなってよね!? 柳生先輩はお兄ちゃんとは比べ物にならないぐらいに紳士で優しくて格好良いから、いつも笑って許して下さるけど、いつかお兄ちゃんも愛想尽かされるわよ!?」
「お前、本当に言いたい台詞は後の方じゃろ」
 自分の責任ではあるものの、少しばかり仁王はむっとして言い返しながら、着いたリビングにばさりと鞄を置いた。
「結構柳生を褒めちぎっとる様じゃが、俺、こう見えてもアイツに化ければそっくりって言われてるんじゃよ? 紳士で優しくて格好良い柳生先輩にのう」
「私を騙せたコトは一度もないじゃない」
「………」
 痛いトコロを突っ込まれ、仁王は背中を向けて無言になる。
 そうなのだ。
 自分が柳生と知り合い、テニスでの一つの戦法として互いが入れ替わる事を始めてから、時々練習と称して試合以外でも実践に移す事があった。
 友人でも教師でも、親であっても上手く騙せる程に上達してはいるのだが…唯一人、この妹だけは未だに騙しきるコトが出来ない。
「お兄ちゃんが誰かに化けても、詐欺師の匂いがぷんぷんするんです」
「ふっ、流石は俺の妹じゃのう」
「誤魔化さないで。もう…取り敢えず、今日は皆さんに請求された分は立て替えておきましたからね…んもう、〇〇中学の三上さんの分は結構痛かったよ。五千円なんて、持ってたから良かったけど」
「あー、すまんすまん……ん? 三上?」
 ぞんざいに謝っていた仁王が、ぴく、と眉を動かし、妹に確認する。
「何じゃ、ソイツは?」
「だから〇〇中学の三上さんって人。お兄ちゃんの友達で、こないだ五千円を貸したんだけど返してくれないって言われたの。もう、他の学校の人からまで借りちゃダメよ」
「…ふーん」
 そんなヤツから借りた覚えは、これっぽっちもないんじゃが…?
「ふーんじゃなくて! ちょっとは反省してよね」
 それからも妹の説教は暫く続き、仁王ははいはいとそれを聞き流していたが、その瞳からはいつもの優しさは失われていた。


 翌日
「ただいまー…おーい、桜乃」
『はぁい?』
 いつもの様に、部活動を終えて帰って来た仁王だったが、その日はいつもより少し遅い時間だった。
「お帰りなさいお兄ちゃん、今日は遅かったね」
 名を呼ばれて玄関に来た妹は、今日は怒っている様子はなくいつもの調子。
 元々が心根の優しい娘なので、後に根を持つ様なことも無いのだ。
 それが分かっているから、ついつい兄は悪戯が過ぎることもあるのだが、その兄が彼女に対してほい、と何かを差し出した。
 五千円札だった。
「え?」
「んー、今日な、〇〇中学の三上ってヤツのところに行って確認したんじゃが、どうやら人違いだった様じゃよ」
「人違い?」
「そう、俺も覚えがなかったんで確認に行ったんじゃよ。どうやら別のヤツに貸しとった様じゃ…じゃから、返してもらってきた」
「? そうなの?」
 受け取りながら尋ねる妹に、仁王はうんと頷きながらも念を押した。
「他の学校のヤツからの催促は、間違っとった場合は面倒じゃからのう…これからは、俺にちゃんと確認してからにするんじゃよ?」
「そうだったの…うん、分かった…ん?」
 返してもらったお札を見た桜乃が、首を傾げ、その一点をじっと見つめた。
「……えーと、お兄ちゃん」
「んー?」
「このお札の下にある、赤い染みみたいなモノは…?」
「ただの汚れじゃろ?」
(返り血に見えますけど…)
 声に出しそうになり、桜乃はそれを必死に抑え込んだ。
 何か…あまり聞いてはいけない様な気もする……でもまさかそんな…
 うーん、と唸りつつ悩んでいた桜乃に、仁王が、あ、と思い出して声を掛けた。
「そうそう、遅くなったが昨日立て替えてもらった分、後で返すぜよ。それと…」
「はい?」
 言いながら、桜乃に向かって菓子詰めの箱を見せる。
「利子と詫びに、ケーキ買ってきた。食うか?」
「きゃー! うんうん、食べるーっ!」
 予想外のプレゼントに、桜乃は疑惑も忘れ、兄から箱を喜んで受け取った。
「嬉しーっ、有難う、雅治お兄ちゃん! 冷蔵庫に冷やしておくね?」
「ん」
 にこにこと上機嫌で先にキッチンへと向かった妹の背中を見つめながら、仁王はぐっと心の中で親指を立てる。
(よし、まぁこれで一月はもつじゃろ)
 どうやら今の供物は、今後の自分の悪戯に対する妹の噴火を抑えるアイテムでもあったようだ。
 作戦成功と思いながら、仁王は、何かを心に秘めた妖しい笑みを浮かべていた。
(俺を騙そうとするんは構わんし、喜んで受けて立つがのう……俺以外で可愛い妹を騙そうとする奴なんざ、許せるワケないじゃろ?)






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