世話好きな妹


「あー良かった! 見つけた、ブン太お兄ちゃん!」
「お? 桜乃? 何だよい」
 その日の一時限目の授業が終わった後、丸井は親友のジャッカルや仁王達と一緒に廊下で話し込んでいたところで、妹の桜乃に声を掛けられていた。
 ここは三年生の教室が並ぶ棟…無論、一年生の彼女が頻繁に訪れる様な場所ではない。
 全員は、彼女が廊下を小走りにこちらに走ってくるのを見つけると、一時雑談を中止し、桜乃の方へと注目した。
 ブン太以外のメンバーが桜乃と知り合ったのは彼女がこの立海に入学してからになるが、今はもうすっかり良い先輩・後輩の間柄である。
「皆さん、すみませんお話中に。ちょっとだけ失礼します」
 兄との会話の前に、ちゃんと他のメンバーに断りを入れるところがしっかりしている。
「いやいや、気にするなって」
 普段、兄の方は欠片も見せてくれない気遣いに、ジャッカルが機嫌よく応対する。
 他の男達も、別に会話を中断された事を気にしている様子もなく、笑って頷いてくれた。
「何? 何かくれんの?」
「んもう…お兄ちゃんったらいつもそうなんだから…まぁ、あげるのは確かにそうなんだけど」
「え?」
 聞き返した丸井に桜乃が差し出したのは、見慣れた青いナプキンで包まれた、非常に欲望をそそる物体だった。
「おおっ!!」
「今日の分のお弁当。忘れて行っちゃったでしょお兄ちゃん。餓死してるんじゃないかって心配してたけど、間に合って良かった」
「サンキュー!サンキューッ!! わー助かったー!」
 にっこにっこと非常に上機嫌な表情で弁当箱を受け取ると、丸井はぎゅーっとそれを抱き締める。
「…いつも大変ですね、桜乃さん」
「あはは、でも二人の弟の分もありますから。三人でも四人でも同じですよ」
 全く苦労を感じさせない言葉の裏に苦労を隠し、笑顔を絶やさない少女は、メンバー達にとっても無条件で可愛がる対象になってしまっている。
 そんな空気に気付いているのかいないのか、丸井は上機嫌のまま一度弁当を置きに教室に足を向けがてら桜乃に言った。
「あ、桜乃! 今日の夕食、カレーがいいっ! メンチカツもつけて! それと、帰ったらボタン付けシクヨロ!」
「はいはい」
 兄のリクエストに桜乃はくすくすと笑いながら、早速手持ちのメモにそれを書き付けてゆく。
 これまで彼女が断る場面を見た事がない男達は、ほーっと半ば感嘆の表情で少女の姿を見つめていた。
「…相変わらず、従順な子なんじゃのー」
「いつもあいつの希望に応えるとは…大変だな」
 仁王や真田の言葉に、桜乃は顔を上げるとぷるぷるとそれを横に振った。
「いいえ? 全然平気です。お兄ちゃんの為ですから」
 きっと世の中の男の殆どは、妹からこういう言葉を言われてみたいに違いない…自分達も含めて。
 男性陣の中でも一番丸井に振り回されているジャッカルは、人生は理不尽だと思いつつも桜乃に尋ねてみた。
「えーと…前々から訊いてみたかったんだが…アイツはそんなに家では良いお兄ちゃんなのか? 学校ではそんな風には見えないんだが…」
「ジャッカル、詮索し過ぎだよ」
「う、す、すまん」
 さらっと幸村からのフォローが滑り込んで来たが、桜乃は別に気を悪くするでもなくあっさりと答えた。
「はい、ちっちゃい頃からブン太お兄ちゃん、凄く優しかったんですよ? 昔、私が苦手だった人参とか、こっそり食べてくれたりしたし…」

『………』

 何だか凄く嫌な予感がするなぁ、と桜乃以外の全員が思っている間に、彼女の告白は続く。
「おまけ付きのキャラメル買った時も、お兄ちゃんはキャラメルだけ貰って、私におまけの方くれたりして…」

『………………』

 嫌な予感に加えて寒気もしてきたなぁ、と同じく男達が思っている間に、更に桜乃は続けて…
「二人の弟の世話も、私が寂しがり屋だから、一緒にいた方が楽しいだろって一緒に遊ばせてくれたり…優しいお兄ちゃんなんですよー」

『………………………………』

 沈黙した男達は全員無言のままに目配せして、思っている事が自分の思い違いではない事を確認する。

(騙されてるっ!! それって絶対に騙されてるよ、妹さんっ!!)

 何もかも、あいつの欲望のままの行動に準じているじゃないかっ!
 つか、普通気付かないか!?
 今はどうだか知らないが、よく今までバレなかったものだ…純粋過ぎるっ!
 でも脇から見たら…あまりにも憐れだ…
「あーもーっ! 何か困った事があったらすぐに言えよ!? 力になってやるから!!」
「遠慮など、しないで下さいね」
 くうぅっとジャッカルが涙を拭き、柳生がハンカチで眼鏡の奥を押さえている隣では、仁王がそっぽを向きつつ、桜乃だけは絶対に詐欺には掛けないようにしようと心に決めていた。
「はぁ…?」
 一体何事だろうと桜乃がきょとんとしている前で、立海三強もまた渋い顔だった。
「純粋な子供って時に残酷だよね…」
「一度、親御さんに会って話してみたい気もする」
「本人が幸せならば、それでいいのだろうが…ばれる可能性は彼女の性格上、ゼロに近いしな」


 その夜
「なーなー、桜乃―、お兄ちゃん寂しいから一緒に遊んでー」
「うふふ、もう…少し待っててお兄ちゃん。この子達の宿題の面倒が済んでからね」
 妹がリクエスト通りに作ってくれた食事をたらふく食べた後、呑気にゲームをしようと誘ってみた丸井だったが、彼女は二人の弟達の世話で手が塞がっているらしい。
「ちぇー、じゃあ後で絶対な?」
「うん、いいよー」
 取り敢えず、約束を取り付けたものの、丸井はむぅ、とちょっぴり不満顔だった。
(うーむ…やっぱガキの時に世話を押し付けたのが拙かったか…すっかり他の奴にも世話焼きになっちまって……しまったなー)
 出来たら俺だけ特別に焼いてほしいんだけど…と内心こっそり思う丸井だった。
 昔はどうだか知らないが、現在、健気な妹は、かなり大事にしてもらっている様である。






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