視線から微熱


「さぁ、桜乃」
「今日の俺らはどっちかの」
「うーん…」
 その日の昼休み
 立海の中学一年生であり、柳生比呂士の妹でもある桜乃は、兄とその親友である仁王二人の前に立ち、じっと彼らを凝視していた。
 場所は兄達の教室で、他の生徒達も昼の一時をそれぞれで楽しんでいる。
「…ええと、今日は仁王先輩が比呂士お兄ちゃんで、比呂士お兄ちゃんが仁王先輩!」
 まるで謎掛けのような不思議な言葉だったが、桜乃は至って正気であり、本気。
「…どう?」
 少女の問い掛けに、五秒の沈黙の後、目の前の美丈夫達はほぼ同時に苦笑いを浮かべた。
 そして、
「やはり、桜乃には通じませんか」
と、仁王の格好をした柳生が元の声音を出し、
「今日はイケると思ったんじゃがのう…」
と柳生に成り代わっていた仁王が残念そうに続けた。
 そう、桜乃は今、テニスの試合において時々入れ替わる事がある二人の変装を、見破れるか否かの勝負を受けていたのだ。
 仁王と柳生の変装は非常にレベルが高く、友人達や教師、果ては彼らの親に至るまで、見事に騙し通せているのだが、この少女、桜乃の目だけは一度も誤魔化す事が出来なかった。
 だから、兄達は更に変装のレベルを上げては、この子に勝負を挑んでいるのだが、どうやら今日も彼女の完勝に終わったらしい。
「何が違うんじゃ?」
「うーん…言葉ではなかなか言えないんですけど…雰囲気、かなぁ」
「雰囲気? ふーん…じゃあ、俺はどういう風に感じるんかの? 優しい先輩って感じか?」
「え? あ、あのう…」
「はい、離れて離れて」
 自分の妹に寄っていく自分の姿をした仁王を、仁王に化けた柳生が冷たく払う動作で引き離す。
「何じゃ、邪魔しおって…」
「人の妹に蝿みたいにたからないで下さい。大事な嫁入前の清らかな身体なんですから」
「蝿って…」
 あんまりじゃろ…と少しばかり落ち込んだ詐欺師に、桜乃の方が恐縮して声を掛けた。
「す、すみません、仁王先輩…比呂士お兄ちゃん、悪気がある訳じゃないんです」
(いーや、お前さんに近づく野郎にはもれなく悪気がこもっとる!)
 心の中でそう答えるも、妹である桜乃に声に出しては言い辛く、仁王は仕方なくその場は別の話題に切り替えて遣り過ごす。
「おい柳生よ、午後はどうする? いっそこのままで過ごすか?」
「ああ…そうですね、私は出来れば戻りたいのですが。やはりずっとコンタクトをつけるのは少々キツいので」
「そうか」
 二人の会話に桜乃が反応し、ぴょこ、と兄の柳生へと身体を向けると同時に身を乗り出した。
「あ、そうか、仁王先輩の時にはお兄ちゃん、コンタクトつけてるんだ」
「ええ、そうですよ。こういう時だけですけどね」
「ふぅん」
 じっと相手を見ている桜乃に、仁王は柳生の姿で後ろからアドバイスをした。
「何じゃ、桜乃は柳生がコンタクトつけとるところ、よく見た事がないんか? まぁ間近ではそうそう見る機会もないし、丁度良いから見せてもらったらどうじゃ?」
「そうですね」
 仁王の言葉を受けて、桜乃は柳生へと歩を進め、直前まで近づくと、更に顔を相手のそれに寄せた。
「さ、桜乃…?」
「うーん……よく見えないなぁ」
 顔の直前まで迫る妹の顔を直視し、柳生は仁王の姿のまま少しばかりうろたえたが、結構美味しい状況だったので止めはしなかった。
 そうして二人が密着して暫くの時が流れた後…
「…あ、分かったぁ。有難う、お兄ちゃん」
「い、いえ…そろそろ次の授業ですよ、桜乃」
「はぁい」
 相手のコンタクトを確認し、満足そうに笑って、桜乃はそれから自分の教室へと戻っていった。
 その後、残った柳生は、仁王の姿のまま自分の目に自身の指をかざし、ぽつりと呟いた。
「……コンタクトもいいかもしれませんね」
「黙れや、シスコン紳士」
 相棒は厳しく相手をそう断じたが、その後何故か影でこっそりと笑みを浮かべていた。
 その理由は、柳生が家に帰ってから明らかとなる……


「お兄ちゃん…」
「ああ、桜乃、どうしました?」
 夕食後、部屋で本を読んでいたところに桜乃が訪ねて来て、柳生は一度読書を中断し、相手へ椅子ごと身体を向けた。
「あ、あのね…今日の昼休みの後で、ちょっと変な噂が…」
「噂?」
 そんなものが立つ様なやましい真似はしていない筈…自分も妹も。
 どんな噂だろうと疑問に思うのは当然で、柳生は相手にそれを尋ねた。
「どんな噂なんです?」
「それが、そのう……私と仁王先輩が、昼休みにじっとお互いに見つめ合って、すっごくラブラブな雰囲気だったって…」
「………」
 柳生の脳裏の中で昼休みの自分達の行動が巻き戻され…理解されたところで彼は思わず立ち上がり大声を上げた。
「あああああっ!!」
 あの時っ!
 自分が仁王の姿をして、桜乃がコンタクトの確認をしていた時だ!!
 さてはあの詐欺師、この噂を流す為に敢えて彼女に興味をもたせる様な発言をしたな!?
「どうしよう…仁王先輩にご迷惑が掛かっちゃう…」
 桜乃は自分よりも真犯人の心配をしており、向こうの真意になど気付いてもいない。

(あんのド畜生―――――――――っ!!)

 紳士にあるまじき罵声をせめて心の中だけで叫びながら、柳生は取り敢えずは妹の懸念を取り除いてやる。
「大丈夫ですよ、桜乃。仁王君はこういうケガれた噂には慣れていますから、さして迷惑にもならないでしょう。貴女は今まで通り、やましい事はないのだと堂々と胸を張っていなさい。いいですね?」
「う、うん…そう、なのかな?」
 素直な妹が自分の言葉を聞き入れてくれた事に感謝しながらも、柳生は相棒への復讐を心の中で固く誓っていた……






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