不届きな抱負
「えーと…」
或る日の放課後、男子テニス部二年生エースである切原赤也は、ダウンを済ませた後の部室で珍しく机に向かって鉛筆を握っていた。
「あら? 切原先輩、何を書いているんですか?」
そこに、同じ立海に転校し、以降マネージャーを務めている竜崎桜乃が入室してきて、早速彼の様子に気がついた。
聞かれた若者は、相手の声を聞いても頭を上げようとはしない…どうやら切羽詰った用事の様だ。
「んー…何かさ、真田副部長が『お前は人生における指針を何も立ててないところからしてたるんどる。何か目標や抱負を持ってみろ』って言って…しょーがねーから考えてるトコ」
「しょーがねーって…身も蓋もない言い方ですけど」
うだ〜っと机に突っ伏しそうな相手を苦笑してそう言うと、桜乃はカレンダーを確認した。
現在自分たちは冬休みの真っ只中で、学校の授業はお休み中だが、部活動はしっかり行われている。
もう今年も残り数日…
新たな年に向けての新たな抱負を考えても良い頃である。
「真田先輩らしいですね、でも、とても良いタイミングだと思いますよ?」
そうしている間に、他のレギュラーもダウンを済ませてから部室へと入ってくる。
「おう、何しとるんじゃ、赤也」
「何かの反省文でも書いているんですか?」
仁王と柳生のダブルスが後輩を冷やかしたが、本人は抱負を考えるのに夢中で返事がない。
「真田先輩に勧められてこれからの抱負を考えているんだそうです」
「お、なかなか感心じゃないか」
目付け役のジャッカルが心からそう言っているものの、早くも隣の丸井は果たして完遂出来るのか疑問を投げつけた。
「何にするかは知らねーけどよい、ホントに出来んのかぁ?」
そこでテニス部部長であり、彼らレギュラーを精神的にも纏めている幸村が相手を嗜める。
「こらブン太、折角の後輩の心意気に水を差したらいけないよ」
「こういうものは、形から入ることで自身を奮起させる事にもなる。弦一郎の忠告は間違ってはいない」
柳が幸村に続いてそう言った後、改めてその場にいた副部長がうむと頷いた。
「その通り、まぁ少しでもそうやって考えることで、自身を省みる機会にもなるだろう。で、赤也、お前の抱負を聞かせてもらおうか」
「はぁ、えーと」
考え込んでいた切原は、それでも考えが多少はまとまったのか、うんと頷きつつ答える。
「取り敢えずは、暴走のコントロールっすかね…後は、日常生活では遅刻をなくす事と、規則正しい生活…ゲームは一日一時間、宿題は当日済ませること」
よくよく考えたら、一般の学生としては至極当然のことなのだが、それを聞いていた他のメンバーはおおっ!と驚きの声を上げた。
まさかこの切原が、そこまで高レベルの目標を掲げるとは…!!
「ようやくお前も少しは自覚が出てきた様だな、いい事だ」
自分の忠告が功を奏したことが嬉しかったのか、真田は非常に満足そうな表情だ。
「いいですねぇ…私はもっとマネージャーとしての力を磨きたいですね。皆さんに迷惑掛けないように頑張りたいです」
桜乃の真摯な願いに、彼女の師ともなる柳は微笑みながら心配ないだろうと言った。
「向学心があるのはいいことだ。歩みを止めず、前を向き、歩き続けることこそが肝要なのだ」
「そーか? 俺はよく後ろ向いて走ったりもしとるが、それなりに楽しいぜよ」
「仁王君は少し黙っていて下さい、竜崎さんの為になりませんから」
詐欺師の人生など見習わせる訳にはいかないと、柳生が相棒の言葉を封じている一方で、ジャッカルは何処か遠い目をして呟いた。
「……多くを望んだところで、後で自分が惨めになるばかりだからな…普通でいいよ、うん、普通の人生で」
「来年は期待出来るんじゃねい? 赤也と校舎離れるしさ…まぁ合同練習はあるけど…てか、多分またお前が目付け役だろうけどなー」
「ああ…その時点で諦めろって神の声が聞こえるよ」
最早人生を悟った様にジャッカルが呟きを漏らすのと同時に、ふふ、と幸村が和やかに微笑む。
「まぁ、人間は学んでいく生き物だからね…たかが十代の俺達がこれから成長していく余地は幾らでも残されているよ」
部長の言葉に副部長も同意する。
「うむ…まぁこれで少しでもアイツが自分を省みてくれたら…」
そう呟いた真田の台詞に、切原ののほんとした台詞が被った。
「ま、取り敢えずこれが俺の今年の抱負ってところッスね」
『……』
瞬間、他レギュラー全員沈黙…
果たして言っていいものか…という雰囲気を思い切り醸しつつ、それでも桜乃が勇気を振り絞って言った。
「…え、ええと…今年って、もうあと三日ぐらいしか…」
「知ってる。でなきゃあんな目標立てねー」
言い間違いではなく確信犯だということが確定したところで、即座に審判は下された。
「最早、申し開きの仕様がないな…参謀としては情状酌量の余地も無しだ、赤也」
「弦一郎、ちょっとぐらい手荒くしてもいいからシメちゃって」
ふふっと笑顔で部長がさらりと言ったが、そのこめかみには見事な交差点マークが浮かび上がっている様な気がした。
「赤也――――――――――っ!!」
直後、きゃ〜〜〜〜〜っ!!と遠くで怒声と悲鳴が絶妙なコラボレーションをもたらしていたが、最早桜乃も手を出す事は出来なかった。
「…ごめんなさい、切原先輩…でも、狭量な私は助けてあげることが出来ません」
しっかり反省して下さい…と十字を切る桜乃に、気にするな、と他のレギュラーが全会一致で肯定の意志を示した。
「竜崎さんの判断は全くもって正しいかと思われます」
「同感じゃ…赤也は一度死んだぐらいが丁度良いんじゃないかの」
「何でバカ正直にここで言うかねぇ」
「俺達、本当に三年生卒業していいのか?」
みんなの意見はそれぞれだったが、全員のそれらが本心からのものであるのは言うまでもない事だった。
その後、全員が元旦に真田の家に集められ、書初めを強制されたのは、八割がたはこの後輩が原因だったのもまた言うまでもない……
了
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