鬼はウチ?


 二月三日は節分である。
 立海の男子テニス部マネージャーである竜崎桜乃は、幼いときよりそういう行事には熱心だった家で育てられていた所為か、一人暮らしを始めた今年も恒例として、積極的に参加していた。
 とは言うものの、流石に中学生になって、豆をぶつけ合う事だけを喜ぶという事は恥ずかしい。
 今年は一つ、本来の目的を踏まえていきましょう…と、少女はその日の朝から、部室の前でいそいそと活動に勤しんでいた。
「元々は邪気を追い払う為の行事だもんね。ウチの部にそういうモノを入れるワケにはいかないし…うーん、このぐらいかな?」
 脚立を持ってきてそれに乗った桜乃は、何本かの柊の枝と鰯の頭を持ちながら、それを部室前の扉の上部に飾りつけるべく、孤軍奮闘していた。
 飾るだけならば簡単だが、やはりこういう物は飾った時の見栄えにも気を配りたいものである。
「うん…この辺りかな?」
 よし、と頷き、さて飾り付けをしようかというところで、不意に下から声を掛けられた。
「竜崎さん?」
 振り返ると、見知った顔が幾つかそこにあった。
 テニス部部長の幸村を始めとするレギュラーの一団だ。
 みんなも朝練への参加の為、登校してきたところらしい。
「あ、皆さん、お早うございます」
「おはよう…何やってるの?」
 部長の問い掛けに、彼女はにこりと笑いながら手にしていた柊の枝達を見せた。
「テニス部に、鬼が入ってこない様に柊と鰯の頭を飾ろうと思って…あ、もしかして、許可がいるものでしたか?」
「いや、構わないよ。気を遣ってくれて有難う」
「柊と鰯か…最近では普通の家でもなかなか見かけなくなってしまったが…」
 ふふ、と微笑みながら許可してくれた幸村の隣では、ほうと少し感嘆した様子で真田が桜乃の手許に注目している。
 そんな副部長の台詞に、ん?とブラジル人とのハーフであるジャッカルが不思議そうに首を傾げた。
「そういや、たまにそういうアイテムをこの時期に見るが…何の意味があるんだ? それ」
 そう言いながら彼が見遣ったのは、部、いや、立海の中でも随一の知識量を誇るデータマン、柳だった。
「節分は、平安時代からあった鬼を払う悪霊払いを起源とする。季節の変わり目には邪気…つまり鬼が生じるとされてな、それを払うために柊と鰯の頭を家門に掲げるという風習が生まれたのだ。柊は、その尖った葉の先で鬼の目を突き、鰯の頭はその臭いが鬼の嫌うものであると言われているのだ」
「っへ〜〜、成る程」
 一つ利口になった、と喜んでいるジャッカルの隣では、柳の説明を聞いていた丸井が、じーっと柊の枝を熱心に見つめていたが、ふいに桜乃に問い掛けた。
「…その位置じゃないといけないの?」
「はい?」
「や、そこに飾ったらさ、確かに大きな鬼の目は突けるかもしんないけど…ドアくぐれる普通サイズの鬼は入ってきちゃうんじゃねい?」
「……」
 意外な盲点…
 確かに言われてみたら…と思い、桜乃は思わず部室のドアを改めて凝視し、そこを通る鬼の身長を色々とシミュレーションしてしまった。
「う〜ん……」
「いや、そういうのはあくまでまじないじゃからのう…」
「そこまで現実的に考えなくてもいいのでは?」
「……」
 仁王や柳生がフォローを入れている脇で暫くじっと沈黙していた二年生の切原が、ちらっと真田の方へと視線を向け、再び少し沈黙した後で桜乃に声を掛けた。
「や、そのぐらいの高さでいいと思うぜ? 竜崎。高い鬼の方が単純に力強いだろうし」
「そ、そうですか?」
「それにさ…」
 そして切原は、そこでびしっと、自分にとっての鬼門である真田を親指で指差した。
「ドア開けて入ってこれるぐらいの奴なら、真田副部長でも十分タイマン張れんじゃん?」

『あー、そうか』

「その納得の言葉の意味は何だ…?」
 メンバー全員の頷きと同意の言葉に、唯一真田だけが顔をしかめて突っ込んだが、そこにくすくすと笑いながら幸村がフォローを入れる。
「まぁまぁ…別に弦一郎だけじゃないと思うよ。確かにそのぐらいの身長の鬼なら、ウチのレギュラーならラケット片手に叩き出してしまいそうだ…あっさりと鬼に負けるような俺達でもないだろう? 弦一郎」
 鬼に金棒ではなくレギュラーにラケット…新たな諺が出来そうだ。
「む……まぁ、確かにそうだが…」
 ちょっと納得しかねる部分もありはしたものの、真田はそこで一度落ち着き、みんなと部室内に入って行った。

 結局、柊と鰯は扉上部に飾るという事で落ち着いた桜乃も、彼らが着替えている間にそれを済ませて、それから入室が可能になった時点で中へと入って行くと、すぐに丸井が寄って来た。
「おさげちゃん、おさげちゃん、これあげる」
「あ、豆ですね?」
「そ、数え年に一個足した数食べたら、身体が丈夫になるんだよい。えーと…」
 素直に手を出した少女に、ころころと豆を配ると、彼は他の部員にも同じ様に配っていく。
「へぇ、準備がええのう、流石丸井じゃ」
「ウチの親が持たせてくれてさ。結構量があるし…えーと、俺らは十六かな…ほい、仁王の分と…こっち柳生な」
「有難うございます」
 メンバー達に順番に配っていったところで、真田の前に立った丸井が一言。
「真田は三十六個ぐらいで…」
「……」

 ざらっ…

 無言で、真田はおもむろに丸井の手にしていた豆の入っていた袋に手を突っ込むと、握れるだけの豆を握って取り出し…

「貴様を先に調伏してやるわ無礼者―――――っ!!!」

と、したたかに相手に投げつけていた。
「きゃーっ、鬼さんが怒った〜っ」
 既に彼の行動は予測していたのか、その赤毛のやんちゃっ子はけらけらと笑いながら豆つぶてをかわして逃げ回る。
 朝練の前に、既に部室内は大騒ぎ。
「……鬼も逃げますね、ウチ見たら…」
「特に強そうで怖そうなのが一人、もう中にいるしねぇ」
 最早、彼らを止める気力も失った桜乃の隣で、部長がやれやれと苦笑する。
「いいんじゃないかな。柊や鰯の頭より、よっぽど脅しは効きそうだよ、彼」
「はぁ…」
 この部に限っては、節分そのものが無意味なものかもしれないな…と、桜乃は思わずにはいられなかった……






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