正しい誘い方
「あーっ! おさげちゃんだ、おさげちゃんっ! わーいっ!!」
「まぁ、立海の皆さん、こんな所で会うなんて奇遇ですね」
或る日曜日の午後、桜乃は私服で出かけていた街角で、全くの偶然に立海のテニス部レギュラーと出会っていた。
向こうも全員私服…と言う事は、少なくとも今日は練習試合などの都合で一緒にいる訳ではないらしい。
「皆さんでお出かけですか?」
「うん、今日は何の予定も立てずに、ただ街の中を色々見て回ろうってことでね」
桜乃の問いに答えたのは、その面子を束ねる部長の幸村だった。
すらりと長身で顔も整っている彼は、他のメンバー同様に街中でも目立つ存在だったが、彼本人はそんな周囲の視線には構わず普段と同じ様に桜乃の前で優しく笑っている。
そしてレギュラー達も、偶然に会えた少女には一様に穏やかな視線を向けており、全員が彼女に対して好意的である事を如実に示していた。
「あ、でもそれって結構面白いんですよね。予定を立てない楽しさがあるってところが…」
にこりと笑った少女は、今度は男達の中で唯一二年生の切原から同じ質問を受けた。
「で、アンタは何してんの?」
「私も今日は別に予定を立てずにウィンドウショッピングです…でも結構良いモノが買えたんですよ。これなんかお揃いで…」
ひょいっと掲げた何処かの店の紙袋を見せて、桜乃がにこやかに…
「リョーマ君の…」
ぴくんっ…!!
その単語を聞いた瞬間、全員の肩が揺れて、密かに黒い感情が沸きあがった。
お揃い…?
あの一年生ルーキーと!?
許さじ!!と意志が団結したところで桜乃の台詞が続く。
「親戚の大学生のお姉さんと、色違いのリボン買っちゃいました〜」
「あー、それは良かったなぁ」
「うん、良かった良かった」
自分達にとっても良かったとばかりに、男達は再び穏やかな表情で彼女と笑い合う。
そう。
実は立海メンバーは全員、桜乃を非常に気に入っており、最早只の知人としてではなく妹の様に可愛がっているのだ。
その愛着の深さは、同じ学校のクラスメートの女子達とは比べるべくもなく、それ故に桜乃の恋愛事情などには異常な程に敏感になっている…幸い現在は彼女の鈍い性格もあって、大事には至ってはいないのだが。
そんな男達の心の安堵には気付く様子もない桜乃に、最初に彼女に気付いた丸井がべったりと相手に抱きついておねだりを始めた。
「なぁなぁおさげちゃーん、ちょっと一緒にお茶しないお茶! んで、どっかでデザート食べよう!」
「きゃ…」
「こら丸井!」
若者の行動を諌めたのは、副部長の真田だった。
「こんな道の往来で、女子に抱きつく様な真似は止めんか! 立海の名に傷がつく」
「えー? 何で? お茶誘っただけじゃんかよい」
「その誘い方に問題があるって話じゃよ」
全く自覚のない様子の赤毛の若者に、銀髪の男が苦笑する。
「フレンドリーなのは結構じゃが、過ぎると性質の悪いナンパに思われるかもしれんぞ」
「ナンパ? ナンパってアレかい? 見ず知らずのねーちゃんに『ヘイ彼女―、お茶しない?』って気安く声掛けて、思い切り胡散臭がられる奴」
「そーだな、正にお前が今やったコトだ」
自覚ゼロの相棒に、ジャッカルが疲れた表情で言い切ったが、向こうはぶーと唇を尖らせる。
「おさげちゃんとは知り合いだもん」
「第三者はそう見てくれるとは限らないぞ。俺達は確かに知己だが、その事情を全ての他人が理解してくれているという事はないのだ。安易な行動で彼女に迷惑が掛かる可能性もある」
「迷惑?」
その単語には引っかかる物があったのか、丸井は神妙な面持ちになった。
桜乃にそれを掛ける訳にはいかないという心遣いは出来る様だ。
「君が軽い言葉を掛けて彼女がそれに乗ったとしたら、何も知らない人達から見たら、竜崎さんがそういう誘いに安易に乗る様な女性だと思われかねないからね…誘う形は自由ではあるけど、確かに多少の気配りは欲しいところだな、ブン太」
柔和な笑顔でそう語る幸村に続き、どうしてもこういう問題には特に固い思考で臨んでしまう真田が締め括った。
「そもそも、安易に女子に声を掛けることそのものがけしからん。用事がある場合ならともかく、男が茶に誘うなら、それは遊びではなくそれだけその相手に好意を寄せているということを示す覚悟で臨むべきだろうが」
(それもちょっと固すぎやしないかい?)
でも、間違っている訳でもないので全員が黙っていると、真田の言葉を受けた丸井はじっと考え込んだ。
「覚悟…? うーん…軽い言葉でなくて…」
一方、そんな会話が彼らの中で為されているとは知らない桜乃は、さっきから不思議そうにこちらを見つめて首を傾げている。
「…うん、分かった」
そして何かを納得した様に頷くと、再度挑戦!とばかりに丸井は桜乃の方へたーっと走っていった。
どうやら誘うところからリテイクする気らしい。
「えーと、おさげちゃん」
「はい?」
今度は確かに抱きついたりという過度な表現はなく、他のレギュラー達も推移を見守っていたのだが……
「ちょこっと結婚とかどお?」
「はい?」
がっこん!!
すかさず背後から飛んで来た真田の蹴りの一撃で、あえなくダウン。
「うおおっ!! 流れるような足の動きと躊躇いを感じさせない技の切れっ!」
「見事なかかと落としじゃ!!」
「わ―――――っ!! 丸井―――――っ!!」
感動している切原や仁王の脇で、ジャッカルが大慌てで叫ぶ一方、さっきから理解に苦しむ事態が生じている目の前の光景に桜乃は声もない様子。
「……え?」
無言のままでずるずると丸井を引きずっていく真田を、柳と幸村は溜息をつきながら眺めていたが、そこで見かねた柳生が桜乃に近づいた。
「大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありません、ところで竜崎さん…」
「は、はい?」
「折角ここでお会いしたのですし、宜しければ私達とお茶などご一緒しませんか? 近くに、美味しいお茶とブラウニーがあるお店があるんですよ」
「はぁ…でもその…丸井さん…」
当然とも言える少女の懸念を、しかし相手は見事な紳士スマイルで遣り過ごす。
「大丈夫です、副部長はちゃんと手加減していますから。先程の一件はなかったことに」
「はぁ…」
そういう問題なのだろうかとは思いつつも、桜乃は相手の笑顔に誤魔化される形で頷いた。
「分かりました、私などが一緒でも良いのなら…」
「ご謙遜を、貴女なら大歓迎ですよ」
そして桜乃を連れ出すコトに成功した紳士は、さり気なく部長達の方へと近づいた。
「…これで宜しいでしょうか」
模範的な誘い方の具体例を実践した紳士に対して、
「合格」
と、幸村が応じる。
ナンパは確かに好ましい行為ではないけど、せめて親しい女子を誘うならこれぐらいのマナーが普通なんだけどね…と部長が頷いた後では、
(あの子が鈍感でほんっとうに良かった!!)
と、内心胸を撫で下ろしているメンバー達がいた……
了
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