お茶うがい


「うわぁ…今日も結構休んでるんだなぁ」
 桜乃はその日、部活に不参加の生徒の数を確認して首を傾げていた。
 いつもなら全員参加が常のこのテニス部なのに、今日は二桁に届くかと思う程の不参加者がいた。
 しかし、彼らは別に望んで休んでいる訳ではなく、実は学校そのものを休んでいる生徒ばかりなのだ、その理由というのが…
「うーん…インフルエンザは下火になってきたけど、やっぱり風邪が多いみたい」
 彼らが届けた欠席理由の病名の殆どが、インフルエンザ、或いは感冒なのだ。
 学級閉鎖や学校閉鎖には届かない数ではあるが、日常的な学校生活の中でもちらほらと病が流行っている話も聞いている。
「…レギュラーの皆さんは流石と言いますか、相変わらず元気溌剌って感じですけど」
 ちら、と見遣ったコートでは、切原が元気に中で跳ね回って、相手の丸井と結構いい勝負を繰り広げている。
 他のレギュラー達も普段の敏捷な動きと何ら変わらない。
 きっと、彼らの基礎体力も関係あるのだろう、それに、普段から手洗いや加湿器の設置など、予防の面でも注意している効果も否定は出来ない。
(でも、何だかちょっと心配……ここに来て、欠席者の数が増えているし、こっちで気をつけてあげられることってないかなぁ…)
 うがいや手洗いはとっくに実践しているし…
(…そう言えば、いつかテレビでやってたなぁ)
 うがいをするにも、普通のお水ではなく、お茶でやったらカテキン効果でより風邪予防効果が上がるとか……
「……」
 そこで桜乃はちらっと自分の腕時計を見て時間を確認した。
 今の時間なら、メンバー達の練習は暫く続くし、物資の補給も必要ない。
 つまり、桜乃自身は多少手が空いている状態なのだ。
 長々と席を空ける事は好ましくはないが、少しだけ、許してもらおうかな…
 そう決めた桜乃は、とててーっと自身の師匠の立場でもある柳へと小走りに走っていった。
「あの、柳先輩」
「ん? どうした?」
「今、少しだけ席を外してもいいでしょうか? 部室に行きたいんですけど…」

「それは構わないが…何かあったのか?」
「実は…」
 かくかくしかじか…と考えている事を説明すると、柳は寧ろ歓迎する形で彼女の提案を受け入れた。
「それはいいことだな…幸い暫く時間はあるし、ここは俺一人で十分だ」
「有難うございます。でもそんなに時間は掛かりませんから」
 断りを入れて、桜乃は早速部室に向かって行った。


「えーと、そう言えば、こないだ持って来たお茶葉があったよね…それで作ろうかな」
 給湯室に入ってから、桜乃は早速ごそごそと準備を始める。
「…うがい用だから適当でもいいけど…やっぱり効果を期待するなら、ちゃんとした方がいいわよね」
 適当にやって、結局骨折り損のくたびれ儲けって事にもなりかねないし…と、桜乃はしっかりと手順を踏んでお茶を煎れ始めた。
「お茶葉の量はこれでよし…お湯はしっかり温度を測って…うん!」
 祖母から家事を叩き込まれてきた娘は、骨の髄まで染み込んでいる技を如何なく発揮しつつ、やかんで煎出したお茶をコンテナへと注いでいく。
 それでも、まだコンテナには余裕があった。
「二煎目からは熱湯を使って、待ち時間はなし! うーん、今度からはうがい用に冷茶仕様のお茶葉も購入しとこうかな…」
 一杯一杯廻し入れする必要がない分楽だなーと喜びながら、桜乃はそれからもコンテナにお茶を煎れていき、ほぼ満杯になったところでばっちりと蓋をする。
「うん…後はこれを冷まして出来上がり〜」
 冷蔵庫に入れて、冷えるのを待ってからうがい用に使ってもらいましょう…と、最後の仕上げを行い、桜乃は再びコートへと戻って行った。


 そして、部活が一段落して、桜乃はボールなどの片づけを行ってから部室へと向かっていた。
(そろそろお茶も冷えているだろうし、少しでも効果があるといいんだけどなぁ…)
 そう思いつつ部室に戻ると、ドアを開けたところに丁度柳が立っていた。
「あ、柳先輩」
「ああ、竜崎」
 ふいっと桜乃の方へと振り返った参謀は、何故か少しばかり困った表情を浮かべていた。
 何だろうと思っている間に、こちらが質問する暇もなく向こうが尋ねてきた。
「…お前が煎れたのは、うがい用のお茶だった筈だな…?」
「はぁ、そうですけど…どうしたんですか?」
「…すまん」
「はい?」
 何故か謝ってきた参謀はそのまますっと部室内のレギュラー達を指し示した。
「…『うがい』ではなく『飲料』として大好評で、止める間もなく…」
 見てみると、レギュラー達が既に例のコンテナを冷蔵庫から引き出してきて、うがいではなく飲料そのものとして利用しまくっていた。
「お、美味いな!」
「ちゃんとした煎れ方だから、味がしっかり出ているよ」
「さっすがおさげちゃん〜」
「ふむ…運動後には丁度いい水分補給だな」
「お茶の香りもよく出ていますね」
「ああ、毎日頼みたいぐらいじゃの」
「げっ、おかわりもうないんスか!?」
 そして、コンテナの中は既に空っぽ…
「うがい用だと再度確認する暇もなく、あの体たらくでな…」
「…気を遣いすぎましたかねぇ…」
 味にこだわって煎れたのが仇になりました…と二人が悩んでいる間に他のメンバーも彼らの様子に気付き、仔細を聞いた。
「えー、勿体ねっ! あんなに美味いのにー」
「うがいで捨てるのはなぁ…」
「大したお茶葉を使っている訳じゃないんですよ? 気軽に使って下さっていいんですから」
「けどなぁ…」
 玉露とかそういう高価なものではなく、正直、スーパーに売っている様なお買い得品なんですから…と桜乃が言っても、向こうはどうも納得いかない様子で、そこに部長の幸村が割り込んできた。
「まぁまぁ…確かに、うがい用に作ってくれたのに飲み切っちゃったのは済まなかったね、竜崎さん」
「あ…別にそれは全然構いませんけど…只のお茶ですから」
 その脇では、仁王がふむ、と腕組みをして或る事実を思い返している。
「そう言えば、世のマネージャーは部員の飲料を準備する話もよく聞くが、思い返してみたらウチにはあまりない慣習じゃのう…」
「そりゃそうでしょ、ウチには専用の自販機があるんスから」
「だったな、もう俺達にとっては普通の光景だから、別に何も思わなかったが」
 切原達の言う通り、別に桜乃が怠惰という訳ではなかった。
 ここ立海テニス部には、部員の体調管理をより万全に期する為に、各種飲料を準備した自販機が敷地内に複数設置してある。
 お茶のみに限らず、ミネラルウォーターやスポーツ飲料もそこで手軽に且つほぼ無料で入手出来るのだ。
 そんな彼らの脇で、相変わらず桜乃と対峙していた幸村が、今度は空になったコンテナをひょいと取り上げながら柳へ顔を向けた。
「…うがいにこだわらなくても、カテキン効果は期待出来るんじゃないかな?」
「ああ、そもそも日本茶そのものに、抗ガン作用など様々な効能があるからな。飲んで害になるという訳ではない」
「だよね」

 ぽんっ……

「……………」
 幸村の手から、桜乃の手に渡されるコンテナ…
 無言での動作に、しかし少女は明らかな一つの意志を汲み取った。
「…作るんですね?」
「よろしく」

 翌日から、桜乃の煎れたお茶が冷蔵庫の中に常備されるようになり、限定版として一番人気を誇ったことは言うまでも無い…






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