花嫁道具?


 その日は試験も近いとある一日の放課後
 立海メンバー達は、副部長である真田弦一郎の家を訪れ、そこで試験勉強をする予定を立てていた。
 彼らにとっては、これは試験ごとに行われる行事であり、その時に自身の知識などを確認する良い機会でもある。
 但し二年生の切原にとっては、強制参加という形で課せられる行事である為、百パーセント歓迎という訳にはいかないのだが。
「遠慮せずに上がってくれ」
「お邪魔します…久し振りだね、弦一郎の家に上がるのも」
 促され、真田の部屋へと向かいながら幸村がしみじみと言っていると、自分達が歩いている廊下の向こうから、何か小さな物体が駆けて来るのが見えた。
「ん…?」
 よく見てみると、一匹の子猫だ。
 最近この家で猫を飼い始めた事はメンバー達にも周知の事実だったので、特に猫の姿を見ても彼らが驚く様子はない。
「やぁ、お出迎えに来てくれたんだ」
 何処かに行くのかと思っていたが、来訪者の自分達の足元に纏わりついてくるところを見ると、自分達の足音を聞いて興味が湧いたらしい。
「おおー、結構懐かれてんじゃん俺ら」
 動物に好かれるのはやぶさかでないらしい赤毛の若者がはしゃいで言っている間に、猫は素早い動きで彼らの足元をひとしきり巡ると、最終的には家の住人である弦一郎の足元に寄り、身体を擦り付けてきた。
 客の来訪を観察すると同時に、自分の主人の帰りを喜んでいるらしい。
「ほう…随分と真田に馴れとるのう」
 楽しそうに仁王が評している間に、真田は子猫を片手で抱き上げながら少し困った様子で答える。
「馴れるのはいいが、制服に毛がついてしまうのが少々難でな…仕方ないことだが」
「確かに気を遣うところではあるな。だが猫は本来綺麗好きな生き物だし、妹君のことだから躾もきっちりやっているのだろう? 見た目にも非常に毛並みが整っているし、清潔面では問題はないだろう」
 参謀の柳が冷静に観察した上でそう言うと、向こうは到着した自分の部屋の襖をしゅっと開きながら頷いた。
「まぁな…真田家に住む以上は、人であろうと獣であろうと、たるんだ生活を送らせるワケにはいかん」
「んな無茶な…猫って言えばたるんだ姿がチャームポイントだろうに」
「見知った人間であれば問題ないが、不審者が来た場合には容赦なく飛び掛るぐらいの甲斐性は備えているぞ」
「……」
 見知ってて良かった…とジャッカルが押し黙ってしまった間に、全員は部屋に入り、準備されていた大きな卓を囲むように座って教科書などを取り出し始めた。


 それから勉強会は恙無く始められたのだが…
 ちょい…ちょいちょい…
「ん」
 静かに勉強している中、質問や難問に対する呻きが聞こえている脇で、子猫が座っている真田の足に前脚を何度も引っ掛けてじゃれている。
 一緒に遊んでくれると思っていた客人も主人も、何故かそこから動こうとしないので、つまらないと思っているのだろうか。
 すると真田が一方では教科書を熟読しながら、左手で猫の必須アイテム猫じゃらしを握り、適当にぱたぱたぱた…と子猫の前で振ってやった。
 真田の視線は相変わらず教科書から離れなかったものの、猫大喜び。
 にゃんにゃんにゃん!と声を上げながらじゃれてくる姿は非常に微笑ましいものだったのだが…

『……………』

 鬼の副部長が子猫相手に猫じゃらしを振る姿は、流石のメンバー達にも或る意味衝撃をもたらすものであった。
「な、何か手馴れてるッスね…副部長」
「そうか?」
 切原がぎこちなく呼びかけているのにも気付かず、相変わらず向こうは教科書を見ながら猫じゃらしを振り回しつつ返事を返す。
「当初猫を飼いたいと言い始めたのは桜乃さんだったのでしょう? 私のイメージでは、あのお方にじゃれている姿を想像していたのですが…」
 全員がそうだったであろう想像を仁王の相棒である柳生が伝えた時、そこで久し振りに副部長の視線が教科書から離れ、仲間達へと向けられた。
「い、今は奴は夕食の準備中だ。如何に清潔にしているとは言え、衛生上、動物を台所に入れるワケにはいかんだろうが」
 尤もな理由ではあるのだが、何となく相手の様子が落ち着かないものに変わった事を、優秀な部長は見逃さなかった…おそらく参謀も。
「…桜乃ちゃんに猫ちゃんが近づいたら困る理由でもあるの?」
「う…」
 的確な指摘にどもってしまった真田が、少し沈黙した後に溜息をついた。
「た、大した事ではないが…猫を飼ってまだ数日という時に少々な…」


 真田家に猫が来て三日後の夜
「そうか、もうすっかり家にも馴染んだか」
「うん、お祖父ちゃん。凄く可愛いのよ?」
「可愛がるのはいいが、世話を怠らんようにな。飼うということは、その生き物に対して責任を負うことと同じ」
「はい、分かっています」
 居間で真田と妹の桜乃を含んだ家族全員が団欒を楽しんでいた時、話題は最近真田家に来た新参者についての事になっていた。
「猫って、調べたら十年以上長生きするんですって。これからずっと仲良く一緒に過ごせたらいいなぁ」
 にこにこと笑いながら微笑ましい願いを口にする妹に、真田も優しい視線を向けている。
 そこに桜乃の母が、あら、と笑みを称えながら口を挟んできた。
「これから十年ともなると、桜乃もすっかりお年頃ね…貴女がお嫁に行く時はどうするのかしら」
「!!」
 そんな母親の言葉に、兄がざぁっと顔色を失っていくのにも気付かず、桜乃は元気良く答えた。
「えー? 連れていくよぉ、勿論!! 猫ちゃんは私の花嫁道具にするもん、一緒に猫と住んでくれる人じゃないと結婚しないし、猫ちゃんが行きたがらないなら私もお嫁に行くのやめるー」
「あらあら」
「すっかり親バカだなぁ、桜乃」
 はっはっは、と家人が笑っている脇で、真田だけが唯一沈黙し、何かを心に決めたような表情を浮かべていた…



「…まぁそういうワケでな」
「ああ、もう大体分かったから言わなくていいよ」
 事の顛末を聞いて、幸村だけでなく他のメンバーも全て悟った様だ。

『そーゆーコトね…』

 つまり、猫を桜乃以上に自分に懐かせておけば、嫁にやることもないだろうという予防線だったわけか…まぁ猫にとっては虐待ではなく可愛がられることになるのだから、悪いことではないだろう、何だかんだ言って真田自身も気に入ってはいるようだし…
(相変わらず兄バカなんだからよい…)
 やれやれ…と丸井が溜息をついている隣で、ジャッカルはここにいる全員が猫アレルギーなどがなかった事を何とはなしに思い出している。
 その向こうでは…
『…本当に好きな人が出来たら、『私がいなくなっても、お兄ちゃんには猫ちゃんがいるから寂しくないわよね』って言われちゃうんじゃ…』
『ほーう…意外とバカじゃないのう、赤也』
 後輩の意見を肯定した詐欺師がうんうんと頷いている。
 そして、そんなメンバー達を見ていた参謀の柳と柳生は、真田へと視線を戻しながら…
『「嫁に行く」、のではなく、「婿が来る」可能性については……?』
『暫くは教えないでやっておこう…試験も近いしな』
『了解しました』
と、こっそり囁き合っていた……






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