極秘トレーニング
「ふぃー、終わった終わった!」
「いよいよ暑くなってきたが、まだ身体がだるいの」
その日の部活動のメニューを全て終えた立海レギュラーメンバー達は、一様に当日の暑さについて騒ぎながら各自のロッカーを開けていた。
まだ梅雨明けはしていないものの、確実に夏の暑さは日々勢力を増しているといった感じだ。
「まだ身体が暑さに慣れていないからね…調子を壊さない様に皆、気をつけて」
よいしょ、と上着を脱ぎながら部長である幸村が忠告した台詞に、その通りだと副部長の真田も同調する。
「俺達は日頃のトレーニングで他の奴らよりは身体は頑丈に出来ているが、その分不調に気付きにくいところもあるだろう。各自、注意を怠らぬように」
「ふえーい」
「湿度さえなけりゃなぁ…もう少しは過ごし易くもなるだろうが」
丸井とジャッカルが多少気が抜けた調子で答え、柳生も相棒の仁王へと気遣う台詞を投げかけた。
「仁王君は特に暑さは苦手でしたからね…それなりに対策を取っておいて頂かないと」
「ああ…まぁ自分なりに家でも気をつけとるからの、後はもう順応性の問題じゃな」
「ふむ…」
それは感心、と参謀の柳が頷いてくるっと首を巡らせて見遣った先では、かなり汗をかいた状態の切原が、それを拭き取るべくタオルを手に格闘している。
「赤也、凄い汗だが大丈夫か?」
「あー全然平気ッスよ。ちょっと飛ばしすぎただけなんで……っても、ちょっちだるいッスかねぇ」
「自らの体調を管理し、過度な疲労を蓄積させない事も立派なトレーニングだ。部活だけではなく、家で気をつけている事はあるのか、赤也」
「そりゃあ、ゲー…」
「ゲーム以外で!」
「……」
相手に先手を打たれた形で念を押された切原が、うっと詰まりつつ必死に考える。
家で? 疲労発散の為に気をつけていること…?
「…うーん…あ」
何かを思いついたのか、軽く声を上げた若者だったが、何故かそれをすぐに発言することはなく、暫く無言で考え込む。
「…どうした?」
不審に思った真田から促され、ようやく答えた回答は…
「いやその……か、加圧トレーニングを少々…」
「ほう、加圧トレーニング」
てっきりまたゲームに準じた娯楽関係の言葉が出てくると思っていた真田は、少し見直した様子で自分の後輩を見た。
「知っている、最近NASAでも注目されているというものだな。まさかお前にそんな先見の明があるとは」
「い、いや…まぁ…自宅で出来るぐらいのモノっすけどね…」
褒められたにも関わらず、何処か切原は落ち着かない様子で視線が宙を泳いでいる。
「いや、自分自身でそういう事を行おうという意志が重要なのだ、別に恥じることではないぞ」
「は、はぁ…ドウモ」
そして、その場は何とかそのまま誤魔化して、切原は家へと戻っていった。
確かに同日のトレーニングは炎天下の下で行った分、体力にも結構な負担を与えていたらしく、切原は家に戻るとすぐにリビングの床に、のべーっとうつ伏せの状態で身体を投げ出していた。
「あーもー…だーりー…」
「お兄ちゃん、だらしなーい」
そこに、夕食の下ごしらえを終えた妹の桜乃が、少し呆れた口調で言いながら近づいてきた。
帰宅部である桜乃は、大体いつも切原よりも早く家に戻り、夕食の準備をするのが日課になっている。
サボリ癖がある切原と比べて、彼女はごくごく真面目に学業にも家事にも取り組む素直な少女であり、切原にとっても自慢の妹だった。
「あ、桜乃、ちょーどいいや」
「?」
何を思ったか、こいこい、と手招きをした兄に、桜乃が何かと思って近づくと、切原は自分の事を指差しながら相手に依頼した。
「ちょっと俺のこと踏んで」
「お兄ちゃん…」
ともすれば変態に勘違いされそうなお願いに、桜乃が今度こそ呆れた目を向けたが、向こうは一向に構わずにじたばたと四肢をばたつかせて駄々をこねる。
「いーじゃねーか疲れてんだよ! 肩も背中もすげー凝っちゃってさー、癒されてーの!!」
「んもー…しょうがないなぁ」
仕方がない、と桜乃は相手の願いを聞き届け、よいしょ、とそのまま相手の背中の上に乗りあがった。
そして、加減しながら相手の鍛えられた背中の上で足踏みを始める。
ふみ…っ
「お」
ふみふみふみふみ…っ
「おおお〜〜〜、イイ感じイイ感じ〜…もちっと上な」
「この辺?」
「そそ…う〜〜、効くな〜〜」
「オヤジみたいだよ、赤也お兄ちゃん」
「うるへ」
妹のツッコミにも構わずに、切原は背中を解される心地良い感覚にほ〜っと溜息をつく。
言うまでもなく、これが彼にとっての『加圧トレーニング』なのだった。
詳細は、部員どころか他の第三者にも決して漏らせないのだが…
切原ほどに鍛えている身体だと、華奢な桜乃の手では硬い筋肉のコリを解すことは難しい…ので、彼女の体重を掛ける形でのマッサージが切原家での名物だった。
「もー、今日もさー、真田副部長がやたらと厳しくて俺のコトを…」
マッサージの間、切原はぐちぐちぐち…と学校での愚痴を述べ始め、桜乃ははいはいとそれを大人しく聞いてやっていた。
その真田副部長に日々どやされながら、結局、自分でそうならない様に改める気配がない兄は、一体何を考えているのだろう…?
そんな事を考えていた桜乃に、ふとある可能性が浮かんだ。
(もしかしてお兄ちゃん…)
自分が、ふとしたアイデアで兄の背中に乗ってコリを解してやる行為を始めたのは結構昔の事だ…確か、兄がラケットを持ってからそう長い期間は空いていなかったと思う。
あまりにキツイとかツライとか愚痴が多かったから、黙らせる意味合いも込めて、えいっと乗りあがってみたのだが…それが、兄の癒しのピンポイントを直撃し、習慣となってしまった。
コリが解れるのはいいことだし、自分もそれの役に立つのはやぶさかではないのだが…
(…やっぱり、赤也お兄ちゃんって…マゾなのかしら…)
真田副部長さんって人に叱られても、嫌そうにしていながら改めることもしないし、妹の自分にはこうして踏まれて喜んでいるし…
(も、もしかして、私が変な嗜好に拍車をかけちゃったのかな…?)
こういう習慣をつけてしまったから、お兄ちゃん、ワザと叱られるような事をしていたり…?
勿論、単に怠け者だという性癖によることもあるだろうが、どうしても桜乃はその不安を拭うことが出来なかった。
「…赤也お兄ちゃん…」
「んあ…?」
「…踏んでほしかったらいつでも私がやってあげるから、絶対にいかがわしいクラブとかには行かないでよねっ!?」
女王様クラブとか、SMとか…
兄が変な方へ道を踏み外す様な事は絶対に止めなければ!!
「あー? 何言ってんだお前…これ以上、部の掛け持ちなんざ出来ねーって…」
妹の苦悩の真意も知らず、切原は相変わらずふみふみふみ…と踏まれながら、心地良さそうに目を閉じていた……
了
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