人猫合作


「うはー、カルピン、毛が凄いね〜」
「換毛期だからね」
 その日の放課後、久し振りに越前家に遊びに来ていた桜乃は、同家の一人息子越前リョーマの部屋で彼の愛猫カルピンのブラッシングをしていた。
 元々が長毛種であるカルピンは、先程から桜乃の膝の上で大人しくブラッシングを受けていたが、梳いても梳いても終わりなく毛がブラシに絡まってくる。
「毛が長いと目立つもんね…よしよしもうちょっと」
 カルピンにとっては桜乃のブラッシングは割と楽しいイベントなのか、特に嫌がる素振りもなくじっとしたままだ。
 そんな少女と一匹の横で、その部屋の主は傍の優勝カップに盛られたえびせんを食べながら、手にしたプリントを眺めている。
「毎日毎日ブラッシングしても、ちょっと油断すると部屋にケサランパサランが大発生するんだ。一緒にお風呂に入ったりもするけど、あんまりやると毛が詰まるって母さんがさ…」
「あー、掃除の時には困るよねー……ところで、さっきから何見てるの?」
「ん、HRで貰ったプリント。明日の書道について」
 答える少年の表情は、明らかに不機嫌なそれだ。
「? そんなに難しい授業じゃないよ?」
「毛筆って持ちにくいし、あんなので書くことなかったもん、アメリカじゃ」
「あー、それは確かにそうかも…」
 向こうでは毛筆で文字を書く文化は全くない訳ではないだろうが、そう馴染みのあるものでもないだろうと桜乃が苦笑すると、越前は更にぶすっとしてプリントをひらひらと軽く振り回した。
「こっちは漢字でも苦労しているのにさ…前の書道の時間も、堀尾が『デザインだと思え』って言ったから、分度器とコンパス持ち出したら先生に注意されたし」
「ほんっとうに文化の違いって凄いね……でも、漢字は西洋の人にとっては『魔女の契約書』みたいに見えるって言うし」
「…明日もあんな事するかと思うと憂鬱…おいでカルピン」
「ほあら〜」
 プリントを放り出し、腐った気持ちを癒してもらおうと桜乃の膝からカルピンを取り上げた越前は、そのままぎゅーっと相手を抱き締める。
「うふふ、カルピンはリョーマ君の元気の素だもんね」
 桜乃の笑みを含んだ言葉に、越前はカルピンを抱き締め、その毛並みに顔の半分を埋めながらぼそりと小さく答えた。
「…コイツだけじゃないけど」
 アンタも結構…
「え?」
「何でもない」
 相手の呟きを結局確認出来なかった桜乃だったが、さして気にする事もなく自分の手にした毛塗れのブラシへと目を向けた。
「うん? じゃあ、ブラシ綺麗にしないとね。ビニルビニル…」
 絡まっていた毛を取り、それを先程から入れていた片付け用のビニル袋にしまうと、桜乃は暫くそれをじっと見つめていたが、不意に越前に呼びかけた。
「ねぇ、リョーマ君。これ、私にくれない?」
「? カルピンの毛? 何するの」
「うん、ちょっと…」
 何かを考えているらしい桜乃だったが、どうせ捨てるしかなかったものなので、越前も特に嫌がるでもなく頷いた。
「いいよ、別に」
「有難う、リョーマ君」
「ん……それより折角だし、ゲームでもする? テニスの」
 ブラッシングを終えたところで少年が誘ったが、少女はえ〜と少し渋い顔をした。
「ゲームでもテニスですかぁ…でも私、ゲーム苦手だからきっと負けちゃうよ」
 そんな相手に、越前がいつもの生意気な笑み。
「ふーん、じゃあ本当のテニスやる?」
「ごめんなさい、もっと負けちゃいます」
 それからも二人の会話は穏やかに続き、テニスはしなかったものの充実した時間を過ごして桜乃は越前家を後にした。
 そしてその帰り道、少女はとある文具屋に立ち寄り、何かを買い求めた後に帰宅したのであった…


 翌日の書道の授業前の休み時間…
 やはりと言うべきか、越前は不機嫌な顔で肘をついていたが、そこに桜乃がにこにこと笑いながら近づいて来た。
「リョーマ君、これあげる」
「ん?」
 彼女が少年に差し出したのは、何の変哲もない一本の毛筆。
 毛は白から茶色へのグラデーションが特徴的なもので、それと軸になっている木の繋ぎ目にはアルミホイルが幾重にも巻かれている。
「筆? これって…え?」
 何気なく毛先に触れた越前の瞳が軽く見開かれた。
 この感触、何処かで…それにこの毛の色は…まさか…
「これって…」
「うふふ、昨日もらったカルピンの毛で作ってみたの。猫の毛で作られるアイテムって結構あるんだって。ネットで調べたら簡単な作り方が載ってたから真似してみたんだけど…」
「……」
 自分の愛猫の毛で出来た筆に何度も触れながら、越前はじっと黙って聞き入っている。
 その瞳はあの飼い猫の様に大きくキラキラと輝いていた。
「この筆で書いたら、それはリョーマ君とカルピンの合作になるよね。そう考えたら少しは楽しく書けないかな?」
「え?」
 桜乃の言葉に、改めて越前が顔をそちらへと向ける。
 俺と…カルピンの合作…
 それもそうかもしれないけど…これをアンタが作ってくれたって事は、アンタとの合作にもなるんだよ…な…?
「……あ、ありがと…」
 そこで教室に教師が入室し、いよいよ書道の授業が始まった。
 越前は、持って来た筆ではなく、桜乃から受け取ったカルピンの筆を持ち、書道に勤しみ始める。
(…あは、リョーマ君、すっごいやる気になってる。良かった)
 桜乃がこっそり見る相手は、先程までの無気力さとは裏腹に爛々と瞳を輝かせ、筆の運びも軽やかに文字を綴っていた……


 その日の夜
 越前は自室でPCの前に座り、その画面をじっと見つめていた。
 桜乃から教えてもらった、猫の毛で出来る様々なグッズを紹介するサイトだ。
 画面には、猫の毛で作られたフェルトや人形の写真、作り方が掲載されており、それを暫く眺めていた少年は、ぽちっと印刷ボタンをクリックしていた。


 翌日のHR前の教室…
「…あれ?」
 登校した桜乃は、自分の机の上に幾つかのグッズが置かれているのに気がついた。
 一つはビニル袋に大量に入れられた…おそらくはカルピンのものと思われる新たな毛。
 そしてカルピンのおすまし写真と、猫毛で作るフェルトの作り方を印刷した数枚の紙だった。
「……えーと」
 材料と、作成法が記載されたプリントから導き出される答えは…
「……」
 先程から背後から感じられていた視線に、桜乃がこそ〜っとそちらを振り向くと、越前がじーっと自分を見つめていた。
 間違いなくこれらのアイテムを置いたのは…彼だ。
(…ハ…ハンターに狙われてる…!!)
 これはやっぱり…『作って』ってコトなんだろうなぁ…カルピン似のフェルトを。

 そして数日後、桜乃は再びカルピンの毛と戯れながら作ったフェルトを、生意気で素直になれない猫の様な少年にプレゼントしたのだった…






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