ナイショのデジャヴ
「もうすぐ季節も秋かぁ」
「最近は涼しくなって、過ごし易くなったよねぇ」
青学の一年生の教室で、昼休みにそんな女子の会話が交わされていた。
お弁当箱の残りも少なくなり、食事の時間もそろそろ終わりというところで、彼女達は思い思いのペットボトルからお茶やジュースを飲んだり、箸を動かしたり…
そのグループの中には、長いおさげが特徴的な竜崎桜乃の姿もあった。
「あ〜、そう言えば夏が終わって秋になると、こういう飲み物も終わっちゃうんだよね」
ふと、グループの内の一人、ショートカットの少女が、自分が手にしていたペットボトルを軽く持ち上げてみせた。
フルーツの風味が売りのその飲料の表面のラベルには、『夏季限定』という四字熟語がしっかりと印刷されている。
確か、大手の会社から出ているそれは、結構若者たちに人気らしいという話は桜乃も耳にしていた。
「ああ、そうかぁ、季節限定のものってそろそろ交代の時期だっけ…」
「結構季節モノって出るじゃない? 全部試してみて、ようやく気に入ったものが見つかったと思ったらもうシーズン終わってさよならだもんねぇ。来年の夏にそれが出てくれるかどうかも分らないし」
どうやらお気に入りになっていたらしいそのボトルを相手がぷらぷらと振っていると、今度はまた別の女子がうんうんと頷いた。
「そうだよねー、飲み物だけじゃなくて、お菓子とかにも結構あるよそれ。スナックとかガムとか…全部試すのはかなり勇気がいるけどね。金銭的にもカロリー的にも」
『そうだよねぇ』
学生であり、乙女でもある彼女達はその意見に反対する事もなく、首を大きく縦に振って同意する。
すると今度は、また別の女子がそう言えばと別の菓子の話題を振ってきた。
「今年の夏限定のガムで、アップル味みたいなのが出てたんだけど、誰か試した?」
「え? そんなのあったんだ」
「知らないなぁ」
「えー? 結構CMやってたよ? ほら今人気沸騰中の●△って人が出てた…」
「そうなんだー」
「それがどうかしたの?」
皆がふんふんと興味を持ったところで、その話題を切り出した子は悩ましげな顔をしてその理由を語った。
「いや、何と無く試したくなって店とか探してみたんだけど、近くのコンビニにはなくて…もしこの中で試した人がいたらどんなだったか聞いてみようかなーって思ったの」
「……結構香りは強かったよ。でも青りんごの爽やかさがあって美味しかったな」
「え? 桜乃、知ってんだ」
不意にそんな感想を漏らした桜乃に、話を振ってきた女子が嬉しそうに食いついてきた。
「わ、桜乃噛んだことあるんだ。何処の店に売ってた?」
「え?…」
そう問われて、桜乃は数秒沈黙し…はれ?と首を傾げた。
「…あ、あれ…? 何だろ…そう言えば噛んだ記憶はないような〜…」
「何それ?」
「う、ううん、自分でもよく分からないんだけど…おかしいなぁ、味は何となく覚えてるんだけど…他の商品と勘違いしたのかな?」
「えー?」
「いや、でもあるかもよ。結構アップルってありきたりのものだし…」
結局、その場では謎は解けることはなく、話題はそのまま別の菓子の方へと移っていったのだが、桜乃は何となくその原因が気に掛っていた。
放課後…
「あ、さっくのー!」
「こんにちは、ブン太さん。見学に来ましたー」
桜乃はその日の放課後は、少し離れた地区にある立海の男子テニス部を見学に訪れていた。
ここのレギュラー達は例外なく桜乃と親密な間柄にあるので、その行為を咎められることはない…特に、この丸井ブン太という中学三年生に関しては。
「ちぇっ、何だよい、そーゆー時は俺に会いに来たって言うのが正しいんだぜい?」
「ブ、ブブブ、ブン太さんっ…!」
大胆な発言をかました相手に、桜乃がぱたぱたと手を振って止めたが、相手はけろっとした表情だ。
「お前さー、自分の恋人を虫の羽音みたいに呼ぶなって」
「す、すすすみませんっ…けけけど、その…そんなに堂々と言われると、恥ずかしくて…」
指摘された男の恋人は、両手を頬に当てて真っ赤になって恥じらっている。
そう。
桜乃は、実はこの目の前の若者と少し前から恋仲にあるのだ。
向こうからの熱烈な告白を受け、自分も相手を好ましく思っていたので、そのカップルの成就はかなりあっさりとしたものだった。
その後、丸井の大胆不敵なラブラブ攻撃に桜乃がこうして圧される事はあるものの、二人は順調に交際を続けている。
「………」
恋人になったというのに相変わらず奥手で純情な少女の様子を見ていた丸井は、最初だけ少し不満げな様子だったがその表情もすぐに消え、うむと頷き一人で納得。
「可愛いから許す」
「〜〜〜〜〜〜」
許すつもりなら、もう少し控えて下さい…と思う桜乃の気持ちを余所に、彼はポケットから或るガムの包装紙を取り出すと、その中身の最後の一つを口へと放り込んだ。
彼御用達の風船ガムは、今日も絶好調な彼のモチベーションを上げているらしい。
その包装紙を見た桜乃が、あ、と声を上げる。
今の、ちらっとしか見えなかったけど、確か…
「…ん? どったの?」
「あ、いえ…今のガムって…」
「これ? 今のが最後のだったんだけど…興味あんの?」
言いながら、一度はポケットに突っ込んだ空の包装紙を再び取り出して、丸井は桜乃に手渡した。
(…あ、やっぱりそうだ、昼に話していた限定のグリーンアップル味)
しげしげと眺めている相手に、丸井はそのガムを噛みながら説明した。
「今年の夏限定ってヤツでさ、いつもの奴もいいけど、これも結構好きなんだよい。香りが結構強いから刺激になるっていうか……」
説明の途中、あまりに熱心に包装紙を眺めてしきりに首を傾げている桜乃の様子に、丸井も思わず説明を止めてしげしげと相手を見遣る。
「な、何? そんなに試したかった?」
「い、いえ! そういう訳じゃなくて…」
うん、やっぱり…私はこれの味を何となく覚えている…でもどうしてだろう。
私はこれを買った事もないし、丸井さんに貰った事もないのに…?
「…???」
不思議だなーと考えている桜乃に、丸井はてっきり彼女もそれを試してみたかったのかと思い、少し気の毒に感じた。
他の誰にも自分のガムを分ける事など普段は考えもしない若者だが、愛しくて仕方無い恋人だけは話は別。
しかし、既に最後のガムは自分の口の中に入ってしまってるし…
(これやるっつったら、間違いなく変態扱いされちまうだろうしなぁ…俺も流石にそこまでは…)
うーむと考え込んでいた丸井は、ふと、桜乃の方へと向きなおり、笑顔ですたすたとその直前まで迫っていった。
「んー、ごめんな桜乃―。お詫びにいいものやっから、それで我慢してくれよい」
「いいもの…?」
別に自分が噛みたいと思っていた訳ではなく、単に疑問に感じていただけだから気にしなくても…と思いつつ、桜乃は包装紙から目を外して相手へと向けた。
そんな恋人に…
ちゅうっ…
「っ!!」
大胆不敵にも、丸井はテニスコートの傍で桜乃の唇を塞いでいた。
確かに、恋人同士になってから何度か唇を求められ応じたことはあるが、こんな人目につきやすい場所でされるのは初めての経験。
思わずぎょっとして目を見開いた少女の唇に、ふわりと甘い味と香りが流れ込んできた。
(あ…っ)
爽やかで…甘酸っぱい香り…
覚えがある、この味は……
(……これ!)
これだったんだ…!!
ようやく桜乃は思い出した。
自分はあのガムを買った訳でもない、噛んだ訳でもない…けど、それを噛んでいる彼とこうして口づけを交わしていた…だからその時の味が記憶に残っていたのだ。
あの新製品のそれだと分かっていたのは、これまでも彼があの包装紙を取り出しては中身を口に入れていたのを見て、潜在的に知っていたから…
(…じゃあ、お昼に私が感想として言っていたのは…)
ガムの純粋な感想ではなく…彼とのキスの味を、自分は友人に語っていたのだ!
(きゃ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!)
いつ誰かに見られるとも知れない危機感と、今更気づいた重大事件に、桜乃は唇を離された後も真っ赤になったままだった。
「…おりょ?」
一方の丸井は、いつになく照れている恋人を不思議そうに見下ろした。
そりゃ、今までも結構唇は奪わせてもらってるけど、今日はやけに赤みが強いと言うか…艶っぽくない?
「なになに? そんなに嬉しかった?」
「…っじゃなくて! 場所を考えて下さいっ!!」
「え、桜乃のそういう顔見られるなら、寧ろこういう場所でしたくなると言うか…」
「もうっ!!」
それからも、新製品の人気のガムより甘酸っぱい二人の関係は末永く続いたが、ガムの御利益だったかどうかは定かではない…
了
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