お昼寝泥棒
「おはようございまーす!」
「おっ、お早う、竜崎」
とある日曜日の立海テニス部部室。
休日であっても鍛錬を怠らない王者立海の活動に参加するべく、マネージャーである竜崎桜乃はその日も元気にドアを開けて入室していた。
挨拶を最初に返したレギュラーのジャッカルは、普段と少し様子が異なる相手に、おや、と笑いながらそれを指摘してみた。
「何だ? 今日はいつもより楽しそうじゃないか。何かいいことでもあったのか?」
「えへへ、分かります?」
にこにこと笑っている少女は、よくぞ聞いてくれました、とばかりに嬉しそうに話しだした。
「実は昨日、新しい毛布と羽毛布団一式が来たんです! 今までは家から持って来たのを使ってたんですけど、やっぱりかなり古かったんで、お願いして買ってもらいました!」
「へぇ」
同じくレギュラーである二年生の切原が、興味深そうに話題に乗ってくる。
レギュラー内でも一番睡眠欲が強い若者なので、こういう話は乗りやすいのかもしれない。
「それを今日、早速まとめて干してきたんです! いい天気だし、帰ったらおニューでほかほかの布団で寝られると思ったら、凄く嬉しくて〜」
きゃ〜っと両手を振り回す程に喜んでいる少女の姿を見て、柳生と柳がしみじみと呟いた。
「健全ですねぇ…」
「彼女の素行に関しては、心配する必要ゼロパーセント…」
そんな二人の脇から、にゅっと顔を出す形で丸井が少女に質問した。
「女の趣味にはあまり詳しくないけどさぁ、おさげちゃんぐらいの子なら、それよりアクセサリーとか服とか買った方が喜ぶんじゃないの?」
尤もな質問である。
そんな彼の言葉に、んー?と桜乃は視線を上にやりながら考えた。
「うーん…一応、ファッション雑誌とかもたまに見るし、お洒落したい気持ちもありますけどねぇ……私みたいな年齢の子が、早くからそんなのに現を抜かしていると、ロクな人生にならないよってお祖母ちゃん、言ってるし…」
(あー、何か分かる気がする…)
全員が納得していたところで、副部長の真田がうむと力強く頷いた。
「確かに…俺達学生の本分は勉学に励み、健康な心身を育てることにある。浮ついた虚飾や遊びに耽るなど言語道断だからな」
「ふふ、それは確かにそうだけど、最低限、他人に不快感を与えない程度の身嗜みも必要だよ。まぁ竜崎さんについては心配していないけどね…」
「そ、そうですか?」
確かに、やたらとけばけばしいファッションに目を向ける事もなく、中学生らしい普通のお洒落を楽しんでいる少女については心配する必要はないだろう。
浮ついた趣味に走らず、学生生活を送っている桜乃に関しては男達もお墨付きを出し、そこでその話題も終わりを迎え、彼らは練習へと移っていった。
その中で一人、銀髪の若者が陰でうっすらと笑みを浮かべている事を、桜乃が知る事はなかった…
そして練習が終わってから、桜乃はいつもの様に後片付けを行い、学校を出て、途中スーパーに立ち寄って買い物を済ませた後で、寮へと戻った。
(今の時間なら、お布団とかを取り込んでからも、ちょっと出掛ける余裕があるかも…)
そんな事を思いながら、寮のドアへと到着し、鍵を開けて中に入る…と…
「……………」
廊下を通して見えるリビングの向こうに、小さな山が見えた。
山肌は、昨日届けられた羽毛布団の生地の柄。
その山の裾野には、これもまた新しく買ったばかりの毛布の柄が覘いている。
おかしい。
あれらは、自分が朝にベランダに干していた筈なのに…どうしていつの間に取り込まれて、リビングの日当りのいい場所に鎮座しているのか…
ゆっくりと音をたてずに靴を脱いで中に入り、歩を進めていくと、やがて間取り的に隠れていた山のもう片方の縁が見えた。
山の裾野から盛り上がる形で見えたのは、日光に美しく反射している銀の髪…をした誰かの頭。
更にそこには、ちょろっとゴムで括られた後ろ髪もおまけで付いている。
「〜〜〜!!」
流石にそこまで見たら、誰であるかは一目瞭然であり、桜乃は驚きながらももう足音を控える事無く、山へと急いで寄って行った。
「ちょ、ちょ…仁王先輩っ!! 何で先輩がここにいるんですか〜っ!?」
「ZZZZZ…」
聞こえているのかいないのか、向こうは呼びかけられても相変わらず心地よさそうに寝息を漏らしている。
しかし、そこで引き下がる訳にもいかない桜乃は、ゆさゆさと布団越しに相手の肩を揺すった。
「んもうっ! 仁王先輩ったら! 人の部屋に上がり込んで何してるんですか…って」
言いかけたところで、一つの事実に気づいて少女が言葉を失っていると、ようやく薄眼を開けた状態で仁王が彼女の方へと振り向いた。
「ん〜…? 何じゃ、竜崎…何しとるって……寝たい時に寝るんは当然じゃろが…ふぁ、お休み〜〜」
「そーじゃなくて!! どうやってウチに入ったんですか!? ちゃんと鍵は掛けていたのに!」
しかもこの部屋はカードキーでの錠になるから、先輩お得意のヘアピンによる鍵開けも使えない筈なのに!!
混乱する桜乃を余所に、仁王はもそもそと布団を引っ張って所有権を主張しつつ、面倒くさそうに答えた。
「そうは言うが、お前さん、ちょっとセキュリティー意識が低すぎるようじゃよ…? もっとしっかり施錠したか確認せんとな〜…」
「え…? ま、さか、開いてた…?」
思わずドアを振り返った桜乃に、仁王が呑気に応じる。
「おう、開いとったよ…そこの窓の鍵」
「………………ここ、四階なんですけど」
「入れさえしたら関係ないじゃろ…ぐぅ」
「うわ―――――んっ!! 不法侵入者の癖にまだ寝てる〜〜〜〜っ!」
嘆きながら、桜乃は大体の経過を予想できた。
自分がスーパーなどに寄っている間に、この若者はちゃっかりと先に寮に来て、玄関を通じてではなく、外に植えられていたオリーブの木を登ってここのベランダに着いたに違いない。
かなりの高さではあるが、身体能力がずば抜けている立海のメンバーなら不可能ではないし、高所に恐れるような性格の彼でもない。
まんまとベランダに入り込めたら、後は鍵さえ開いていたら…いや、この仕組みの窓の場合は閉まっていたとしても彼の特技で開ける事は可能だが、室内に侵入する事も出来る。
そして、干していた布団一式を取り込んで、それを窓際に敷いてゆっくりとお昼寝を決め込んでいた訳だ。
「んも〜〜〜っ!! そんなに寝たいんなら自分の部屋で寝たらいいじゃないですかぁ!!」
「ふっ、おニューの布団で、しかもお日様の匂い付きを堪能する一番乗りの至福を、俺が逃す筈がないじゃろうが…」
「あ〜〜〜〜〜んっ!! 楽しみにしてたのに、仁王先輩のばかぁ〜〜〜〜っ!!」
もこもこもこ…と布団の海に沈んでいく仁王に桜乃がぶんぶんと両手を振り回して非難していると、遂に向こうは観念したのか、むくっと身体を起こして桜乃と向き合った。
「あーもー、うるさい奴じゃのう…ほれ」
ぐいっ…
「え…っ?」
抱き寄せられ、何かと思った時には、桜乃は仁王と共にぱたりとその場に倒れ込んでいた。
「えっ!?」
声を上げた時には、彼の片手は再び捲くれた布団と毛布を引き上げ、捕らえたままの桜乃の身体もまとめて包んでしまう。
「お前さんも一緒に寝んしゃい…気持ちいいぜよ」
(ちょっと〜〜〜〜〜っ!?)
混乱の余りに声さえ出せなくなっている間に、仁王は桜乃の身体をがっちりと抱きしめ、なでなで…と頭まで撫で始めた。
「ちょ…ちょ…っ、に、仁王せんぱ…」
「ぐぅ…」
(寝付き良すぎ〜〜〜〜っ!!!!)
抱きしめたまま熟睡モードに突入してしまったらしい仁王は、ほんの少しだけ抱擁の力は弱まったものの、桜乃を手放す様子もなく眠り続けている。
あまりに心地よさそうな笑みを浮かべたままの寝顔に、それを見上げた少女は、どうにも身動きが取れなくなってしまった。
(ううう、何か、起こしたら可哀想…って、結局、また嵌められちゃったのかなぁ…)
ここでがつんと強く言えない自分の性格を読まれての行動なんだろうな…と思いながら溜息をついた後、桜乃は改めて布団と若者の腕に包まれた感触に意識を向けた。
(……あったかい…お日様の香りもする…それに、仁王先輩の腕、何か優しい)
その恍惚感を感じてしまった途端に、桜乃のお昼寝モードにもスイッチが入ってしまった。
(う、まずい……私まで眠くなってきちゃった…う〜〜…)
逆らおうとしたのはほんの一秒ぐらいの時間だった。
しかし、本能はあっさりと白旗を振り、桜乃を睡眠の誘惑へと誘い込み、瞼を半強制的に閉じさせてゆく。
(……寝ちゃおうかな…折角の天気だし…仁王先輩、傍にいるし…)
これは、相手を密かに想っている自分にとって絶好のチャンスかもしれない…いや、勿論これ以上の如何わしい展開は期待してはいないけど…でも、仲良くお昼寝ぐらいなら…いいよ、ね?
「……くぅ」
そして、遂に桜乃も仁王と一緒に、柔らかな新品の布団と彼の腕に包まれて、昼寝を始めてしまったのであった。
そんな彼女が目を覚ましたのは、夕方も近い頃…いつから起きて、自分の寝顔を楽しんでいたのか知れない仁王の楽しそうな笑顔が、最初に飛び込んできた景色だった…
了
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