迷子と兄貴と救助隊


「先生、ご相談が」
「ん?」
 四月某日、中学三年生に進学したばかりの柳蓮二は、わざわざ職員室に赴き、担任となった一人の男性教師に或る相談事を持ちかけていた。
「どうした? 柳」
「現在の校則では、携帯電話での通話は学内での使用が禁じられていますが、四月期間だけその使用を許可して頂きたいのです。受信のみという形で」
「携帯?」
 意外な相手からの相談に、当初机の方を向いていた教師が改めて相手へと身体を向け、怪訝な顔をした。
「まぁ確かに、立海(ウチ)では携帯電話の所持は許可してはいるが、通話については禁止事項だ。それをわざわざ許可してほしいというのは、何か理由があるのか?」
「はい」
 ここ、立海大附属中学は、全国的にも有名な私立の名門。
 当然、その規律も他の学校のそれと比較して厳しいところも少なからずある。
 現代社会に於いて携帯が常識となってきた携帯電話が、教育の現場で問題として取り上げられるようになった時、ここ立海でも例外なくそれは審議の議題に上がった。
 そして親や教師、教育機関の現場で働く人々のみならず、対象である生徒達の意見も取り入れた結果、幾つかの新しい要綱が加えられたのである。
 基本、携帯電話は学内では使用は不可だが、家族からの連絡を受ける可能性も考慮してメールのみは可とする。
 しかし当然、学校は本来学業を学ぶべき場所である為、授業中の使用はいかなる場合にも厳禁、通話であってもメールであっても見つけ次第没収。
 休み時間であっても、至急でない限りはメールの使用も極力控えること。
 概ねはこうなった。
 元々が優秀な生徒達が集まる学校であった為、この規則が決まった後にも違反者が出る事は滅多になく大きな問題は起こっていない。
 教師達にとっても、この立海という学校は非常に過ごし易く指導しやすい場であることは間違いないだろう。
「…?」
 そんな恵まれた現場にいる教師が、今、珍しく気難しい表情を露にして、柳を見上げていた。
 柳蓮二は、立海の中でも有名な生徒の一人である。
 その学力だけではなく、データ収集能力やそれらの解析能力が最早中学生レベルに留まらず、正直、太刀打ちできる教師が立海にいないとも噂されている。
 無論、全ての学科に於いては常に高得点を取得し、天才という呼び名を欲しいままにしている彼は、それだけに留まらずスポーツの世界でもその名を轟かせていた。
 特に彼が所属している立海男子テニス部は、今年は前人未到の三連覇をなし得るとさえ言われている強豪だが、その活躍の陰には彼の正確無比な作戦があったが故と言われているのだ。
 能力は極めて高いが性格はどうだと言われたら、これもまた非の打ち所のない好青年。
 普段から温和且つ極めて冷静であり、人の過ちを責めるよりも先ずは諭すことを良しとする若者は、対象が生徒、教師という立場に関わらず周囲から一目置かれているのだった。
 そんな男が、今、目の前に立っている。
 しかもその理由が、携帯に関して取り決められた約束事を、一時的とは言え反故にして欲しいという希望で。
 何故そんな事を相手が希望するのか、教師の想像力では上手い理由は遂に見つからず、彼は生徒の方からの報告を素直に待った。
「妹の身の安全の為です。メールでは何かと手間が掛かりますので」
「妹さん?…ああ」
 言われて、教師は彼の家族構成について思い出していた。
 確か柳には、年が近い妹がいた様な記憶がある。
 よく考えてみたら、彼女の年齢はそろそろ…
「中学生…だったかな? 妹さんは」
「今年、立海の中学に入学しております」
「そうか…うん、待てよ」
 その説明を受けて、教師の疑問は解けるどころかいや増した。
「おいおい、同じ中学にいる妹さんなら、別にメールでやり取りなんかしなくても、どうしても用事があるなら会いに行けばいいだけの話だろう。どうして携帯の通話機能なんか」
「直に会いにいけたら問題はありません。それにメールでは埒が明かないのです」
 いつもは淡々としている若者の表情が少々困った様なそれに変わり、教師のそれもまるで感染した様に同様の感情を示した。
「話がよく…」
 「分からない」と言い掛けたところで、ふと、柳の身体が揺れた。
「…失礼します」
 言いながら、柳が制服のポケットから取り出したのは自身の携帯だった。
 それを開いて中を確認した彼は、そのまま届いたメールの内容を教師へと差し出した。
「つまり、こういう訳です」
「?」
 覗きこんだ教師の目に映ったのは…

『また迷った〜』

という端的な一文だった。
「…これは?」
「妹からです」
 言いながら、柳は携帯を自分の手許に戻すと、凄まじい速さで文字を打ち込んでいく。
 その彼に、教師は多少混乱しながら話しかけた。
「妹さんは、学校にいないのかね?」
「います。校内で迷っているので…」
 言っている間に打ち終わったのか、柳は指の運動を一時休止する。
「校内でって…迷うにしろ人に聞いたら」
 担任が口を開いている間に、またメールが届いたのか、再び柳が画面を見て手早く返事を送り返す。
「人に聞いてもまたその先で迷うことが多々ありまして…入学して暫くは迷子になる確率百パーセント。メールではどうしても手間が掛かりますので、彼女が大体の位置関係を掴めるまでは通話による誘導、救助が不可欠なのです」
「…」
 かつて聞いた事がない請求理由に、担任が返す言葉を失っていると、三度、柳の携帯がメール受信を告げた。
「…む」

『もう大丈夫。助けてもらったから』

 そして受信したメールを見た柳の眉が一際強くひそめられ、彼の口からぼそりと呟きが漏れる。
「しまった…見つかったか」
「え?」
 そんな柳の言葉が終わるか終わらないかというところで…
「おーい柳ぃ、お前さんの妹、サルベージしてきたぜよ」
「あーっ! 蓮二お兄ちゃ〜ん!!」
 職員室に銀髪の若者とおさげの少女が入室してきた。
 言うまでもない、柳と同じくテニス部レギュラーの仁王と、迷子になっていた筈の蓮二の妹、桜乃だった。
「桜乃! 無事だったか」
「ごめんなさい、また迷っちゃって〜〜」
 焦りつつも、仁王に手を引かれて自分の許に歩いてきた妹の肩を抱いて、柳が彼女の無事に安堵する…と同時に、少女を連れて来た仁王へと目を移した。
「で? 何でお前が桜乃を…」
「売店に向かう途中で見つけたんじゃよ、きょろきょろしとって可愛かったのう。で? お前さんは何でここに?」
 しれっと言う詐欺師に警戒の念を込めた視線を送りつつ、柳が淡々と答える。
「迷った桜乃をすぐに迎えに行けるように、携帯の通話許可を貰うところだ」
「別にいらんじゃろー。お前さんだけじゃなくて少なくともあと七人、桜乃ちゃん限定の優しい救助隊がおるんじゃし」
「だ・か・ら、申請している!」
 迷子になる危険性より、お前らに保護されることの方が余程桜乃にとって危ない!!
 くわっと珍しく苛立たしげにそう言ってからも、柳は妹の盾になる様に仁王との狭間に立ち、相手を静かに威嚇していた。

 そして、彼は無事…正しく言うと有無を言わさず、担任から通話許可をもぎ取ってしまったのだった…





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