自宅でクリスマス(柳×桜乃 通算50作目+α作)
『すまない、桜乃。今日の予定はなかったことにしてくれ。この埋め合わせはいつか必ずすると約束する』
「…あらら」
その日、クリスマス・イブ当日の昼休み。
珍しく中学一年の教室がある棟に、三年生である幸村精市が足を運んでいた。
その彼の視線の先に捉えられたのは、一人の少女。
後輩であり、可愛い妹分でもある竜崎桜乃だ。
普段は朗らかな笑顔を絶やさない、優しい少女なのだが、今日に限っては少し様子がおかしい。
その視点は定まらず、何処かをぼうっとした様子で眺めている様子で、黙って自分の席に座ったままだ。
(…完全に呆けてる…やっぱりか)
心ここにあらずといった表現が一番合っているかもしれない。
しかし、幸村はそんな相手を見てもさして驚く素振りもなく、そのまま教室内へと入り、彼女の方へと歩いて行った。
「やぁ、竜崎さん。元気がないね」
「……あ…幸村先輩」
立海テニス部の三年生であり、かつて部長でもあった美麗な若者がわざわざここに来た事で、周囲の生徒達は驚いた様子で彼らを見守っていたが、幸村本人はそんな周りには一切興味を示していない様子で桜乃に微笑みかけた。
「大丈夫かい?」
「あ、はい、何でもありません……あの、何か?」
「うん、ちょっと気になって…蓮二のことだろう?」
「!」
単刀直入な質問に、桜乃の瞳が大きく見開かれたかと思うと、そのまま少女は沈んだ表情で俯いた。
「……はい」
小さな返事は殆ど消え入りそうなそれで、桜乃は明らかに落胆している様子だ。
しかし、それも無理はない。
今日のクリスマス・イブ、本来なら、桜乃は三年生の柳蓮二と共に楽しい一時を過ごす筈だったのだ。
実は最近恋人になったばかりの、二人の初めてのクリスマス・イブである。
『桜乃…今年のイブは、予定は空いているか?』
名字ではなく名を呼んでくれる様になった愛しい人からそう誘われた時は、こっそり期待はしていたが本当に嬉しかったのだ。
予定などある筈はない、相手が誘ってくれる可能性を考え、ずっと空けていたのだから。
『は、はい…蓮二さん』
『そうか、良かった……ではその日は、俺と一緒に過ごさないか?』
そんな嬉しい約束を交わしたのはもう一月前だったが、それから毎日、自分は今日と言う日を心待ちにしていた。
彼へのプレゼントも吟味に吟味を重ねて選んでいた。
それなのに…今日の午前中に急に彼が自分の許に来て…一方的に約束を反故にされてしまった。
ショックでない筈がない。
あまりのショックで何故かという理由も聞けず、また、向こうも詳しくは何も語らないままに行ってしまった。
それから今まで、授業を受けていても級友と話していても、何も頭に入って来ない。
まるで、脳が考える事を拒否している様だった。
「…私、もしかして蓮二さんを怒らせてしまったんでしょうか…?」
だから、今日になって断られてしまったのか…
「……やっぱりね」
桜乃の懸念を聞き、そうじゃないかと思ったよ…と呟いた幸村が、彼女の顔に自分のそれをやや近づけて、こそりと言った。
「大丈夫、そんな訳じゃないよ…蓮二は言い訳が嫌いだから、君に言いたくても言えなかっただけさ」
「…え?」
当日の夕刻…
学校から即行で自宅に戻った柳は、和服に着替えてそのまま誰もいない家の中で机に向かっていた。
前にしているのはうず高く積まれた来年分の年賀状。
それらの一枚一枚に、彼は丁寧且つ迅速に毛筆を走らせ、目の前に置かれた住所録に記載されている住所と宛名を記載してゆく。
(全く…俺としたことが油断していた…まさかこんな事で計算が狂うとは…)
全ての発端は今日の午前中に受け取った、親からの一通のメールだった。
そこには、今日中に、仕事の関係者達への年賀状の宛名と住所を書いて投函してほしい旨の内容が記されていた。
そう、年賀状が元旦に届けられるにはどんなに遅くても二十五日には投函を済ませておかねばならないのである。
驚いて、慌てて返信して仔細を聞くと、てっきり終わらせたと思っていた年賀状の準備に大きな不備が生じてしまっていたのだという。
肝心のイラストと挨拶文は印刷業者に頼んでやってもらっていたのだが、それで安心してしまっていたのか日々の多忙に追われてしまったのか、宛名と住所を入れるのをすっかり失念して今日に至ってしまったらしい。
不幸にも、今日は自分以外の家族は仕事や付き合いの関係で全員不在。
明日にやろうと思っても、どんなに頑張っても出来上がるのは夜…となると集荷の時間には間に合わない。
こちらにも恋人との楽しみにしていた逢瀬を過ごすという大事な予定があったのだが、親に強く頼まれた上、仕事上の関係者に不義理を通す訳にもいかず、結局柳は断腸の思いで相手の頼みを引き受けたのだった。
枚数が少なければまだ少しでも自由時間は作れたのだが、親が手広く仕事をやっているお陰で書かねばならない年賀状の数も尋常ではなく、彼は最終的な判断で桜乃に今日の約束の反故を伝えなければならなかった。
どんなに詫びたところで、それは言い訳にしかならない…だから、余計な事は何も言わなかった。
(…怒っているだろうな…怒鳴られるかと覚悟もしていたが…)
そんな事はなく、寧ろ聞き訳が良すぎる程に承諾してくれたが…あれは本当に承諾したのではなく、放心していたというのが正しいだろう。
今頃はそれも治まり、いよいよ怒りが沸いてきているかもしれないが…それも自分の自業自得か…
「…ふぅ」
ぴんぽーん…
溜息を一つついたと同時に、家の玄関の呼び鈴が鳴る。
「ん?」
客人か…誰かが来る予定は何も聞いていないが…
取り敢えず、呼ばれた以上は行かなければと、柳は一度筆を置いて玄関へと向かい、扉を開いた。
そこに立っていたのは…
「!?…桜乃!?」
「お邪魔します」
今日のデートを反故にされた、恋人である桜乃だった。
「…お前…どうして…?」
鞄と幾つかの荷物を抱えた少女は、簡単な挨拶を済ませると、その場にじっと無言で佇んでいたが、相手の質問を受けてようやく唇を開いた。
「あんまり腹が立ったんで、来ちゃいました」
「え…」
「今日は蓮二さんと一緒に過ごせると思って凄く楽しみにしていたのに、一方的に約束をなかったことにされて…私、凄く怒ってるんですよ」
「あ…ああ…」
つーんと拗ねた様に言われ、柳は確かにそうだなと納得する。
相手の怒りも尤もだ…どうしようもない事は分かってるが、自分に出来る事は詫びることしかない…と、思っていたところで、
「…だから、何が何でも一緒に過ごしてもらいます!」
「…え?」
意外な相手の宣言を聞き、どういう意味かと問い返す間もなく、桜乃はずいっと玄関から中へと上がり込んでいた。
「お年賀は、蓮二さんのお部屋で書いているんですか?」
「え?…あ、ああ…そう、だが…」
「じゃあ、私は台所をお借りしてお茶を煎れますから。遅くなる前に早く済ませてしまいましょう。出来たら部屋にお持ちします」
「???」
「ほら、早く早く」
ぐいぐいと肩を押されて再び自室へと向かわせられた柳は、珍しく混乱した頭で必死に今の状況を理解しようとしていた。
(ど、どういう事だ…? 俺はあいつに、今日の予定は何も話していなかった筈だが…)
しかしどう見ても、彼女はもうこちらの状況については把握してしまっている様子だ。
言い訳をするつもりはなかったが、まさかそれを行う前に向こうに事情を理解されるとは思っていなかった柳は、まだ多少戸惑いつつも仕方なく再び筆を握って作業に戻る。
確かに桜乃の言う通り、無駄な時間を費やす事は賢明ではない。
そうこうしてまた年賀状の作成をしている間に、桜乃が宣言していた通り、お盆にお茶と市販のカットケーキを載せて運んで来た。
「お茶ですよー」
「あ…すまない」
「はいどうぞ……こうなるって分からなかったから、ケーキは市販のものになっちゃいましたけど…いいですよね?」
「…問題ない…それより、お前に聞きたいことがある」
「幸村先輩に、教えてもらったことですか?」
「……」
問おうと思っていた質問を投げかける前に、既に答えを返されてしまい、柳は暫しの沈黙の後、合点がいったと渋い表情で頷いた。
「…たまにあいつはお喋りになるな」
「蓮二さんが寡黙すぎるだけです」
密かに今日の事をちくりと言われ、若者はそうだな、と素直に己を省みる。
「……何も言わなかったのは済まなかった…何を言ったところで言い訳にしかならないし、お前を怒らせるのも当然だと思っていた。無論、好きでそうさせようとした訳でもないが……まだ、怒っているか?」
「………なかったから…」
「え?」
聞き取れなかった台詞を再度尋ねると、向こうは拗ねながら顔を真っ赤にして再度答えた。
「…わ、私を嫌いになった訳じゃなかったから…許して、あげます…」
最後の方は、かろうじて聞こえるか聞こえないかといったささやかな声。
しかし、そんな小さな声でも威力は抜群だった。
「!!」
何だ、この凶悪的な可愛さは…っ!!
胸を打ちぬかれた様な衝撃と、男としての本能の衝動が柳を貫いたが、彼はぎゅうっと拳を必死に握り締めつつ、それに耐える。
男の努力を知ってか知らずか、桜乃は相変わらずの愛らしさのまま恋人に訴えてきた。
「何も言われずにあんな事されて…蓮二さんに嫌われてしまったのかと思って、凄く不安だったんですから…これからは、ちゃんと言って下さいね?」
「あ、ああ……分かった」
分かったから…その心細そうな表情と、上目遣いはやめてくれないだろうか…全てを忘れて、お前を襲いたくなってしまう…!
(……とは、口が裂けても言えないな)
立海テニス部で常に精神力も鍛えてきた事を、今日のこの時程に良かったと思った事はない…と実感しながら、柳は動悸を抑え、こちらの動揺を悟られまいと必死に平静を振舞った。
そんなやり取りをしつつ、二人はお茶を飲み、ささやかながらケーキを食べてクリスマス気分を味わうと、再び作業に取り掛かる。
二人で甘い一時を味わうのも良いが、目の前の問題を先に解決しないと後が困る。
取り敢えず、仲直りと言うのか、互いの関係に傷が生じなかった事で、柳も桜乃ももう思い悩む必要はなくなり、普段の調子に戻っていた。
「わ、結構あるんですね…じゃあ、私は蓮二さんが書いたものを後ろに並べて乾かしますから。書いたのはこちらに置いて下さい」
「ああ、助かる」
こうなったらこちらのもの。
柳が一人で作業を行う場合より遥かに手早く手際よく、二人は着々と作業をこなしていった…
かたん…っ
「これでオッケーですね」
「ああ、明日の朝には集配されるだろう。無事に間に合った、お前のお陰だ」
無事に全ての年賀状の製作が終わり、二人で駅前のポストまで歩いてそれらの投函を済ませると、彼らは顔を見合わせて笑い合った。
わざわざ駅前まで足を伸ばしたのは、年賀状を投函出来ると同時に、家に戻る桜乃を柳がここまで見送りに出向けるからであった。
「本当にすまなかったな…折角のイブだったのに、雑務までさせてしまった」
「いえ、いいんですよ」
どうやらもう拗ねたり怒ったりしていないらしい少女は、満足だと言わんばかりの明るい笑顔で応えた。
「私は、蓮二さんと一緒に過ごせただけで、嬉しいですから」
「!!…そ、うか…」
またそんな、男を惑わすような顔をする……とは、実はこちらも嬉しいから言えないが。
その代わりに、柳は桜乃を少しだけ引き止めて問い掛けた。
「その…桜乃」
「はい?」
「…今日は残念ながら、イブらしい時間はあまり過ごせなかったが…明日は、空いているか?」
「!!…は、はい…」
「そうか、正しくは明日がクリスマスだ…もし良かったら、今日の埋め合わせをしたい…今度こそ、必ず約束は果たす。受けて、もらえるだろうか?」
「…はい」
はにかみながらも頷いてくれた恋人に、ほっと胸を撫で下ろした若者が、歩を進めて相手の直前に立った。
「有難う。プレゼントはその時に改めて贈りたい、が…今日の礼が別にいるな」
「そんな…大した事はしてませんから、いいですよ」
遠慮する桜乃に、柳がふ、と微笑み、こそりと耳元で囁いた。
「では、俺のとっておきをやろう」
「え?」
そして次の瞬間、桜乃は恋人から優しいキスを与えられていた。
「…っ!」
思わぬプレゼントに目をぱちくりとさせている間に、微かに唇を離した男がそのままそれを耳元に持ってゆき…
『…大好きだ、桜乃』
ダブルの不意打ち作戦で、完全に意表を突かれた桜乃が思わず相手に縋りつく。
「も、もぉっ…! 蓮二さん…っ」
甘い囁きでの告白に、腰が砕けてしまいそうになった少女が縋った相手を可愛く睨み、彼はそれを楽しそうに笑って見ていた。
「…とっておきだっただろう? お前にだけだからな」
そして、こっそりと付け加えた。
『お前さえ望めば、明日もまたしてやるぞ…?』
了
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