あの子にアシスト
桜乃達が獣人のパラレル話です。


「だーっ! しまった間に合わなかったーっ!!」
 その日、夕方のスーパーの片隅で一際大きな客の声が響いていた。
 周囲の買い物客がちらっと視線を遣った先には、真っ赤な燃える様な色の髪を持つ一人の若者の姿。
 その彼の頭には猫の耳、臀部には尻尾がぱたぱたと勢い良く振られていたが、誰もそれを気にする素振りはない。
 この世界に於いて、獣の形をしたそれを持つのは獣人であるという暗黙の了解があるからだ。
 尤も、いかにも偽物であることが明らかなアイテムを身につけていた場合は即座に警察のお世話になるだろうことは、ここの世界でも同じことだが。
「何だよ、声が大きいぞ丸井。目立つだろうが」
「だってぇ〜〜〜〜」
 傍にいた褐色の肌が際立つ同年代の若者が周囲を気にしつつ相手に声をかけるものの、それには顔を向ける様子もなく、赤髪の男は目の前の大きな空箱の前でへなへなと力なくくず折れると、かっくりと頭を垂れた。
「ううっ、俺の愛するチョコバーが、タイムセールでこの上ない安価だったのに…! それもこれも全部真田の所為だぁ…」
「いきなりすげぇ責任転嫁だな」
「だってそうじゃんか! 今日の部活の最後にいきなり思いついたみたいに説教始めてくれてさ〜〜! お蔭でスタートダッシュが大幅に遅れて夕方のタイムセールでこのザマだいっ!」
 そんな文句をかましている丸井の前の空箱には、
『お一人様三点限り。人気商品のチョコバー、47円でご奉仕!』
のポップが悲しげに風に煽られて揺れていた。
 このスーパーは彼らが通う立海の校舎から程近く、特売もよくやっているので苦学生のジャッカルもよく利用しており、同居人の丸井も同様だった。
 どうやら、今日は彼らが在籍している男子テニス部の活動終了時間が真田の説教で遅れた為に、夕方のセールに完敗してしまったらしい。
「くっ…健脚にはそれなりに自信があったけど、やっぱ限界ってもんがあんのか」
「そりゃそーだろ、幾ら俺らでも車や電車にゃ勝てないのと同じだよ」
「うー…いっそそういう文明の利器を得たら、まだ勝率は高くなるんだろうけどな〜」
「今度は何の話だよ」
 どうやら、エネルギーを消費したにも関わらず、糖分を取り損ねた所為で軽い低血糖状態になっているらしい。
 語る話題があちこちに分散してきた相棒を眺めていたところで、そのジャッカルの視線が不意にスーパー前の道路に向けられた。
「お、真田」
 丁度そこに、数人の立海の学生達が通り過ぎようとしていたが、ジャッカルの優れた視力を誇る双眸は、即座に彼らが所属するテニス部の三強であると判別を済ませていた。
 部長で猫の獣人である幸村精市。
 副部長であり、幸村達に居住場を提供している真田弦一郎。
 幸村と同じく、真田宅に間借りしている猫の獣人である柳蓮二。
 中学三年生という若さでありながら、個別でもかなりの威圧感を与える者達三人が揃うと、それだけで圧巻である。
 目鼻立ちも整っている方なので、女性達の注目度も凄いものがあるのだが、当人達は普段からそれについては悉くスルー。
 鈍感なのか興味がないのかは判断が難しいところ。
「む…ジャッカルか」
「やぁ、ブン太も一緒か…買出しかい?」
 最初にジャッカルの存在に目を留めた真田が声を掛けると、ほぼ同時に幸村も足を止めてそちらへと穏やかな視線を向けた。
 そんな幸村の頭部に見える純白の猫耳と臀部に揺れる尻尾は、いつもながら毛艶もよく実に健康的だ。
そんな幸村は完全に無視の状態で、丸井は真田に突進していきながら一方的に自分の希望を相手にぶつけた。
「真田! 電動アシスト付き自転車買おうぜ!!」
「理由を聞きたい気もするが、聞く以前に却下だ馬鹿者」
 一体何処からそういう話になるのか、当然のことながら全く分かっていない真田は、いつも厳しい表情を更に険しくしながら相手の要望を一刀両断にしてしまった。
「うわーんっ! いいじゃんか自転車一台ぐらい、俺のチョコバーの責任取れ〜〜〜〜〜っ!!!」
「何の話だーっ!!」
 既に低血糖が際どいところまで来ているのか、錯乱寸前で迫ってくる丸井の必死の形相に、流石の真田も若干圧されている。
「……どうしちゃったの?」
「可及的速やかに説明を」
 今は当人に聞いても要領を得ない返答しか返ってこないだろうと、幸村と柳は共に一致した答えに行き当たったらしく、ジャッカルへと質問を飛ばした。
「…えーと」
 またこういう下らない答えを返さないといけないのも、俺のストレスになっていくんだよな…と嘆きつつ、ジャッカルが事の次第を説明すると、二人は互いの顔を見合わせて苦笑する。
「流石にそれは、俺も口添え出来ないなぁ…」
「またの機会を狙うしかないだろう…このセールを最後に店が終わる訳でもなし」
「だよなぁ…」
 そんな幸村達に、ジャッカルも尤もだと呟きながら肩を落としていた…


「はは、で、結局真田には一喝されて終わりか」
「まぁ自業自得でしょう。ブン太君の気持ちも分からないでもありませんが、真田君もわざと君の帰りを遅らせた訳ではないのですから」
「う’’〜〜〜〜」
 間借りしているジャッカル宅に到着後、丸井は塀の傍で拗ねた様子で座り込み、そんな彼を塀の上から二人の獣人が見下ろして笑っていた。
 銀髪と同じ銀の獣耳と尻尾が美しい仁王と、珍しい紫の毛並みを持つ柳生だ。
 二人もジャッカル宅に同じく身を寄せている者達だが、彼らもまた帰って来た丸井からスーパーでのトラブルについて聞かされているところだったのだ。
「『そんなに特売が好きなら、自転車買うより先に鍛錬に励め!』ってさ〜〜…だからって殴らなくたって〜〜」
 べそべそと嘆く丸井の頭部には、その結果と思しきたんこぶがぽっこりと一つ…
「男からしがみ付かれたら真田じゃなくても引き剥がしたくもなるじゃろうよ…ん」
 苦笑していた仁王が、ふと向かいの真田宅の正面玄関から出てきた人物に気付き、ぴっと興味を示すように猫耳を向け、ふさふさとした尻尾を揺らした。
「おう、桜乃じゃ。どうしたんじゃ? どっかに出掛けるんか?」
「あ、仁王さん」
 呼びかけられて答えたのは、白く長いウサギ耳を持つ一人のおさげの少女だった。
 ウサギの獣人であり最近真田宅に居候を始めた桜乃という娘は、小さな買い物籠を手にして何処かに出かける様子だったが、仁王の呼びかけに気付いて足を止めて若者達へと注目する。
「? 皆さんはそんな所で何をなさってるんですか?」
「ああ、別に何でもない、ちょいと暇だったんで此処でだべっとっただけじゃ…お前さんはもしかして買い物か?」
「はい、おだしをとる為の昆布が少なくなってたので、ついでに他にも色々と補充を…これぐらいなら私にも出来ますから」
「そうですか、色々とお手伝いなさってて偉いですね」
 感心する柳生の褒め言葉にくすぐったそうに照れ笑いを浮かべていた桜乃に、丸井がふーんと何かを思いついた様に言った。
「俺が断られたのはもういいけどさー…よく考えたらおさげちゃんも真田ん家の家事とか結構こなしてるんだし、自転車ぐらいあってもいいんじゃねい? 買い物、荷物重い時だってあるだろい?」
 いきなりの丸井の提案に、桜乃がきょとーんと不思議そうな表情を浮かべる。
「? 自転車、ですか? うーん、別に欲しいとは…逆に体力つけたいぐらいですし」
「ほほう」
 相槌を打つ仁王の前で、桜乃は考え込んだ表情からうっとりとしたそれへと変わりつつ、頬に手を当てた。
「ずっと人に飼われていたから、私、あまり体力なくて…真田さんみたいに力強い方には凄く憧れてるんです。私も頑張って真田さんみたいに強くなって、一人で重いものを持てるようになりたいし、少しでも身体を鍛えなきゃ…」
「…へ?」
「…お前さんが…?」
「…真田君みたいに?」
 そして、丸井達全員がその場で固まり、言葉を失っていた…




『お頼み申します』

「聞きとうないわ」
 それから桜乃がスーパーへと向かっている間に、丸井達は揃って真田家に押し入ったかと思うと、彼の前でべたっと土下座していた。
「な〜、電動アシスト自転車買ってくれよい。俺らは絶対に使わないからさ、頼むって!!」
「使わんものをどうしてわざわざ買う必要がある! 無駄に散財する様な愚行を人に勧めるな」
「だけどさぁ〜〜!」
 スーパーの時と比較したら、丸井もかなり控えめで殊勝な態度だったのだが、流石に放課後のコトもあったので真田はつんとそっぽを向き、代わりに同じ部屋でくつろいでいた幸村がやれやれと笑って話を聞いていた。
 因みに柳は台所で夕食の仕上げを行っている最中だったので同席はしていない。
「今度はどうしたの? ブン太だけじゃなくて仁王達まで…」
「いや…それがのう…」
「個人の自由とは言え、流石にあれを看過することは我々には…」
「ん…?」
 何の話?と訝る幸村と、不機嫌な様子の真田の前で、遂に三人は先程の玄関先で行われた桜乃との会話の内容を、彼女がいない内に暴露した。
「…え?」
「…なに?」
 聞いた途端、幸村達二人ともが、同時に顔色を失っていった…



 桜乃帰宅後…
「ただいま帰りました」
「ああ桜乃、帰ったか、すぐに居間に来てくれないか」
「? どうしたんです? 柳さん」
「いや…よく分からないが、幸村達がいやに顔色が悪くてな…お前に少し聞きたいことがあると…」
「…?」

 そして桜乃は、呼ばれた先の居間にいた幸村達に仁王達に言った発言内容を改めて確認され…翌日、真田家には新品の、桜乃専用最新電動アシスト自転車が購入されていたのであった…





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