折り紙
竜崎桜乃は、青学の中学一年生である、内気な女性である。
生来の性格は非常に大人しく身体も強くなかった為、幼い頃より家の中に篭って遊ぶことが多かった。
その性癖は、成長した今になっても変わる事はなく、或る日の立海を訪れた時…
「あれ? ここにプリントがありますよー?」
「あーそれ、何かミスプリントみてーだぜ? 柳先輩がそんなコト言ってた」
「そうなんですか? でも結構ありますね」
出会った夏から、とても親切にしてもらっている立海テニス部レギュラーの内三年生が、まだ部室に来ていない時だった。
桜乃が部室の机上に置かれていた書類の山に言及すると、二年生の切原が軽く顎でそれを示しながら応えた。
大きさはB5版の片面刷りのもので、中は部活動によるコート使用についての年間予定を示したものらしい。
「日付とかを間違ったんでしょうか…? 誰に配るんです? こんなに…」
「職員会議の時用に職員全員と、一応報告って意味で各部に一部ずつ。ここのコート使用するのは男子テニス部ぐらいだけど、専用って訳でもねーじゃん? だから、形式上、『コートを使わせてもらいます』って意味を含めた通達を出すんだよ。そうしときゃ、後で色々と角も立たないしな」
「成る程〜…言われてみたら確かに」
切原の説明に納得した後、桜乃はちら、とそのミスコピーに再び視線を遣り、うず、と何故か落ち着かない様子で身体を揺らした。
「? どした?」
「あのう、これってじゃあ、もう使わないんですか?」
桜乃の質問に、切原はんーと唸りつつ考え、うんと頷いた。
「んー、メモ紙ぐらいにはなるかもしれないけどな」
「ちょっと貰っていいです?」
「そりゃあ構わないだろうけど…何すんだ?」
「えへへ、これをちょっと…」
そう言って、桜乃が自分の鞄の中から取り出したのは、一冊の折り紙の本だった。
「お、折り紙」
「結構、最近は大人向けのものも充実してるんですよ? それに、長方形の紙にも合わせたものもあって、楽しいんです」
「へぇ〜」
ぱらぱら、と切原が本を捲っている間に、桜乃は早速席について一枚を折り始めた。
どうやら、何種類かの折り方はもう、頭の中に入っているらしい。
「…三年生の皆さん、遅いですね?」
「あ、今は進路についての話を教室で受けてるんだ…へぇ、面白そうだな、んじゃ俺も」
桜乃の折る姿に触発されてか、切原もそこに着席して同じく紙を一枚取り、本を読みながら折り紙を始める。
どうやら、遊びに関しては切原の行動力は一気に上がるものらしい。
「えーと、えーと……ん? ここはどうするんだ?」
「あ、ここは…こう、ですね」
「おー成る程な…へぇ…」
傍に優しい先生もいることもあって、切原は結構熱心に折り紙に取り組んでいた。
おりおりおりおり…と二人で様々な形の折り紙を作り出していると、やがて積まれていた書類の山が半分近くになったところで、ようやく三年生達が入室してきた。
「あれ? ああ、竜崎さん」
「皆さん、お久し振りです」
すぐに客人が桜乃だと気付いた部長の幸村が、相手に朗らかに挨拶を返していると、その脇にいた柳が切原に尋ねた。
「赤也、机の上にコート使用についての書類があっただろう、今すぐに配布しに行かなければならないから、渡してくれ」
「へっ?」
し〜〜〜〜〜〜ん……
何となく嫌な沈黙が流れたのは、切原がいやに素っ頓狂な声を上げたのと、柳本人が机上に置かれた様々な形に完成された折り紙の山を見つけたからだった。
「………あ・か・や?」
「ええっ!? だっ、だって、朝にミスプリだって言ってたでしょ!? 柳先輩っ!!」
一オクターブ下がった柳の声に、驚きながら確認した後輩に、早速副部長の怒声が飛んだ。
「ミスプリントの方は朝の時点で処分して、配布分を机上に準備すると言っていただろうが、馬鹿者――――――っ!!」
『ええ〜〜〜〜〜っ!!』
驚きの声を上げたのは切原だけではなく、てっきりそうだと思い込んでいた桜乃もだった。
知らなかったとは言え、自分も実行犯になってしまったのである。
「そうだったんですか!? やだ、どうしよう…! もう一度コピーして…」
「いや、もう職員会議が始まるし、生徒会も書類の提出を既に待っている状態だ。これだけの数のコピーを出来る時間は無いな…進路指導の時間がもう少し短ければ…」
むぅ…と悩んでいる参謀に、幸村が素早く指示を出した。
「…仕方ない。蓮二、まだ残っている綺麗な方を職員会議に回して、折られた方を生徒会に提出しよう」
確かに妥当と言えば妥当な究極の判断だったが、同じ三年の丸井が相棒のジャッカルにひそりと聞いた。
「……汚れたとか曲がったとかの言い訳なら幾らでもあるけどよい、『折り紙折っちゃいました』っていう真っ当な言い訳って…」
「無理があるよなぁ、やっぱり」
そんな二人の隣では、同じくダブルスの仁王と柳生が眉を顰めて微妙な表情。
「当然、生徒会には切原君が届けに行くんでしょうが…彼一人ならともかく、竜崎さんには悪い事をしてしまいましたね」
彼女は、相手の言う事を素直に信じただけなのに…と哀れむ彼の隣に立っていた仁王は、暫く黙っていたが、つと動いて切原に近づくと、ぼしょぼしょぼしょ…と何事かを囁いていた。
どたばたしている間に、結局書類は部長の指示の通りに配布され、桜乃は事の顛末を見る事は無くそのままその日は帰宅する事になったのだが……
「先日は本当にすみませんでした。お詫びにこれ、皆さんで…」
「わ〜〜い! お菓子だお菓子〜」
どうしてもあの日の事が気になり、桜乃は数日後にはお詫びの手作りマフィンを抱えて立海を再び訪れていた。
「ああ、竜崎さん、ようこそ」
部室のドアの傍にいた柳生から挨拶を受けた彼女は、そのまま中のメンバー達に会釈した。
「あれから皆さん、大丈夫でした? 私の所為で、凄いご迷惑が掛かってしまったんじゃないかって、心配で…」
相変わらず、差し入れを抱えて丸井が大喜びしている一方で、幸村は桜乃に首を横に振りながら笑顔で答えた。
「いや、全然大丈夫だったよ。それどころか、かなり喜ばれたみたいでね」
「え?」
「ほら、普通のプリントを配布されても、自分に関係ない部のものは、あまり熱心には見てもらえないじゃないか。でも、あの折り紙で配ったら、物珍しさもあって大好評だったんだ。興味を持って見てもらえたから告知も行き届いて、俺達にとってもラッキーだったよ」
「まぁ…!」
予想外の結末に桜乃も驚いたが、どうやら災いは転じて福となったらしい。
「そうだったんですか……良かった」
ほう…と胸を撫で下ろし、安堵した桜乃だったが、それまで笑顔だった幸村が今度はちょっと困惑気味に彼女に話し掛ける。
「でね…その、竜崎さん」
「はい?」
「…どうしてそうなったのかはよく分からないんだけど…あの折り紙が好評だったのは、どうやら、俺達レギュラーが折ったって噂があるかららしくて…特に女子生徒からは、「また折ってくれ」って言われたり、折り方の問い合わせが凄くて……悪いんだけど、幾つか簡単なの、教えてくれない?」
「え!」
いつから何処からそういう話が…?と、桜乃が困惑している陰で、ジャッカルがこっそりと噂の出所に確認していた。
「……お前だろ」
「竜崎が気に病まずに済んだんじゃけ、ええじゃろうが」
あの日こっそりと切原に入れ知恵をした詐欺師は、思惑通りになった事をあっさりと認めた。
折り紙を覚えないといけなくなったのは予想外だったが、まぁ、安い代償だ。
そしてその日、桜乃は再び、今度は他のレギュラー達にも折り紙を教えるコトになり、部室内は一種、異質な空間になったものの、至って当人達はほのぼのと平和な遊びに興じていた……・
了
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