詐欺師の鞄
仁王雅治…立海大附属中学の三年生。
男子テニス部に所属、ダブルス、シングルスでも全国レベルの強さを誇り、その奇想天外な戦術によりつけられた仇名は『コート上の詐欺師』
常に人の心を翻弄する事を歓びともしている若者だが、その性根は悪人ではない。
悪人ではないが…性格はかなり…変わっているらしい。
「こんにちは、皆さん。相変わらず、頑張ってらっしゃるんですね」
立海テニス部コートに青学の一年生、竜崎桜乃が姿を見せたのは、部の活動の真っ最中だった。
東京にいる彼女が神奈川のこの学校を訪れるには相応の時間が必要であり、定刻通りに学校が終わった場合は、なかなか部活動の最初から見る事は困難なのだ。
「おう、竜崎か」
「こんにちは、竜崎さん」
今日、初めて彼女を迎えたのは、詐欺師と紳士のダブルス・ペアだった。
「あ、仁王さん、柳生さん、ご無沙汰しています」
ぺこんと頭を下げて挨拶をする少女を、二人の若者は微笑ましく見つめている。
いつも控え目で、真っ直ぐに生きている相手の姿は見ていて清清しい。
小さな身体と愛らしい表情もあって、彼女は今や立海レギュラーにとっては心のオアシスの様な存在だった。
「今日は、お願いがあるんですけど…お二人にダブルスの心得を教えて頂きたくて…」
「ダブルス? 確か竜崎さんはシングルスでやっていたと…」
柳生がおや?と不思議そうに首を傾げたが、それも無理からぬ話。
これまで桜乃が頑張ってテニスに打ち込み、青学の女子テニス部でもかなりの好成績を収めているのは知っている…勿論そこには自分達のアドバイスも活かされている。
しかしこれまではずっと、彼女がシングルスプレーヤーとしての指導しかしてこなかったのに、いきなりダブルス?
「何か事情があるんかの?」
「いえ、単に人数調整の都合で…ダブルスの一人が怪我をして次の試合を休む事になったので、急遽代理を…まぁあの人だろうなって人はいるんですけど、一応今度、部員で選考試験があるみたいなんですよ。落ちるとは思うんですけど、あまり恥ずかしい格好も見せられないし、ダブルスを知る事でシングルスでも新たに学ぶことがあるかも…ご迷惑ですか?」
納得出来る答えを得て、二人の若者達は文句なく頷いた。
「相変わらず、向上心がありますね…私達などでよければお教えしましょう。ねぇ、仁王君」
「おう…そうじゃな、後で丸井の奴らにも聞いたらどうじゃ? あいつらが上手く説明出来るかは知らんがのう」
「仁王君、また君はそういう失礼な事を…」
相変わらずの二人にくすくすと桜乃が笑っていると、丁度そこに話していたもう一組のダブルスの二人が通りかかった。
「お、竜崎か、こんにちは」
ジャッカルが桜乃の姿を見て挨拶する…が、何となくいつもと違和感がある。
「…桑原さん、こんにちは…どうしたんですか? 何だが声が変ですね」
「ああ…ん〜、ちょっと風邪に喉をやられたみたいで。症状はこれだけだし、他に支障はないんだが、声ってのが気になるな」
声色の変化は黙ってないと隠せるものじゃないしなぁ、とジャッカルが苦笑している間に、桜乃が手にしていた鞄からごそっと飴のスティックを取り出した。
「のど飴ありますよ。スーッとして気持ちいいんです、使って下さい」
「おっ、こりゃ有り難いなぁ…いいのか?」
「勿論です、お身体、大事にしないと」
「すまん…じゃあ、貰うぞ?」
嬉しそうに受け取るジャッカルに、はい、と笑って答えた桜乃は、続けて相棒の丸井に視線を移す…が、彼も何となく様子がおかしい。
いつもなら元気に飛び回っている彼だが、何故か今日は自分の右手をやたらと気にしている。
「丸井さんも、何処か調子が悪いんですか?」
「あー、おさげちゃん…うん、ちょっと逆むけが酷くてさぁ。血も出るし、ちょっと憂鬱」
「なら、絆創膏ありますから見せて下さい…あ、消毒液もありました」
再び桜乃の鞄が大活躍。
彼女も流石にテニス部で活動しているだけあり、身体の怪我には気を遣っているらしい。
「ちょっとひやってしますよー」
「おおお、サンキュー!」
仁王達の見ている前で、桜乃の優しく手厚い看護を受け、丸井はすぐに元の元気を取り戻した。
「ありがとー、おさげちゃん!」
「どういたしまして、お大事に」
きゃっほーと大喜びの丸井を見遣り、柳生が感心したように頷いた。
「…竜崎さんの鞄は魔法の鞄の様ですね…非常に準備が宜しい」
「そ、そんな事はないです…私、ドンくさくて部活動でもすぐに擦り傷とか負っちゃうから、自分で手当て出来るように持参しているだけですよ」
そう恥ずかしそうに説明する少女を、仁王は何処か楽しげに…しかし優しさの篭った瞳でじっと見つめていたが、そこに二年生の切原がたーっと走ってきた。
「すんません仁王先輩、こないだの雑誌、今日持ってますか?」
「ん? ああ、あれか」
「今、やってみたい技があるんで、確認したいトコがあるんスよ」
どうやら何かのテニス雑誌で、気になる箇所があったらしい。
「あれなら確か…うん」
後輩の台詞を聞いた仁王は少し考えたところでこくんと頷いて、すぐ傍のベンチ下に置いていた自分の鞄を持って来た。
「お、竜崎、こんちは」
「こんにちは、切原さん。熱心ですね」
「おう、今日は何か色々と試したい気分なんだ」
仲間達と桜乃が話している脇で、仁王がかぱっと鞄の蓋を開けたところで全員の視線が自然とそこに集まる。
中へ差し込まれた彼の手が、雑誌を取り出してくるのだろうと誰もが脳内で思っていたのだが…
にゅっ…
彼が引き出したのは…一羽の生きた白ウサギだった。
『……………』
全員がウサギ同様真っ白になった頭で沈黙する中、仁王も暫し沈黙し…むぎゅっとウサギを再び鞄の中に押し込む。
再びごそごそと中をあさって再び引き出したのは、切原に言われていた雑誌だった。
「……」
「ど、どうも…」
無言で差し出された雑誌を受け取りながら、間の抜けた謝辞を述べた後輩だったが、明らかに目が泳いでいる。
そして桜乃を含めた他の全員は、目を丸くして銀髪の若者をじーっと見つめていた。
「あ、あのう…今のって…」
何事もなかったかのように鞄を再びベンチ脇に戻した仁王に桜乃が恐々と尋ねると、相手はにっと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ちょっと最近手品に凝っとるんじゃよ…驚いたか?」
「あ、何だ…そうだったんですか…」
「……」
ほっと胸を撫で下ろす桜乃の後ろで、柳生は静かに沈黙を守っている一方、丸井とジャッカルと切原はこそこそと頭を突き合わせながら囁き合っていた。
「…な、何だったんだ今のは…」
「そう言えばアイツの鞄…真田の持ち物検査でも一度も本当の中身を見せた事ない悪魔の鞄って…」
「マ、マジっすか!?」
そんな事を言われると、さっきの不可思議な光景といい、非常に興味がそそられてしまう…
『………』
三人は誰ともなく視線を交わしあい、そそそ〜〜っと仁王の鞄へとこっそりと近づいて、彼が柳生と桜乃と会話している隙に、かぱっと鞄の蓋を開けてみた。
そこに見えたのは……ウサギでもなく勉強道具でもなく…火炎瓶。
「因みに…」
硬直している三人を他所に、仁王は相変わらず桜乃に笑顔のままに話しかけていた。
「俺以外の奴が俺の鞄を開くと、自動的に消滅するんじゃよ」
ぼんっ!!
ほぼ同時に、仁王の鞄から白煙が立ち昇り、きゃ〜〜〜〜〜っ!!と三人の悲鳴が響き渡った。
『何なんだよい、アイツ〜〜〜〜ッ!!』
『ややや、やめましょ! 下手こいて手ぇ出したらこっちの命が幾つあっても足りませんって!! ついでに皇居の前も歩かせたらダメッスよアノ人は〜〜!!』
『誰だよ! あいつテニス部入れたの〜〜〜〜っ!!!』
ぎゃんぎゃんと騒ぐ彼らの声を遠くで聞いていた三強が、ふっとそちらへと視線を向けた。
「騒々しいな…いつもの事だが」
淡々とした参謀の脇で、副部長の真田がもう一人の親友に尋ねた。
「…そう言えば、仁王を引き入れたのはお前の強い要請もあったな…何故だ?」
「嫌だな、面白そうだったからに決まってるじゃないか」
実際、テニスも上手いし文句はないでしょ、と幸村はにこにこと楽しそうに笑っている。
(…テニスの腕前は申し分ないのに、この男が部長であることに納得出来かねるこの気持ちは何だろう…)
何かが間違っている…と、真田は依然騒いでいるメンバーの声を聞きながら、心の底で自問自答を繰り返していた……
了
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