嘘から出た本気


 年に一度嘘を許される日なら、今日だけは、少しだけずるくなってもいいよね…?

「よし、今日の練習はここまでっ!」

『有難うございました!!』

 世が春休みであっても、立海男子テニス部は研鑽の為の歩みを止めることはない。
 この日も部員達は厳しい練習をこなし、昼になってその予定を全て消化していた。
 そこには、先頃この中学校を卒業したばかりの元三年生のレギュラー達の姿もあった。
「どーもっす、先輩方。でも折角の休みなのに、いいんスか?」
「いいよ、俺達も身体を動かさないと落ち着かないんだ。身体が鈍ったまま、向こうの部活に参加したくはないからね」
 新部長の切原の言葉に答えたのは、彼にその座を譲った幸村だった。
 向こうと言うのは、当然、高校の男子テニス部の事だろう。
 一年生になると同時に入部を希望する予定の彼は、早くも向こうでレギュラーの座を狙う気概に溢れているらしい。
 過去に部長であった若者と、部長の座を任された若者が話しているところに、一人の女子が小走りに駆けて来た。
「お疲れ様でした、皆さん…幸村さん達も、卒業なさったのに熱心ですね」
「やぁ、竜崎さん。そうだね、もう癖だよ、骨の髄まで染み付いてしまって」
 彼女もまた、今年青学の二年に進級する竜崎桜乃だ。
 春休みを利用して、ここ最近は毎日見学に訪れている。
 元レギュラー達と部でも部以外でも非常に懇意にしてもらっていた少女は、卒業後もここに来てくれた若者達に心から歓迎の笑顔を浮かべていた。
 そして彼らを慕っている桜乃と同じく、男達もまた桜乃を可愛がっていた…特にこの幸村という若者は。
「向こうに行ったら君にもなかなか会えなくなるかな…もし用事があったらいつでも会いに来てよ、歓迎する」
「はい、でも、極力幸村さん達のお邪魔にならないように気をつけますね」
「ふふ…相変わらず律儀だね。もう少し砕けてくれてもいいんだけど…ところで切原、これからのメニューはマラソンだったっけ」
「はい、外に出て、街の中を通るコースっすよ」
「そう、か……どうしようかな」
 いつもなら率先して参加する筈の若者が、今日は何故か深刻な表情だった。
「どうしたんスか?」
「いや、今日はどうも胸の辺りがおかしくてね…参加したいのは山々なんだけど、ちょっと大事を取って、俺はここで待機していようかな」
 滅多にない相手の不調の訴えに、切原だけではなく桜乃も大いに驚き慌てた。
「だ、大丈夫ですか? 病院に行かれた方が…」
「いや、そこまでじゃないと思う…少し休んだら大丈夫だと思うけど…」
 幸村の申し出に、切原は勿論だと頷いた。
「いいッスよ、身体を大事にする方が先ッスから。竜崎、悪いんだけど、俺らが行った後は幸村先輩のこと見てて?」
「はい、分かりました」
「頼んだぜ」
 てきぱきと指示を出して、切原は他の部員を連れて一斉にマラソンへと繰り出して行った。
 コートに残されたのは、桜乃と幸村二人だけ…
「お身体、大丈夫ですか? 部室で横になります?」
「いや、いいよ…でもそうだな、ちょっとそこの木陰に座ろうか」
「は、はい…」
 幸村の促しのままに桜乃も彼に同行して、近くの広葉樹の根元に彼と一緒に腰を下ろした。
 心地良い風の中で、二人は隣同士、肩が触れ合える程に密着する。
(わ…幸村さんの顔がすぐ傍に…って、相手が病人なのに何考えて…)
 実は仄かな恋心を覚えていた相手との接近に、桜乃の胸は否応なく高鳴ったが、そこはしっかりと自制する。
 そんな少女の心を知ってか知らずか、幸村は桜乃に大胆な願いを要求してきた。
「みんなが帰って来るまで三十分は掛かるな…ねぇ、休んでいる間、手を握っててくれる?」
「はっ…は、はい」
 どき!と胸が衝かれた様な感覚を覚えながらも、桜乃は必死に赤くなった顔をどう誤魔化そうと思いつつ、おず、と片手を伸ばし、相手のそれを握る。
 遠慮がちに伸ばされたそれを幸村の手が優しく取ると、彼はそのままより深く繋げようと指を絡めてくると共に、こてん、と少女の肩に頭を乗せた。
 まるで…恋人に甘える様に。
「〜〜!!」
「ごめん……こうしてると安心なんだ」
「はっ…はい…どうぞ」
 平常心!平常心!と心で何度も呟きながらも、つい桜乃は肩に乗ってきた相手の頭の方へと視線を遣り、その心地良さそうに瞳を閉じている表情を見つめてしまう。
 間近で見ても、やっぱり凄い美形…
(って、だからそういう事を考えてる場合じゃないってば!…ま、まぁ、苦しそうじゃないのはいいことだけど…)
 自分に突っ込みを入れながら、桜乃はそれにしても、と気を取り直して考える。
(こんなに弱気な幸村先輩なんて、私初めてかも…こう言ったら何だけど、いつもと違うと言うか…体調が悪いってだけでこうなるものなのかしら……)
 病気によっては気候の変化で病状が変わるものもあるみたいだけど、少なくとも今の彼は完治した身で病人ではないし……
(……ん?)
 ふと、桜乃は何かを思い出し、はっと瞳を見開いた。
(……う、ううん! でもまさかそんな…だけど……!)
 ある事に気付いた所為で再び動悸が始まり、桜乃はゆっくりと相手へと振り向いた。
 向こうは、目を閉じていても意識はあるのか、口元には相変わらず薄い笑みが称えられていた。
「…あの……ゆ、幸村さん…?」
「ん?…なに?」
 まるで楽しんでいる様な笑みを含んだ相手の声に、少女は意を決して問い掛ける。
「……き、今日って確か…エイプリルフールですけど…」
「……」
「…体調不良って…冗談じゃ、ない、ですよね…?」
 『疑っている』と同義語な質問を申し訳ないと思っているのか、言葉の端々にそれを滲ませつつ桜乃は問い掛け…暫くの沈黙の後、幸村が答えた。
「……嘘じゃないよ」
 否定された少女は、慌てて相手に謝った。
 やっぱり自分の勝手な想像だったのか…凄く失礼な事を言ってしまった。
「そ、そうですよね! すみません、私、何て不謹慎な…」
「…君を見ると、いつも胸が苦しくなる…」
「…え?」
 謝罪の言葉に重なるように続けられた若者の告白に、少女がきょとんと言葉を止めてしまう。
 今…何て…?
「……胸は苦しいのに、会えたらそれでも嬉しくて…こうして触れてもらえたら、凄く安心するんだ……嘘じゃ、ないよ」
「幸村先輩…」
 それって…確かに嘘じゃないかもしれないけど…でも、『体調』に関して言えば、嘘だったってこと…?
 そんな嘘をついて、マラソンに行かずにここに残ったのは…もしかして……二人でこうしたかった、から?
「……」
 嬉しさを覚えてしまうと同時に、まんまと騙されてしまった悔しさもあり、桜乃はちょっぴり頬を染めつつも拗ねた表情で、視線を相手と反対の方へと逸らしてしまった。
「……体調については、ウソをついたってコトですね?」
「あれ? 怒った?」
 くすくすと笑いながらおどけて言う若者は、桜乃が本気で怒っていないコトなど既にお見通しといった様子である。
「今日は年に一度だけ、ウソが許される日だよ」
「そ、れはそうですけど……本気で心配したんですよ」
 ぷくっと頬を膨らませる相手の思いやりが嬉しくて、幸村はふふっと笑いながら頭を相手の肩から外すと同時に、顔をそちらへ近づけた。
「ごめんよ…じゃあ、これもウソと思われたら嫌だから、言葉はやめよう」
「?」
 何のこと…と思っていた桜乃の頬に、ちゅ、と小さな音をたてて若者の唇がキスを落とした。
「!!」
「…『本気』のキスをあげるから、許して」
「〜〜〜〜!!!」
「ね?」
 キスをした張本人でありながら全く照れることもなく堂々とした様子の相手に、桜乃は一気に顔を紅潮させ、思わず相手の胸に顔を埋めてしまった。
 そして照れ隠しのつもりなのか、ぽこぽこと小さく弱い力で、相手の胸を叩く。
 それは拒絶ではない…受諾はしたが恥ずかしいだけって事は分かっている。
 何故なら、もう片方の手は…まだ自分のそれときつく強く絡めてくれているから。
「……可愛いね」
 今日はウソをついて、君を束縛してしまったけど…
 『本気』を見せた以上、明日からは堂々とやるから…覚悟してね?






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