嘘か真実か


 春休みになっても、立海のコートには変わらず部員達の掛け声が元気良く響いている。
 三年生は高校へと進学し、下の学年も皆、次の学年へと進級が決まっている中、その日の午前中の練習には、卒業したばかりのレギュラー達も顔を見せていた。
 高校への進学の準備もありはするのだが、エスカレーター式の強みかそれ程に難しいものでもなく、暇を持て余した状態の彼らは身体を鈍らせるよりは、と、積極的に後輩の指導を休みの間も引き受けていたのだ。
 特に、元副部長であり根が厳格で鍛錬大好きな真田弦一郎にとっては、レギュラーという肩書も外れた今、思い切り指導に当たれるという格好の機会。
「赤也――――っ!! そんな事で立海の部長が務まると思っとるのか貴様は〜〜っ!!」
「わ――――――っ!! すんません、何かもう一日一回は怒られないとやる気が出なくて〜〜〜!!」
 そんなワケで、今日も相変わらずの怒声が響いているものの、部活動そのものはすこぶる平和である。
 そんなのどかな活動風景を微笑ましく見つめていた、青学の、今年で二年生に進級することになる竜崎桜乃は、黒の帽子がトレードマークの若者の傍に近づいていった。
 今はどの学校も春休みの時期なので、彼女もここ最近は毎日、立海に見学に訪れているのだ。
 青学の男子テニス部も活動してはいるのだが、何故桜乃がこちらを選んでいるかと言うと、彼女が立海のメンバー達の方とより打ち解けた関係になっているからに他ならない。
「全く…困った奴だ。これではおちおち卒業も出来ん」
「うふふ…お疲れ様です、真田さん」
「!…ああ、竜崎か」
「また相変わらず切原さんに喝を入れているんですね」
 くす、と笑う少女を何処か眩しげに見遣った若者は、まるでその輝きから目を守るように帽子を目深に被り直しつつ言った。
「し、仕方なかろう…全く、エイプリルフールだからと言って、部活動を休みにするだなど、下らん冗談を言いおって…」
「ああ、エイプリルフールですか…でも、切原さんらしいですよね」
 くすくすと笑う桜乃に、真田はやれやれと肩を竦めてみせた。
「そもそも、こういう行事は如何なものかと思うぞ。人を騙す事を肯定するなど、あまり感心出来ることではない」
「…そうですか? でも、悪気のない嘘なら許せると思いますけど。新聞社だって、この日は記事の一つにジョークを交えたりもしてますし」
「下らん」
 ふん、と鼻を鳴らしてあくまで譲歩する様子のない相手に、桜乃は仕方ないですねと苦笑して、笑みを含ませたままの声で言った。
「相変わらず厳しいんですから……でも、私はそういう真田さん、大好きですよ」
「っ!!!」
 いきなりの相手の発言に、真田の全身が固まった。
 好き…?…大好き…?
 これまでも告白は幾度となく受けたことのある若者だったが、ここまで動揺する事はなかった…何故なら、自分は相手に特別な感情を抱いてなどいなかったから。
 しかし、今日、今この時は違う。
 まさか…密かに好意を寄せていた相手から、そんな言葉を聞けるとは…
 如何に鍛錬をしている相手とは言え、今なら難なく討ち取られてしまうに違いない。
 別の意味での精神修行は、まだまだの様だ。
「りっ……竜崎…っ?」
「…うふふ」
 どもる相手の様子を、少女はくすりと笑って、彼の返事を聞く前にそこから歩き去って行った。
「……」
 どういう…意味だ?
 今のは一体…本気なのかそれとも冗談…冗談…?
「…あ」
 思いかけた若者は、すぐに思い当たり…そして落胆した。
(……ああ、そうか…それもエイプリルフールか)
 確かに、エイプリルフールでなければそんな言葉は言ってはもらえないだろうな、融通の効かない自分など。
 これもまた…『悪意のない冗談』か。
 さっきまでそれについて話していたのに、もうそれを失念してしまうとは…
(……悪意がなくても…胸は痛むのだな)
 それが真実であったらと願いたくなるが、こればかりは相手の心に関わることでどうしようもない…と、自分で自分を納得させていたところに、親友である幸村精市が歩いてきた。
「…どうしたの? 深刻そうな顔だね。何かあったのかい」
「精市……いや、さっき竜崎とエイプリルフールについてちょっとな…」
「エイプリルフール…ああ、そう言えば今日だね」
 頷いた親友に、真田は先程の桜乃の発言も含めて大体の経緯を説明し、相手は腕を組みながら静かにそれについて聞き入っていた。
「……そういう訳だ。冗談で心を惑わされるなど…俺もまだ修行が足りんな」
 問題の発言をした桜乃を責める事なくそう締め括った相手に、幸村がふぅと息を吐き出しつつ苦笑する。
「…本当にね、全然未熟だよ、君は」
「…精市?」
 呆れた様な相手に戸惑いつつ呼びかけた真田だったが、その時彼は既にこちらに背を向けていた。
「…一つ教えておくよ、弦一郎。エイプリルフールってね…」
 軽く振り向きざまに、幸村が一言。
「『嘘ばかりをつかないといけない日』じゃないんだよ」
「!!」
 別に嘘をついてもいいけど、真実を言ってもいいんだよ。
 それをどう取るかは…受け取った人間次第だけど?
 幸村の与えたヒントに、雷に打たれた様に暫し直立不動を保っていた真田は、それから慌てた様子で方向転換してだーっと走っていった。
 向かう先は…あの場所を先に離れていた桜乃だ。
「…? 真田さん?」
「り、竜崎…そのっ…」
 それ程長い距離を走った訳でもないのに、何故か顔を赤くして息を少し乱している若者に桜乃は不思議そうな顔を向けたが、彼は構わずに続けた。
「…さっきのお前の言葉…だが…」
「!…」
 微かに表情が変わった相手を見据えて、真田はまるで挑むように尋ねた。
「……お前が…それをここで嘘だと言うのなら、俺はそれを嘘だと看做すぞ?」
「っ!!」
 明らかに少女の表情が変わり、それは同時に、真田の胸の奥に見えない炎を灯した。
 二人はそれから互いに向き合ったまま、ただ無言であり続ける。
 桜乃も顔を赤らめたものの、結局あの言葉を『嘘』だと言おうとはしなかった。
 それはつまり…嘘ではないという何よりの証。
 真田は、十秒待ち…そして最終的に決定を下した。
 確信していいと…信じていいということだと。
 相手もまた、自分に、好意を寄せてくれているのだと。
「………おっ…俺も…」
 言いかけた男はそこで一度言葉を切り、慌てた様子で背中を向けながら帽子を深く被る。
「……その…今日は何も言わんぞ…あ、明日、返事を、する…」
「真田…さん…?」
「な、情けないと言われようとも、覚悟を決めた言葉を冗談と取られたらたまらん。こういう言葉を何度も繰り返せるほど、俺は…慣れてない」
 実は生まれて初めての経験に、真田は今にも口から心臓を吐き出しそうな程に緊張の極みにあったが、そこは何とか持ち前の意地と忍耐で平静を装い続けた。
 そして、最後に一言こう締め括る。
「だから…明日も必ず来い」
「……はい」
 不器用ながらも、真っ直ぐな心を受け取り、桜乃は嬉しそうに笑った。
 勿論次の日、桜乃が立海を訪れた事は言うまでもなく、その彼女の傍には寝不足と思しき副部長が、それでも実に満足げな表情で寄り添っていた……






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