詐欺師を騙せ
「ううう、全敗記録更新〜〜〜…」
「おや、こんにちは、竜崎さん」
その日、春休みであり、且つ卒業もした身ながら、しっかりとテニス部の活動に参加していた柳生はしょぼしょぼと歩いて来る桜乃をみつけて声を掛けていた。
彼女もこの休みを利用して毎日立海に見学に訪れているのだが、今日は何かあったのか元気がない。
「どうしました? 元気がありませんね」
「うーん…何とか仁王さんを一度騙せないか頑張って技を磨いているんですけど、返り討ちに遭うばかりで〜」
「……いいですか竜崎さん、人間には得手不得手というものがあるのですよ。そもそもあの人を貴女が騙すなんて、ここからテニスボールを打って月面にめり込ませる様なものです」
「死ぬ気でやっても無理ってコトですね…」
断言されて更に落ち込みそうになった桜乃だが、そこで相手に訴える。
「でも、もうすぐエイプリルフールだし、一回ぐらい騙してみたいですよう〜。いつもやられてばっかりだし」
「…でしょうね」
しかし、それは貴女にも責任はあるのですよ、と柳生は心の中でだけ暴露する。
自分の相棒である仁王雅治は、実はこの子にかなり執心なのだ…この子自身、気付いていないだろうけど。
気になるから何かと目をかけて、誰かに彼女が注意を向けそうになると、トリックを仕掛けて再びそれをこちらへと引き戻す…詐欺師らしくも、不器用な手管だ。
「…………ふむ」
相手の恋路を邪魔するつもりは毛頭無いが、この子は自分にとってもお気に入りの存在だし、手を貸してやる事にやぶさかではない。
それに、彼も、たまには騙される側の人間の心情を知るべきだ。
「…一つ、アイデアがあるんですが。相手が貴女なら、上手くいくかもしれませんね」
「え…?」
そして紳士は、エイプリルフールのささやかな作戦を一つ、その娘に授けたのだった。
運命のエイプリルフール当日…
『すみませんが、実行委員に呼ばれていますので、今日は先に部室に行って頂けますか?』
そんな断りを相棒から受けていた仁王は、その日授業が全て終わると、一人で部室へと向かっていた。
今日はどうやら、自分が一番乗りの様だ。
中に入ると、そこには一人だけ先客がいた。
「ん? 竜崎か、今日は早いの」
「はい…」
いつもならこちらに顔を向けて挨拶をしてくれる礼儀正しい娘が、今日に限っては、部屋に据えつけられていた鏡の前に立ち、こちらに背中を向けた状態のままだった。
声にも、何処となく力がない。
「…どうしたんじゃ? 元気ないのう」
「……ちょっと、失恋したんです」
「!…ああ」
最初にそれを聞いた瞬間はぎょっとした仁王だったが、流石にそこは詐欺師の勘。
すぐに今日という日にどういうイベントがあるかを思い出し、軽く受け流した。
それに、これまで彼女と接していても、そういう存在を匂わせるような事は一度もなかったので、仁王はそれが嘘だと踏んだのである。
「そうか、今日はエイプリルフールじゃったな…相変わらず分かり易いのう、お前さん」
「そうですね……だから、いっそ、もっと分かり易くなってみようかと思って…」
「え?」
どういう事だとそちらを見直した仁王の見ている前で、桜乃は右手に持っていた何かを持ち上げると、自分の自慢のおさげの一本に触れさせた。
大きな裁ち切りバサミ。
その開かれた刃の口の中に、おさげが咥え込まれているのを見た仁王がぎょっと硬直している間に…
ジャキッ!!
躊躇いの無い動きと同時に、桜乃の黒髪が無残に断たれ、ぱさっと床に落ちた。
「!!」
信じられない光景に仁王が動けずにいる間に、桜乃はまだ鏡から目を離さず、今度はもう片方のおさげもハサミに噛ませた。
「ちょ…待ちんしゃい!! 竜崎っ!!」
既におさげが一本落とされてはいたが、それでも仁王は声を上げて相手の行為を止めようとした…が、桜乃はそれにも耳を貸す事はなく…
ジャキ…ッ
結局、残された方のおさげもあっさりと断ち切られ、二本のおさげが床へと落ち、桜乃のヘアスタイルは大幅に変わってしまった。
「……竜崎…?」
まさか…本当に、失恋なんて…
さっきの台詞は、本当のものだったのか?
もし、自分が真剣に受け止めていたら、お前の今の行為も…止められたのか?
いや、それより何より…許せないのは…
「……」
いつもの人を喰った薄い笑みは完全に失われ、仁王は静かな怒りを秘めた表情になるとつかつかと相手に歩み寄って、力任せに肩を掴んで振り向かせた。
「きゃ…」
「…誰じゃ」
「え…」
「…お前にそこまでさせた男は誰じゃ、言いんさい」
俺の知らない間に、お前の心を奪っただけでなく、振った挙句に髪まで切らせた奴…
見逃せる筈がなかろうが…!!
「に、仁王さん…?」
対し、短髪になり、ハサミで切られた端々が痛々しい少女は、仁王の意外な姿に慄いてしまったのか、なかなか言葉を継げずにいる。
それは、相手の男を庇うような仕草にも映り、尚更詐欺師の心を苛立たせた。
「言えと言うんじゃ、竜崎。どいつじゃ…お前さんを泣かせる奴はタダじゃあ済まさんきに」
「あ、の…っ」
下がる相手に詰め寄り、掴んだ肩に力を込めたその時に、第三者の声が聞こえてきた。
「そこまでですよ、仁王君」
「!?……柳生?」
遅れて来た相棒が扉を開きながらそこに踏み込み、声を掛けてきたが、仁王は相手に対しても取り合おうとしない。
「今忙しいんじゃ、部外者はすっこんどれ」
「ご挨拶ですね」
詐欺師の動揺は明らかで、それを確認した様に頷くと柳生はすたすたと二人に歩み寄り…
「…よくご覧なさい」
「?」
徐に桜乃の髪をむんずと掴み、紳士は勢いよくそれを引き降ろした。
「っ!!」
仁王の目前で、桜乃の髪はあっけなく『頭皮』ごと剥がされ、その下から再び漆黒の彩が現れる。
気がついてみたら、桜乃はおさげこそ解いた姿だったが、元の艶やかな長い髪を称えていた。
柳生の手にしていたのは…非常に精巧な造りのウィッグだった。
「!?」
「流石に彼女の事になると、いつもの調子も出ませんか…仁王君?」
「え?」
そこでようやく桜乃と一緒に相棒も自分を嵌めた事実を知り、仁王は顔を俯けてわなわなと震えた。
「や〜〜ぎ〜〜う〜〜〜〜っ!!」
「いいものですね、人を騙しても許してもらえるエイプリルフール。年に一度のイベントなんですからたまには騙されておやりなさい……どうせ本気で嫌うことも出来ないクセに」
「やかましいっ!!」
容赦なく飛んで来た相手の回し蹴りをひらりとかわして、柳生は再び部室内から退散し、そこには騙した者、騙された者が残された。
「……」
何となく…微妙な空気。
ちら、と目線だけを動かして桜乃を見ると、やはり相手は真っ赤になって俯いている。
流石の鈍感少女も気付いたか…
「…ちっ…覚えとれよアイツ」
小さく舌打ちして、仁王はぽり、と頭を掻いた。
この詐欺師にもヤキがまわったか…と心で愚痴を零しつつ、どうやら覚悟を決めたのか、彼はそのまま桜乃を抱き締めた。
「…!」
「……今日は負けを認めちゃる…明日からは俺も本気でかかるけ、覚悟しときんしゃい」
本気にさせたのは…お前さんじゃけ。
「!……は、はい…」
そして翌日から、本気になった詐欺師の別の意味での恐ろしさを、少女は思い知らされることになるのである…
了
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