たまには反撃
「こんにちはぁ」
「ああ?」
「ひっ…!!」
その日…四月一日は、世間で言う所のエイプリルフール。
更に言うと、この時期は学生にとっては春休みの真っ最中。
青学の二年生に進級が決まっている竜崎桜乃は、この休み期間中も活動を欠かさない立海のテニス部に見学の為に訪れていたのだが、今日は滅多にない出迎えを受けてしまった。
「っと! す、すまんすまん!! 驚かせて悪かった、竜崎!」
「び、びっくりしました〜、どうしたんですか桑原さん…」
よく知る若者の背中を見て挨拶をしたところ、振り返った相手に思い切り血走った目で凝視されてしまったのだ…低音の返事のおまけつきで。
しかもそれが、普段は温厚な若者の対応であれば、ギャップもあって驚き度は二割増し。
まだばくばくする心拍を必死に抑えながら、桜乃は改めてぺこっと相手に挨拶し、相手も申し訳なさそうにいつもと同じ調子でそれを返してくれた。
「何だか、いつにも増して憔悴してますけど…?」
「ああ、まぁな…」
「部員の方々の指導が忙しかったんですか? 今日、お邪魔なら…」
「い、いやいや、そういう訳じゃない! アンタが邪魔ってことはないから、ゆっくりしてってくれ!!」
「はぁ…」
ジャッカル桑原は、現在はこの立海大附属中学を卒業し、同校の高校生へと進学を果たす身である。
なので、本来この時期は部に強制参加を求められる身の上ではないのだが、かと言って家で何をするという理由も目的もなく、何よりテニスから離れるというのが手持ち無沙汰になるのか、後輩の指導という名目も付けてコートに顔を出しているのだ。
それは彼に限ったことではなく、他のレギュラーも全員同じ状態だった。
「…けど、流石に今日は休めばよかったかな……何で世の中にエイプリルフールってモンがあるんだろう…」
「…ああ」
そう言えば今日はそうだった…と桜乃が微妙な表情で頷いた。
ここに来て、ようやく彼女も相手の憔悴振りの理由に察しがついたのだ。
「……丸井さんと切原さん辺りですか…あと仁王さん」
「そりゃもう、毎回毎回嘘と真をこれでもかってぐらいにミキサーに掛けられて、さあどうぞって前に出されたらなぁ…今日だけで五回以上は騙された」
「まだ午前中ですよ…」
思わず腕時計を見て時間を確かめた桜乃は、はぁ、と溜息をついて相手を労った。
いい人なのに…いや、いい人だからこそ、こういう苦労を背負い込んでしまうのだろうか…?
「あまり悪意のあるヤツなら俺も怒れるんだが、ビミョーな範囲でな…敢えてそこを狙って来る辺りがまたむかつくと言うか…」
「だから、さっきも凄い剣幕で警戒してたんですね」
「すまん…まぁ、アンタに関しては疑う必要もないんだがな」
根が素直で優しいから…と心を許してくれているらしい相手に、桜乃はふふ、と小さく笑った。
「あら、いいんですか? 私も騙すつもりかもしれませんよ?」
「お、おどかすなよ、竜崎」
びくびくと本気で怯えてしまったジャッカルに、桜乃は更に笑みを深めた。
「ふふ、ごめんなさい……あ、それなら気分転換なんてどうですか?」
「ん? 気分転換?」
そう言った少女は、ぴ、と人差し指をたてて一つの提案をした。
「この部活動が終わったら、一緒に街に行きません? 実はとっておきのお店を見つけたんですよ」
「とっておき?」
「可愛い子達が揃ってて、すっごいサービスが良いんです!」
「……」
何だ、その歌舞伎町辺りで頻繁に耳にしそうないかがわしい勧誘は……
まさか、まさか、こんな純朴そうに見えている彼女ですら…っ
微妙な表情を浮かべていた相手に、桜乃はにこにこと笑いながら続けた。
「癒されますよ〜? 猫カフェ!」
「あ、ああ…そういう店ね」
猫カフェ…最近流行っている、猫が室内を闊歩し、客と一緒に戯れることが出来るサービスのある喫茶である。
ペットを飼えない動物好きの人達に特に需要があるのだという。
至極、健全な店であることは言うまでもなく、ジャッカルは緊張しかけた心の糸を緩めた。
良かった…思わず、今からではなく『今まで』騙されていたのか、と落ち込むところだった…
内心、ほーっと胸を撫で下ろしつつ、若者は改めて相手の提案について考えてみた。
ころころとした猫達が相手なら、確かに落ち着いて遊びながら癒しの効果も得られそうだ。
それに…正直、一番嬉しいのは彼女と一緒に行動出来るという事である。
ここは、乗らない手はないだろう。
「い、いいな、それ…それなら部活終わった後のリラックスにも丁度いいし…」
「でしょう? じゃあ、ご一緒しましょうか? クーポンもありますし」
「ああ、行こう」
頷いてジャッカルが了承したところで、そこに桜乃の姿を認めた切原達がやってきた。
「お、竜崎だ」
「こんちは、おさげちゃん」
「あらお二人とも、こんにちはー」
にこ、と笑って彼らに挨拶をすると、向こうは早速彼女とジャッカルの会話の内容に興味を示してきた。
「なになに? 何の話?」
「大した話じゃありませんよ。部活動が終わったら、一緒にお茶を飲んでお出かけしようって話していただけです」
「へぇ、喫茶店かどっか?」
「そんなトコロです」
うふ、と笑って、桜乃はジャッカルを頼もしそうに見上げた。
「ジャッカルさん、きっとお客の中で一番モテモテだと思いますよ。優しいし、でも見た目凄くワイルドで強そうで…フロアの女の子達、メロメロになっちゃうんじゃないかしら…」
「へっ…」
「いい…っ?」
何の店よ!?と驚く二人の傍で、既に店について知っていたジャッカルも思わず固まる。
わざと言っているのか…? それともこれも天然の為せる業?
周囲の動揺にも構わずに桜乃は更に続けた。
「一番人気の子なんか普段はお高くとまってますけど、きっとジャッカルさんには色々とサービスしてくれると思いますよ? あーんなコトとかこーんなコトとか…やだ、考えるだけでどきどきしちゃう」
勿論、その時の桜乃の脳裏には、非常に毛並みのいいヒマラヤンが、膝に乗ってきたりおもちゃにじゃれついてくる姿が浮かんでいた。
しかし、詳細を知らない若者二人の脳裏には…かなりそれとは隔たった光景が映し出されているに違いない。
「ア、 アンタ達…そこに何しに行くの!?」
「危ないからやめとけって! 本当に行くつもりなら俺達も一緒に…」
必死に引きとめようとする切原達に、しかし桜乃はぴっぴっぴ、と人差し指を横に振った。
「ぶっぶー。今日は桑原さんと二人だけです…デートなんですから」
『はいっ!?』
同時に驚いて声を上げてしまったジャッカルが、やばっと慌てて口を押さえる。
かろうじて、二人には見られなかった様だが…
「デート!?」
「う、嘘だろい? エイプリルフールだし、今日!」
「うふふふ…さぁ、どうでしょう?」
秘密です〜と口元に人差し指を立てながら笑い、桜乃はそこから離れていく。
立ち竦んで動けない切原達を置いて、何とかジャッカルだけがその相手の後を追い掛けて行った。
「…り、竜崎?」
「はい? 桑原さん」
「……さっきのって……その…」
「…さぁ、どっちでしょうか?」
くす、と微笑み、桜乃は悪戯っぽい目を相手に向けた。
「……今日の最後に教えてあげましょうか?」
「う…っ」
前言撤回……エイプリルフールって結構、イイかも!
(こいつになら騙されてもいいって思ってしまう俺は…やっぱり人生このまま懲りずにいくんだろうか…?)
しかし今だけは、この幸せを噛み締めていたいと思うジャッカルだった……
了
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