妹のお相手


「桜乃…」
「お兄ちゃん…」
 その日の夕方、二人の兄妹が出会ったのは、隣町のとあるスーパーだった。


「前々から言うちょるが、お前はあまりに所帯染み過ぎとるんじゃ」
「えー?」
 出会ってから十分後、仁王は自分の妹である桜乃と共に、スーパーを出て家へと向かっていた。
 その手には桜乃の持参したマイバッグ。
 中には桜乃がゲットした本日の戦利品。
 出会ったばかりに荷物もちをする羽目になってしまったらしいが、妹の頼みであるが故に、上手く誤魔化して逃げる事も憚られ、仁王は仕方なくそれを運んでいる。
 『コート上の詐欺師』と呼ばれる程に食えない男なのだが、唯一この血の繋がった妹にだけは甘くなってしまう…言わば、彼のたった一つの弱点でもあった。
 その詐欺師は、自分の言葉にきょとんとしている妹に、ある苦言を述べていた。
「買い物なら一つの店で済ませりゃええのに、幾ら安いからって隣町まで足伸ばすことはないじゃろ…」
「いいじゃない、家計の助けになるんだし」
「…忘れもしない、二週間前の水曜日…」
 ぼそ、と仁王が過去を反芻しながら重い口を開く。
「幸村から、『昨日、妹さんを〇〇で見たよ』と言われたのを皮切りに、他の全レギュラーから同日全て別の店でお前の目撃報告をされた挙句、『物入りの時には言ってね』と憐憫の眼差しのおまけつき……その時のお前の兄の気持ちを考えたことがあるんか…?」
 どうやら物凄い屈辱の記憶として残っているようだが、対する桜乃の返事はあっけらかんとしていた。
「『詐欺師』って呼ばれているのに、そういう時には乗らないんだ」
「プライドの問題じゃ。大体、何でそんな七つの店を渡り歩いてまで食材を…」
「だってその日は新しい店が出来たから、何処のお店も狙い目だったんだもーん」
 妹には妹なりのこだわりがあるらしい。
 確かに犯罪を犯している訳ではないし、家計の助けになるなら褒めるべきことなのだろうが、仁王は気を取り直して改めて彼女に忠告した。
「とにかく、食費を切り詰めるのはほどほどにして、お前はもっと中学生らしい生活を…ん?」
 ふと気がつくと、隣を歩いていた筈の妹がいない。
「?」
 思わず振り向いてみると…
「あー、しまったなー大根こっちが安かった〜…」
 少し戻った先の店先を見ると、そこで立ち止まって品物を残念そうに見定め、手持ちのノートに何かを書き込む妹の姿。
「〜〜〜〜〜〜」
 仁王は無言でつかつかつかと彼女へと近づくと、むぎゅ〜〜っと左耳を抓り上げた。
「いたたたたたたっ!」
「兄の説教ぶっちぎって底値表の訂正とは余裕じゃのう〜〜〜〜?」
 くっくっく、と妖しい笑みを浮かべながらの兄の台詞に、しかし桜乃は耳を引っ張られながらも負けじと抗議する。
「だってだってだってぇ〜〜〜〜お兄ちゃんだって私の言うコト全然聞いてくんないじゃない!」
「は?」
 いきなりの妹の主張に、今度は仁王がきょとんとする。
「人を騙すのは止めてって言っても止めてくれないし、朝は一人で起きなさいって言っても起きてくれないし、彼女紹介してって言ってもしてくれないし…」
「最初の二つはまだ素直に謝る余地もあるが、最後の一つは彼女がおらん俺に対する嫌味かの〜?」
「素直に謝るつもりもないクセにー。いないんじゃなくて作らないんでしょ? 知ってるよー、お兄ちゃんこの前も呼び出されて告白されてたって…」
「俺にも選ぶ権利はあるんじゃ」
 けっと毒づいた兄に、桜乃はふーんと視線を上へと向けて頷いた。
「あんなに美人さんでもダメなんだ〜」
「ちょっと待て、何でお前が相手のコトを知っとるんじゃ…」
 まさかストーカーか?と疑う仁王に、桜乃がぷーっと不満げに頬を膨らませる。
「そーゆー噂があったからちょっと友達と一緒に見に行っただけだもん。お兄ちゃんは容姿だけはいいから結構女子にも人気が高いし、色恋の噂はすぐに回ってくるんだよー」
「おちおち告白も出来んのかい、ウチの学校は……つか『容姿だけは』って何じゃ」
「だって本当だもん……悔しいけど、私のお兄ちゃんだって事が嘘みたいに格好いいし」
「……」
 妹からの素直な賛辞に、仁王は言葉を閉ざして暫く沈黙した後、視線を脇へ逸らしつつぼそりと言った。
「……兄妹じゃなければ良かったのにのう」
「え?」
「何でもない…それより、俺よりお前こそじゃろ」
 聞かせることのない本音を隠しながら、若者はさり気なく話題を相手へと振った。
「お前も立海に入ってそろそろ中学生活にも慣れた頃じゃろうが。お前こそ、恋はせんのか? 恋をするとドキドキして人の心配どころじゃなくなるぞ」
「恋? うーん…」
 本当は、そんなものを本気で相手に勧めるつもりなど毛頭無い、天邪鬼な兄貴の誘いだったが、桜乃は素直にその言葉に反応し、じっと考え込む。
 普段は全くそういうコトには無頓着な妹だったので、この反応は仁王にとっても意外だった。
(…しまった、軽く撥ね付けられるかと思っとったが、その気にさせたか…)
 安易な話題避けじゃったか、と思う間に、妹は何故か不思議な言葉を紡ぎ出した。
「まぁ、有り難いとは思うけど、やっぱり見ず知らずの人には安易に答えを返せないもんね」
「……は?」
 一体何の話が…と聞き返そうとした仁王の前で、桜乃はごそ、と鞄を開いて中を探り、そこから数通の封筒を取り出した。
 一つとして同じ様式ではなく、化粧飾りも様々なそれらは、封の処に分かり易いハートのシールを貼られているものもある。
 あまりにもオーソドックスだが…所謂ラブレターというものだろう。
 状況から考えると…間違いなく誰かから妹に宛てられたものだ、しかも複数人から!
 石化してしまった兄の前で、妹はそれらを数えながら首を傾げている。
「でもそっかぁ…ならこの人たちは、私にドキドキしてくれてるの…?」
 意外な真実を目の当たりにした仁王は、改めて手紙を見つめる桜乃の微笑を見た途端、

 びりびりびりびりびり…っ!!

と、見事に取り上げたそれらを全て細切れに破ってしまった。
「あわ―――――――んっ!! 手紙ぃ〜〜っ!!」
「ちょっとスッとした」
 けっと破った後でも不機嫌な表情を解かない仁王に、手紙を破かれた桜乃は当然ながら怒った。
「んも〜〜〜〜〜!! 何てコトするのよお兄ちゃんっ!! お返事書けなくなっちゃったじゃない!!」
「途中で火事に遭って全て燃えてしまいましたとでも言うとけ」
「そんな無茶な!」
「うるさいの〜〜、色気づくのが早すぎるんじゃ。そういう暇があったら大人しく予習復習でもやっときんしゃい」
「……数秒前に恋をしろと仰ったのはお兄様ですけど」
「しないのか、と尋ねただけで、『しろ』と勧めた言葉は一字たりとも言ってないがの」
「うわ詭弁〜〜〜」
 破かれた手紙は、もうどうしようもない。
 しかし、かろうじて差出人の名前とクラスぐらいは覚えているのは幸いだった。
 具体的な内容に触れての文面はもう無理だが…返事をしないという最悪の対応はせずに済むだろう。
「あーあ…お返事返すとき、申し訳なくて相手の顔見られないわよ」
「…」
 はふ、と息を吐く妹の台詞に、すぅと詐欺師の顔から表情が消えた。
「お前…まさか、OK出す相手がおったんか?」
 そんな問いに、桜乃はそのまま、まさかと答えた。
「いないわよ、よく知らない人達ばかりだもん、私の理想とも違うし」
「理想…どんな奴じゃ?」
「それは当然…」
 そう言って、桜乃はびしっと力強く目の前の兄を指差した。
「雅治お兄ちゃんと互角に渡り合える人! 義理の家族との付き合いって、失敗したら目も当てられないって話だし、そこは手堅く選ばないとね!」
(夢も希望もありゃせんの…)
 普通、人生の伴侶を選ぶのに、そういう基準で見るか?と仁王は思いつつも、そうさせているのがどうやら自分であるという事も勘付いているので、台詞にも出し辛い。
(しかし、流石にここまで現実的になられたらのう…もう少しばかり、手加減してやるべきなんじゃろうか…)
 珍しく殊勝な事を詐欺師が思っていたその時、桜乃がほんの少し照れ臭そうな笑みを浮かべつつ、赤くなった頬に手を当てた。
「そう考えたら柳生先輩って本当に素敵…立海随一の模範生で、お兄ちゃんの事も見捨てないで、妹の私にも凄く優しくして下さるし…格好いいよねー」
(全力で潰しちゃる…!!)
 手加減だなどと、自分らしくない事を考えてしまった…と、詐欺師は改めて己の道を往く事を決意。
「それにお兄ちゃんにも似てるし…って、聞いてる〜?」
「……」
 心が通じているのかいないのか、今ひとつ分からない兄妹は、それからも共に家路を辿っていった。
 その日以降、更に柳生に化けて彼を困らせる事に情熱を傾ける仁王の姿が見られたとか見られなかったとか……






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