自分だけのサンタさん
「クリスマスって、当日よりもイブの方が盛り上がりますよね」
「まぁそうだね…殆ど恋人達のイベントだから、夜っていうのがムードを盛り上げるのかもしれない」
そのクリスマスイブ当日、まるで日本全国レベルのお祭りを、他人ごとの様に語っている二人の男女がいた。
立海大附属中学三年の幸村精市と、青春学園一年の竜崎桜乃だ。
学校は違うが、テニスをきっかけに夏に知り合って以降、非常に仲の良い彼らだったが、どうやら今日はイブにかこつけたデートという訳ではないらしい。
「…そんなイブでもやっぱり、練習は欠かさないんですね」
「昔の人の誕生日と、今の俺達のテニス事情は無関係だからね」
「確かに…と言うより、関係ある人の方が少ないですよ」
「ふふ…」
苦笑する少女に優しく微笑み返した若者は、少しからかう様に相手に問い返した。
「君こそ、折角のイブなのにわざわざ立海(ウチ)まで来たじゃないか…友人達と集まったりとか、そういうのは無かったの?」
「あー、まぁ…誘われはしたんですけど」
少しばつが悪そうに笑ってから、桜乃はふんっと気合を入れる仕草をしながら力強く宣言。
「今の私は遊びよりもテニスですから!」
「…ふぅん」
特に否定することも茶々を入れる事もなく、素直に発言を受け入れてくれた強豪立海の部長の反応に、桜乃はあっさり虚偽を認めてぺこっと頭を下げた。
「…スミマセン、ちょっと言ってみたかったんです」
「ふふふ、本当に正直なんだね君って。そういうところ、好きだよ」
「!!」
相手の何気ない褒め言葉にも一気に顔を赤くした少女は、確かに正直すぎる反応だった。
(す、好きって…違うよね、あくまでそれは『正直』ってところが好きなんであって…私のことをって意味じゃ)
片や立海一のモテ男、片や何の取り柄もないドンくさい一年生…自分が相手に惹かれ恋しく思うのは当然かもしれないが、相手がそうなるとはとても思えない。
仲が悪い訳でもないが、自分に優しくしてくれるのはあくまで年上、先輩としての立場からだろう…
(幸村さん、妹さんがいるって話だし…きっと、それに似た感じなんだろうなぁ)
テニスに関しても日常に関しても雲の上の人みたいな感じだから、告白なんて大それた真似も出来る訳ないし…
「竜崎さん?」
「っ! は、はいっ」
「どうしたの? 気分でも悪いのかい?」
思案に耽り無言になってしまった自分を気遣ってくれたのか、心配そうにこちらを覗きこんできた相手に気付いて桜乃は慌てて断った。
「い、いえ、大丈夫ですよ?」
「そう? ならいいけど…今日も寒いからね、風邪とか気をつけるんだよ」
「あは、大丈夫です。私、全然元気ですよ?」
元気である事を強調するような口調で答えた桜乃に、幸村はそう、と笑って頷き、今日の事を反芻しながら言った。
「でも、実際友達に誘われてたならどうしてそれを蹴ってまでウチに来たんだい? まぁ、お蔭でウチの部員達も大喜びだったし、感謝してるけど」
「うふふふ…だって、今日みたいなイベントの日にケーキとか差し入れないと、丸井さんとか拗ねそうじゃないですか。私も実は皆さんと一緒にはしゃげるのを期待してましたし」
「…そう、なら良かった」
「?」
同じように微笑んでくれた相手だったが、その発言まで僅かな間があった気がする…
しかし、それは大した出来事という訳でもなかったので、疑問に思いはしたものの、桜乃もそれ以上追及する事は憚られた。
そうしている内に、相手の若者は自分達がもうすぐ差し掛かる大通りへと目を向けながら、彼女に尋ねてきた。
「ああ、そう言えばここのイルミネーションが凄く綺麗なんだ。駅への通り道だから人も多いんだけど…少し一緒に見ていかないかい?」
「あ。いいですねー、そういうの見るの好きですよ」
「良かった、じゃあ行こう」
桜乃の了承を取り付けた部長は、嬉しそうに彼女を連れてゆっくりと目的地に至る道を歩き出した。
特に問題なく到着した二人は、闇に広がる煌びやかな世界をぐるりと見回し嘆息していた。
「凄いですねぇ」
「確かに綺麗だね…去年より大幅にライトアップしているって話だったけど、納得だ」
数多くの小さな灯りに彩られた木々の間を抜けながら、彼らは首の動きも忙しなく、しかし足取りはゆっくりと進んでいく。
その広場の中央には、本来そこにはなかった筈の巨大なもみの木が、多くの飾りをつけられた荘厳な姿で佇んでいた。
おそらく他所から運ばれてきたものなのだろう、その木の周囲には幸村達以外にも多くの観客が集まり、一様に上を見上げている。
彼らと同じ様に、桜乃もまた暫しもみの木をじっと見上げて、じっと遠くの一点を見つめていると、幸村が興味深そうに声を掛けた。
「何を見てるの?」
「あ、てっぺんにある大きな星です。小さい時からあれが欲しいって思ってたりして。サンタさんのプレゼントはあれがいいってねだったコトもあったなぁ」
「そうか…可愛い願い事だね」
「親は凄く困ってましたけどね…でも小さい時は大きくなったら無理だって分かるものでも、その時には絶対に手に入るものだと信じていたりして…」
「ああ、それはあるかも」
「幸村さんは? 何か欲しいモノとかありました?」
「さぁ、どうだろうね…でも今欲しいものよりはあまり執着はなかった気がするな」
「ふぅん?」
「サンタさんに頼んでも、こればかりは難しいかな」
相手の言葉に、桜乃は思い切り興味を引かれた。
このいつも泰然としている若者がそこまで欲しがっているものとは、一体何だろう?
「じゃあ今は、何が欲しいんですか?」
「うーん…」
教えるべきか否か、迷っているらしい若者は暫し唸って桜乃を見下ろしていたが、やがてにこ、と優しげに笑った。
「教えてもいいけど…タダで教える訳にはいかないよ。条件付きってことでどうかな?」
「うわ〜…そんな事言われたらますます知りたくなっちゃいます! じ、じゃあ条件を先に聞いてから決めてもいいです?」
「勿論…条件はね。もし君が、俺が欲しいものを聞いて、それを俺にくれるコトが出来る立場だったらくれるかい?」
「え、ええと、つまり…」
相手が言わんとしている事を必死に理解しようとしている桜乃が、例を挙げて確認した。
「例えば、幸村さんがCDを欲しがっていて、もし私がそれを持っていたりお金があった場合には、プレゼントするってことですか?」
「まぁそうなるかな……どうだい? それでも聞いてみる?」
「…ちょっとお待ちを」
断り、桜乃はごそごそと自分の財布を取り出すと背中を向けて中身を確認し始め、それを幸村がにこにこと笑って眺めていたが、やがて少女は再び財布をしまってうんと頷いた。
「ビミョーな感じですけど、でももしかしたら私が幸村さんのサンタさんになれるって事ですよね…いつもお世話になってるし…あ、もし不可能だったら拒否権は?」
「勿論あるよ、俺は追い剥ぎじゃないしね…但し、誰にもそれを喋らないこと」
「それなら自信あります! じゃ、じゃあ、聞かせてもらっていいですか?」
「うん、分かった…こっそり言うから、よく聞いてて」
周囲の誰かに聞かれることが無いように、と念押しした後で、幸村は桜乃の耳元でひそりと囁いた。
「実はね……恋人が欲しいんだ」
「!! ええっ!?」
無理!という言葉よりも先に、桜乃の口から驚きの声が上がった。
てっきり高価な何かだと考えていただけに、その意表の突きっぷりは見事なものだった。
「な、な、な…何でですか…? そのっ…幸村さんなら、よりどりみどりじゃないですか、あんなにモテモテなのに!!」
「好きになるのと好かれるというのは違うんだ…モテるかどうかは知らないけど、俺にも選ぶ権利があるだろう?」
「それはそうですけど…」
どっちにしろ、自分の財布の中身で済む話ではないと、桜乃はかくんと肩を落とした。
恋人、か…それが欲しいということは、この人には今はそういう存在はいないということ。
心の何処かでそれを喜んでしまっている自分を叱咤しながら、桜乃はしょぼんとしょぼくれた。
「それじゃあ、最初から私なんか何のお役立ちも出来ないじゃないですか…まぁ、そんなにお金持ちでもないですけど」
そんな桜乃とは裏腹に、幸村はまだ口元に笑みを浮かべている。
「そうかな、正直君が一番勝率高そうだったんだけど…」
「? 友達を紹介とかってことですか?」
「いや…実は、俺が恋人にしたい人にはもう会っているし、条件も譲れないんだ。背が俺より低くて、華奢で、内気で、でも明るくてとてもいい子で…」
恋人について更に細かい条件を提示してきた相手に、桜乃は止める間もなく黙ってそれに聞き入る。
「もっと細かく言うと、今年青学に入学した一年生で、最近テニスを始めたばかりで、よく立海にも見学に来てくれてて…」
「…!?」
「目が大きくて、長いおさげをしていて、いつも優しく笑ってくれている…」
ぎょっとした表情で思わず幸村を見上げた桜乃は、そこで真剣そのもので語る相手の姿を見た。
「…竜崎桜乃…君じゃなきゃ、嫌だ」
「!! ゆきむら…さん…?」
呆然とする桜乃の隙を突くように、幸村が微笑みながら彼女の両手を自分のそれで優しく掴んだ。
「さぁ、俺は全て言ったよ。俺の一番欲しいものを嘘偽りなく…ね。君は、どうする?」
俺だけのサンタになってくれるのかい…?
「…っ」
覗きこむように瞳を見詰めてくる若者に、桜乃は寒さの所為かそれ以外による為のものなのか、頬を赤く染めたまま彼をじっと見上げていたが、やがてそろりと唇が動いた。
「私も…欲しいものが…」
「え…?」
言っていいのだろうか、本当に…私なんかがこんな我侭を。
でも、これってやっぱりそうだよね…そう思っていいんだよね…?
これまでずっと引っ込み思案だった少女は、男の先程の言葉に押される様に、励まされる様に、普段の彼女ならとても言えない様な言葉を初めて己から告げていた。
「私が欲しいのは……背が高くて、優しくて、いつもテニスを教えてくれる人…立海の三年生で…テニス部の部長で…今、私の目の前に立っている…幸村精市さん」
「っ…!」
「…私にその人を恋人にくれたサンタさんにだけ…私をあげます」
最後の語尾は微かに震えていたが、それでもしっかりと言い切った少女に、幸村は一度相手の手を離し、そのまま今度は身体を抱き締めていた。
「桜乃…」
「あ…」
きつく抱擁された少女の耳元で、甘い囁きが聞こえる。
「ずるい子だね…俺の望みを聞きだしておいて、欲しければ今度は俺の心を差し出せだなんて……君は一体幾つ、俺の心を手に入れるつもりだい?」
責めるではなく、まるで優しく誘う様にそれは続いた。
「いいよ…好きなだけあげる…その代わり、君も俺だけのものになるんだ。他の誰の物でもない、俺だけのものにね」
そして唇を離す間際、幸村は優しく桜乃の頬にキスを落とした。
「っ!」
「…ふふ、このぐらいで固くなってる? まだ本番前だよ」
そ、と頤を優しく指でなぞられ、上向かせられたことで、相手の意図を読んだ桜乃が大いにうろたえた。
「え…っ、こ、ここで…!?」
こんな沢山の人がいる中で!?と桜乃が狼狽しても、相手は全く止める素振りが無い。
「うん、もう随分と待ったからね…我慢出来そうにない」
「で、でも…恥ずかしいです…」
「どうして?」
「だって…人が…」
俯いた桜乃は勿論本気で恥らっているのだろうが、幸村からしてみれば、それが却ってこちらの情念に火を注ぐ元だった。
その仕草一つ一つが、本人の知らない内に相手を誘ってしまうのだから性質が悪い。
もう少し理性が弱ければ、有無を言わさず乱暴に唇を奪うなりしていただろうと思いながら、幸村は必死に己を抑えつつ言った。
「俺達、もう恋人だろう? 周りの人達と何が違うの?」
「何って…」
促され、周囲を見回して思い出す。
そうだった…ここにいる殆どの人達はカップルなのだった。
その証拠に、彼らの中でも何組もの人々が、睦まじく語らいながらキスをしている様子が見えている。
誰も、こちらの視線に気をかけている様子は無い。
「みんな俺達と同じだよ。誰も俺達のことなんか見ちゃいない…俺は君だけを見て、君は俺だけを見ていたらいい…そうだろう?」
「あ…」
「さぁ、おしゃべりはそこまでだ…これ以上待たせないで、可愛い桜乃」
俺はずっと、ずっとこの日を心待ちにしていたんだから…
優しい囁きを最後に、幸村は桜乃の唇を己のそれで塞いだ。
香水もつけていないのに甘い香りが鼻孔をくすぐり、神の子すらも夢中にさせた。
離れては再び重ね、何度も貪るように繰り返す…
「…っ…はぁ…っ」
ようやく桜乃が解放され、くたりと幸村の胸に身体を預けた時には、何秒が何分が過ぎたのか、それすらも分からなかった。
ただ、くすくすと小さな若者の笑い声が耳を掠めてくるのだけは感じる。
「…メリークリスマス、桜乃」
「あ…メリー、クリスマス……精市、さん」
「うん…これからも宜しくね、大好きな恋人さん」
「〜〜〜!!」
流石にまだその呼びかけには返せず、少女は相手の胸に顔を埋めて照れを誤魔化し、彼はそれを微笑ましく見つめていた。
「来年は…もうちょっとだけ慣れようか」
その為には実践あるのみだよね…と、心で呟いた神の子は、こっそりと甘い企みを考えつつ、早くも来年の今日という日に思いを馳せていた。
了
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