サンタガールの贈り物


「クリスマスだなんだと、下らん騒ぎに浮かれているなど、たるんどる!!」

 その一言が、真田にとって大きな墓穴を掘る行為となってしまった。

「あれ? 真田さん、いないんですか?」
「おー、何かよく知らねーけど風紀委員の仕事があるってさ。間に合えば来るかもだけど、どうだろうなぁ」
 その日は12月24日のクリスマス・イブ。
 立海のテニス部レギュラーメンバーは律儀に当日の部活メニューをしっかりこなした後、部室でささやかなパーティーを開いていた。
 見学に来ていた青学の竜崎桜乃もそのまま流れでパーティーに参加していたのだが、ふと、副部長である男の姿がいつの間にか消えていることに気づいたのだ。
 一時的に席を外しているのかと思っていたが、いつまでたっても姿を現さないコトを訝しみ、同じ学年の丸井ブン太に尋ねてみたところ、先の答えが返ってきたという訳だった。
「委員の仕事ですか…?」
 折角の日なのに、と桜乃が気の毒そうに呟いた背後で、小さな笑い声が聞こえてきた。
 振り返ると、銀色の髪を揺らしながら、仁王雅治がこちらを見下ろしてきている。
 笑い声も、彼がたてたものだったのだ。
「仁王さん」
「まぁ仕方ないの。ありゃあ真田の自業自得ぜよ」
「え?」
 どういうことだろうと桜乃が首を傾げて考える。
 自業自得…?
 今日までしなければならなかった仕事を、彼がぎりぎりまで放置してしまったから、という意味だろうか?
 いや、それは考えにくい。
 元々、あれ程に真面目で、人の模範となるべき若者が、そんな自堕落な理由で仕事に向かう訳がない。
 寧ろ仕事は率先して行い、誰よりも早くそれを仕上げる様な性格の男だということは、もう自分もよく分かっている。
「…何かあったんですか?」
 結局、自分の予想は頼りにならないと判断した桜乃は、素直に仁王に尋ねた。
「ま、大した理由じゃないんだが…」
「余計なコト言って、余計な仕事押しつけられたんだよ」
 仁王が語っている途中で、二人の会話を耳にしていた二年生の切原が割り込んできた。
 その手にはオレンジジュースが入っているコップが握られている。
「あ、切原さん」
「下手なコト言わなきゃ、副部長も今頃ここにいたってのに…不器用だよなぁ、あの人も」
「自分の言葉に責任を持つ…人として大切なことですよ、切原君」
 そこに今度は仁王の相棒である柳生比呂士が加わってきた。
 いや、彼だけではない。
 見ると、最初は桜乃のささやかな興味から始まった話題だったが、これまで別の話題で談笑していた他メンバー達もその会話に加わるべく周囲に集まってきていた。
「弦一郎のことだね? 彼は本当に責任感が強いから…融通が利かないのが玉に傷だけど」
「まぁ一度口に出しちまったから、引っ込みつかなくなったって面もあるだろう」
 部長の幸村やジャッカルも、何かに納得している様に何度も頷いている。
「…?」
「先日、弦一郎が、クリスマスを理由に浮かれるべきではないと発言したコトがあったのだ」
 相変わらず疑問符を頭の上にうかべている様な顔をした桜乃に、参謀と呼ばれている柳が詳細に説明を始めた。
「発言そのものは尤もな内容だったのだが、逆にその発言のせいで彼がクリスマスの行事とは無縁であると周囲に見なされてしまってな」
「あらら」
「なし崩しに、イブに何かしらイベントを抱えていた他の委員達の仕事まで、彼が引き受ける羽目になった」
「うわ〜〜…」
 何という貧乏くじ。
 しかしその発言さえしなければ、きっと結果は変わっていただろうに…確かに自業自得と言えばそうかもしれない。
「…誰かお手伝いする人いないんですか?」
「一応声はかけたんだけどね…手伝おうかって」
 親友でもある幸村が苦笑して、後の台詞は仁王が引き継いだ。
「アイツも意固地になってのう…「必要ない」の一点張りよ」
 丸井も困った困った、と風船ガムを膨らませながら肩を竦めた。
「自分で言った以上は責任を取るってな。真面目過ぎるってのい」
「う〜ん…」
 それでいつの間にかこの場にいなかったのか…納得。
「じゃあ、今はどこかの教室にいるんですか?」
「生徒会の部屋を借りると仰っていました。どの道、生徒会に届ける書類ですから、その場で片づけてしまいたいと」
「そうですか…」
 では今頃彼は、一人、教室にこもって黙々と仕事をこなしているのか…
「…」
 透視出来る訳もないのだが、桜乃は校舎がある方の部室の壁を見やり、暫し沈黙していた…


 それから暫くパーティーがまだまだ盛り上がっていた時、桜乃がこっそりと部室を抜け出していた。
「おう、どうした竜崎」
「あ、仁王さん…」
 誰にも気づかれないように、と思っていたが、たまたま同じく外に出ていたらしい若者に呼び止められ、彼女はくるりと相手に振り向いた。
 その片方の手には缶ジュース、もう片方の手には紙プレートに乗せられたカットケーキが添えられたフォークと共にあった。
「真田さんがまだ来ないみたいですから、ちょっと差し入れに行こうかと思って…」
「ほう…」
 感心じゃの、と言いつつ、仁王は何となく唇を歪めつつじっと相手を見下ろした。
 そう言えば、この子はあの仏頂面男のお気に入りだったな…今時珍しい純朴な娘だし、いわゆる大和撫子といったところが良かったのか。
 そして自分の勘が鈍っていなければ、この少女もまたあいつの事を…
「……ふーむ」
「? あの…?」
 こちらを見下ろしながら、一人で何かを考えつつ頷く詐欺師に、桜乃はどう言えばいいものか悩みつつ声をかけたが、相手はそれに答える前に、くるっと横を向いて方向転換。
「ちょっと待ちんしゃい。そのままじゃインパクトに欠けるじゃろ…確か共同の倉庫に…」
「え…?」
 ぐい、と肩を掴まれそのまま連行される形で、桜乃は仁王の後をとことこと素直についていった。


 十分後…
「よし、完璧じゃ。行ってきんしゃい」
「は、はぁ…」
 旗を振る程の勢いで仁王に送り出された桜乃は、それまでの制服姿から一転、赤と白が眩しいサンタガールへと変身を遂げていた。
 勿論その衣装は自前のものではなく、仁王が複数の部活が共同で使用している倉庫から、一時拝借したものである。
 おそらく前年辺りにどこかの部活が備品として購入したものだろう。
 日常的に着用するものではないことと、購入がそれほど昔ではなかっただろうお陰で、品物そのものはほぼ新品に近かった。
 もこもこふわふわの衣装にサンタ帽とブーツまで付いて、結構本格的な姿になった桜乃に、アイデアを出した仁王も満足そうに笑っていた。
 折角のクリスマスだしこちらの方が盛り上がるだろうと、上手く詐欺師に言いくるめられ、倉庫内で着替えさせられた桜乃は、多少の疑問はありつつも素直に相手の見送りを受けながら、真田のいる生徒会室へと歩いていった。


 その生徒会室内にて、真田弦一郎は黙々と己に課した仕事をこなしている真っ最中だった。
(全く…話の流れとは言え、何故俺がこんな事まで…!)
 クリスマスだからという理由でたるんでどうする!という発言をしたのは確かに自分だったが、まさかそんな注意をした後に、「実は当日外せない用事が」攻撃があんなに来るとは思わなかった。
 向こうの委員達はあくまで家事都合と言っていたが…かなり怪しい。
 風紀委員という任についている以上、同士を見捨てる事も出来なかった律儀な若者は、結局彼らの分の仕事も引き受けたのだった。
 誰にも、一言もそれについての愚痴を言わなかったのは実に立派だったが、やはりそれでも年頃の中学生。
 心の中で密かにそれを呟きたくなっても仕方がない事だろう。
(疑う訳にもいかんし、わざわざその予定を踏み込んで聞く訳にもいかん…ふん、どうせ仏教徒の俺には関係ない行事だがな)
 何となく論点がずれてきているが、真田は構わない。
 そんな彼は手にしていた書類を決裁したついでに、少しだけ顔を上げて休みをとった。
「ふう…」
 肩を叩き、息をつきながら首をぐるりと回したところで、彼は窓越しに見える景色に目を留めた。
 すっかり暗くなった外、下に見える建物の一カ所から光が漏れている。
 自分の所属しているテニス部部室だ。
(…結構時間が経っているかと思ったが、まだやっているのか)
 こなさなければいけない量を考えると、パーティーには間に合わないだろうと思っていた真田の脳裏に、不意に桜乃の姿が浮かんだ。
 浮かぶと同時に、彼は軽く首を振って思考を飛ばす。
「ふ、ふん…単に都合が一度合わなかっただけだ。別にクリスマスなど関係ない…」
 今頃は、あの部室内で彼女は他メンバーと一緒に楽しく語らっているのだろうか…自分のいない場所で。
 それを思うと、ガラにもなく心細く不安になり、真田は敢えて世界的行事を突っぱねる形で毒づいた。
 そうとも、自分と彼女は恋人ですらない。
 だから、今日という日にわざわざ会う必要性もないのだ、今抱えている感情は全く、自分の独りよがりなものでしかない。
 別に会いたくも……いや、会いたくはあった、が。
(……ふん)
 兎に角、仕事を片づけるのが先だ、と真田は再び次の書類を手に取った。
 間に合うか分からないが、上手くいけばパーティーの終わりの方ぐらいには参加出来るかもしれない。
 そうしたら、彼女と少しでも話す機会が持てるかも…
「真田さーん」
 あくまで、運が良ければ、と予防線を引いていた真田の耳に、いきなり自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「え?」
 素直に声が聞こえてきた方向へ顔を向けると…
「メリークリスマスですー、サンタさんの差し入れですよー」
「!!!!!」
 その教室の入り口のドアを引き、中に入ってくるサンタガールの桜乃。
 全体の激しいイメチェンもさる事ながら、ブーツと膝上スカートから覗く艶めかしい素足がもろに視界に入り、真田は思わず仰け反ってしまった。
「りゅ、竜崎っ!? お、おまっ…どうしたその格好は〜っ!!」
「あ、クリスマスですから」
「クッ…」
 あっけらかんと答える少女に、真田絶句。
 その間にも、相手の姿をついまじまじと見入ってしまい、はっと我に返った男は己を激しく叱咤しながら桜乃に声を上げた。
「たっ、たるんどる!! よ、嫁入り前の娘がそんな足を露出するような破廉恥な格好をして、襲われでもしたらどうする!?」
「真田さんなら大丈夫ですよ」
「それはまぁ……っ、そういう問題ではないっ!」
 思わず納得させられそうになり慌てて再度声を荒げると、その剣幕に圧された桜乃がしゅーんと表情を曇らせた。
「真田さん、もしかしてこの格好嫌いでしたか?」
「頼むからそういう質問の仕方はやめてくれ、誤解を生じる恐れがある」
 他の誰も聞いてはいなかったが、しっかりと断りを入れるのは彼の生真面目さからか。
 相変わらず暗い表情の桜乃は、自分の姿を見直しながら首を傾げた。
「この格好で行けば真田さんも大喜びだって仁王さんが言ってたから、頑張ったんですけど…」
(に・お・う〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!)
 あいつか!! あいつが元凶か!!
 もし俺の人格をねじ曲げるような事をこの子に吹き込んでいたら、容赦なく雷で焼いてやる!!と、真田は息巻きながらも、すっかり気落ちした様子の少女に少しばかり慌てて声をかけた。
「す、すまん…お前が悪い訳ではない。その、いきなりだったから驚いただけだ、お前の心遣いには感謝している」
 こちらのフォローに、きょと…と見つめてくる桜乃から視線を逸らし、真田はまだ少しどもっていた。
 見たくないのではなく、見てしまったら自分のやましい気持ちが加速度的に成長しそうなのだ。
 欲望を抑えるには、自分はまだまだ修行が足りない。
 そんな純情な若者の密かな苦悩には気づかず、どうやら彼が怒っている訳ではないと知った桜乃は嬉しそうに彼に持ってきた差し入れを見せた。
「良かった! 真田さんがお疲れじゃないかと思って、差し入れを持って来たんです。宜しかったらどうぞ」
「む…」
 缶ジュースとケーキとチキン…王道のクリスマスフード。
 ついさっきまでそのクリスマスに対して毒づいていた分、若干のやましさはあったものの、誰にも聞かれていなかった事を幸いに真田はそれを受け取った。
 別に自分が頼んだのではなく、向こうが好意で持ってきてくれたのだ、断る必要はないだろう…と自分に言い聞かせてみる。
「そうか、すまんな」
「いいえ〜」
 差し入れを渡した後、自分の側にあった別の椅子を引いてちょこんと座る桜乃に、真田が首を傾げて声をかけた。
「部室に戻らなくてもいいのか? パーティーはまだ続いているのだろう?」
「あ、はい…続いてはいるんですけど…」
 急に歯切れが悪くなった相手の台詞を真面目に受け取った真田は、やはりそうかと頷いた。
「では尚更だ。俺はまだここに残らねばならん、いてもつまらんだろうからお前は…」
「あ、あのっ…」
「ん?」
「…一緒にいたら、ダメ、ですか?」
「…え?」
「お仕事の邪魔はしません。大人しくしてます。だから…」
「…!」
「真田さんの傍にいても…いいですか?」
 もじ、と身体を揺らし、頬を染めて尋ねてくる少女の愛らしさに、今度こそ真田は脳天から爪先まで何かに打ち抜かれた様な衝撃を感じた。
 反則だ!!
 いつもの姿であってもそんな事をされたらたまらんのに、よりによって今の格好でそれは…っ!!
(り、理性が働かんっ…俺は、どうしたらいいのだっ!)
 つまりこれは…彼女は自分に、友人、知人以上の好意を持ってくれていると看做してもいいと?
 俺はそこまで想われていると、自惚れていいのか?
「あ、その…」
 もし本当なら、すぐにでも抱きしめてみたい衝動に駆られつつ、それでも真田は己の気持ちを押しつける事を恐れた。
 テニスではひたすらに攻める事を良しとする猛将であっても、こちらの方面まではそれは通じない様だ。
 しかし、おそらく相手も必死に勇気を奮い立たせて言ってくれたのだろう言葉に、男としても人としても答えない訳にはいかない。
 信じたい気持ちと、勘違いかもという不安の中で動悸を速めながら、真田は震えそうになる声を必死に抑えつつ言った。
「…もし、サンタのお前さえ良ければ…俺の望みを叶えてくれるだろうか…」
「…?」
 一度深呼吸をしてから、真田は微笑みながら続けた。
 緊張で少しばかり笑顔もぎこちなかったかもしれないが、正直もうそこまで気を向けていられない。
「…こちらこそ願ったりだ…俺と一緒にいてくれ。出来れば今日だけでなく、これからも」
「!!」
 桜乃の要望に応えると同時に、受け身ではなく自分の望みでもあると示してくれた男に、彼女は真っ赤になりながらも、遠慮がちに相手に頷いた。
 そして座っていた椅子を、かたんとより真田に近づけるように移動して、互いの肩が触れ合う程近くに座る。
 触れ合っている箇所は服越しにも関わらず、そこから互いの熱を高め合っているようで、二人は暫し気恥ずかしさと緊張で無言だったが、やがて真田がそれを破った。
「サンタを信じなくなってもう随分経つが…」
「…?」
「また、こうして信じられる日が来るとは思わなかったな」
 こんなに嬉しいプレゼントは、生まれて初めてだ…それはこれからも変わらないだろう。
 感慨深い呟きに、聞いていた少女が照れながら微笑み、そっとその身を相手に寄り添わせる。
 この日恋を語るには今一つの場所ではあったが、彼らにそれは関係なく、それからもずっと二人は満ち足りた幸せな一時を過ごした。





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