魔法の靴下
世はまもなくクリスマスを迎えるという某日…
「うーん…」
中学二年生の切原赤也は、いつになく浮かない表情で部室内の椅子に座り、そのまま顔を前の机にへちゃっと乗せて唸っていた。
「どーしたんだよい赤也」
「真田にその格好見られたら、間違いなくどやされるぞ」
立海男子テニス部が誇るダブルスの名手である丸井とジャッカルが、そんな後輩に声を投げかけると、向こうは相変わらず気の抜けた姿勢のまま、気の抜けた返事を返してきた。
「あ〜…何か気合いが入らねぇ…悩んでるだけで疲れてきた…」
「ほう、赤也が悩むとは珍しいのう。明日は槍が降るか」
「仁王君、言い過ぎですよ。そこはせめて豪雪ぐらいにしておかないと」
もう一組のダブルスパートナーである仁王と柳生がなかなか辛辣な物言いをしているが、別に立海のダブルスになる条件に毒舌というものは入っていない。
「いやそれフォローになってねぇし」
「つか俺らにとってはどっちも迷惑だってのい」
びしっと二人に丸井とジャッカルが律儀に突っ込んだタイミングで、まだ部室に来ていなかった三強が、揃ってドアを開けて入室してきた。
「やぁみんな…あれ? どうしたの赤也」
最初に入ってきた部長の幸村が、ぐったりと脱力している切原に不思議そうに声を掛けたが、それをすぐに追いかける形で副部長の怒声が響いた。
「何という情けない格好をしているのだ、たるんどる!」
(そらきたっ!!)
やっぱり…とジャッカルは心の中で呟いた。
この部の中で一番恐ろしいのは文句なく部長の幸村だが、彼は最初から一方的に相手をきつく責め立てることはなく、先ずは向こうの状況を理解しようという行動から始まる。
その中で相手が態度を改めるなり相応の理由を提示すれば穏便に物事は解決し、そうでなければ…いよいよラスボスのお出ましという訳だ。
対し副部長の真田の場合、彼も性根は心優しい一面を持ってはいるのだが、普段から鍛錬鍛錬鍛錬!の実直男であり、多少融通が効かないところがある。
その為なのか、優しさが顕現するより先に厳しい一喝が轟くのが常となっていた。
そんな二人の性格が図らずも表れた彼らの台詞だったが、それを耳にしても切原はかろうじて頭をむく、と起こすのみで、相変わらず疲労感を周囲に漂わせている。
「…!」
そこでようやく真田は口を噤み、視線を幸村のそれと交わらせた。
『おかしい』
いつもなら、真田の一喝が聞こえた時点で切原は瞬時に立ち上がり、自分の行いを謝罪している筈だ…それが本心からのものかどうかはさておいて。
なのに今日は、声を聞いても相変わらずのこの脱力ぶり…異常だと考えるのが普通だろう。
無言のまま、意見の一致を確認した二人の横で参謀である柳が質問を投げかけた。
「赤也、どこか身体の不調でもあるのか?」
「あー……何となく胃がむかむかするって言うか…うー…」
素直に肯定した後輩の一言で、ざわっと先輩達がざわめいた。
普段は至って元気溌剌イタズラ小僧の彼が、まさか本気で身体の異常を訴えるとは…これはもしかしたら、からかうどころではなかったか。
「だ、大丈夫ですか切原君。今日は大事をとって病院に行かれた方が宜しいのでは?」
流石に人道的立場に立って発言した紳士の柳生に対し、しかし相手は否というようにひらっと手を振った。
「や、行っても無駄ッス…医者じゃ治せないッスよコレ」
「は?」
一体何事が…?と悩んだ相手に、切原は手を腹部に当てながら辛そうに続けた。
「今年のクリスマス、サンタさん、俺の欲しいプレゼントくれるのかって…もー考えれば考える程に不安で不安で…」
「…………」
普通の中学生なら、そんな発言を聞いた時点で相手を思いきり笑い飛ばすか、その正気を疑うだろう。
しかし切原を除いた他レギュラーは、いずれもそんな行動は一切取らない代わりに、何とも表現の仕様のない表情を浮かべ、互いの顔を見合わせるのみだった。
「え…切原さんってサンタを信じているんですか?」
「うん」
同日、立海のテニス部に見学に来た青学の竜崎桜乃は、切原に会う前に部長に呼び止められ、その事実を告げられていた。
呼び止めたのは幸村一人だったのだが、彼女の周囲には肝心の切原を除いた他レギュラーがぞろりと勢ぞろいしている。
どうして切原本人がいないのかと言うと、彼が結局、だれていた罰として真田から言いつけられたトラック三十周のトレーニングをこなしている最中だったという事と、話の内容が聞かれていたら困るものだったからである。
「大体の子供は、中学生に上がる頃にはもう真実は知っている筈なのだが、どうも彼の家族が、余りに純粋に信じているあいつに真実を言えなくなってしまったらしくてな…そのままずるずると引きずって、今に至ってしまった」
「それは…凄いですね」
柳の説明に、はーっと桜乃が溜息をつきつつ頷き、くるっとその場の全員を見回した。
「…で、結局皆さんも、真実を伝えられずにいる訳ですね」
「…まぁ、な…」
ふーっと深く息を吐き出しながら、渋々真田がそれを認める。
「いっそこれを機会に話してみるというのは?」
「あーそりゃムリ、絶対」
ぶんぶんと手を振って、ジャッカルが桜乃の提案を退けると、仁王が苦笑して続けた。
「もし本当の事を言ったら、アイツどうなるかわからんぜよ…暴れるのを抑えるのは大変なんじゃ」
そしてうんうんと丸井が腕組みしながら頷きつつ付け加える。
「間違いなく立海版積木崩しだろい。幸村達が子育て失敗して家庭崩壊なんて噂になったら、それはそれで大変そうだし」
「誰が誰の親だって…?」
ふふふ…と何となく危険な香りがする笑みを幸村が浮かべている脇で、ジャッカルがそういう訳で、と桜乃に念を押した。
「お前もさ、アイツの前でサンタに関しては下手な事は言わないでくれよ」
「了解しました…でも」
一度は納得したものの、桜乃はまた別の疑問を彼らに投げかける。
「どうして切原さん、今回はそんなに不安に思ってるんでしょう。ばらしてないって事は、今年もちゃんとプレゼントが来るって信じているんじゃないんですか?」
「ああ…それは何となく想像がつきます」
「はい?」
予想していると言われ、そちらを見ると、柳生がぴらっと一枚の便せんを取り出していた。
三つ折りの跡がついており、何かしら書かれている。
よく見ると、決して美しいとは呼べない筆跡だったが、何とかかろうじて読める文字が綴られている。
「えーと、なになに…サンタさんへ、今年はこのラケットを下さい…」
読んでいくと、その文章の下にアルファベットと数字が幾つか使用されたラケットの型番と思しき並びがあった。
どうやら、これが今年の切原のサンタに対するリクエストらしい。
「……どうでもいいですけど、何でこの手紙が皆さんの所に…」
「あいつがサンタを信じているって話を両親から聞いた時点で、俺らもほぼ共犯ってことだからな…」
「サンタに出すって手紙を親が預かって、それがそのまま俺達の方にも情報として来るんじゃよ。それにラケットならこちらの方が詳しいってことで、今年は俺らで幾らかずつ出し合って、購入することにしたんじゃ」
「ふぅん……」
便せんを改めて眺めていた桜乃が、くすりと笑って幸村に言った。
「でも、いい加減教えてあげてもいいと思いますけど?」
「うん…まぁ……分かってはいるんだけど」
後ろめたそうに、部長が背中を向けつつ、ぽり、と頭を掻いた。
「ちょっと…可哀想というか…」
他のメンバー達も、ぎこちない様子で言葉を濁しているが、概ね幸村に同意の様だ。
(ああ…やっぱり皆さんも結局、何だかんだ言って甘やかしてるのね…)
可愛い後輩の純粋な信じる心を打ち砕くのは、先輩としても仲間としても心苦しいという訳か…間違ってはいないと思うけど…
涙ぐましい先輩達の愛情に桜乃は微笑み、軽く首を縦に振った。
「成る程…欲しい物がラケットなら、確かに何となく不安の理由は分かりますねぇ」
それから暫く後、切原が罰トレーニングを終えてから、桜乃が相手に近づいて行った。
「こんにちは、切原さん」
「お、竜崎…よ、よぉ」
相手を見た切原が、少し狼狽した様子で挨拶する。
実は、桜乃のことを友人としてだけではなく、異性としてもかなり気になっている若者だったが、まだ口に出して告白するには至っていないのだった。
「また真田さんから注意を受けたんですか?」
「しょ、しょうがねーだろ? サンタさんがちゃんとプレゼントくれるかどうかって、こっちにとっては死活問題なんだぜ?」
普通ならこの台詞を聞いた時点で、相手は間違いなく聞き返すか、一気に引いた筈である。
想う少女からサンタが実在しないという衝撃の事実を知らされた時の若者の心の傷はいかばかりであろうと、先に彼女に口封じをした先輩達の判断は全くもって正しかった。
「それは分かりますけど…」
話を合わせてくれた桜乃に、切原はむすっとしたまま毒づいた。
「真田副部長は厳しすぎるから、プレゼント据え置きにして下さいって、サンタさんにチクっちゃおうかなー」
「告げ口する様な悪い子には、サンタさんもプレゼントあげなくなっちゃうかもですよ」
「…それもそうか」
サンタ効果、抜群!!
(さ、流石、骨の髄まで信じきってる…皆さんがバラすの躊躇うのも分かる気がする…)
凄いな、と感心してから、桜乃は気を取り直して改めて相手に質問した。
「どうして、サンタさんがプレゼントくれないかもって思うんですか? 今までは貰えていたんでしょ?」
「そりゃおめー…今年、俺が頼んだプレゼントはでかいからさ、靴下に入らねぇの」
「靴下ですか」
サンタを知っている人間にとっては既に周知の事実であるが、彼は子供達が眠っている間に、枕元の靴下の中にプレゼントを入れるという話になっているのだ。
切原が話しているのも、当然、その逸話に則ったものだろう。
「これまではゲームソフトとかだったから、何とか探してきた靴下に入るサイズだったんだけど今回はそうもいかないんだ…結構街に出た時もデカイ靴下探してるんだけどなー」
「はぁ」
「柳先輩は心配いらないって言ってくれたけど、やっぱ何となく不安でさ」
「成る程」
例のラケットを買う為の資金を提供してくれた、いわゆる切原御用達サンタ同盟の内の一人がそう言ってくれたのなら間違いはないのだが…本人がその事実を知らないのなら仕方がない。
教えてあげたいのに教えてあげられないもどかしさに耐えながら、桜乃もまた相手を元気づけるしか出来なかった。
「大丈夫ですよ。クリスマスまでにちゃんと切原さんがいい子にしていたら、サンタさんも分かってくれます」
「そうかなー…だといいんだけどさ」
そして、何とかその日、桜乃は切原に真実をばらすことなく過ごすことが出来た。
それから二日後…いよいよ明日がクリスマス・イブという日に、再び桜乃は立海を訪れていた。
「ありゃ、竜崎?」
「こんにちは、切原さん。調子はどうですか?」
話しかけてきた少女に、切原ははぁ、と息を吐き出しつつ目を閉じた。
「んー、まぁテニスに関しては絶好調ってトコ。けど、なんかやっぱ気になる…明日のことが」
「やっぱりそうですか…」
予想はしていたけど、と答えた桜乃が、徐にににこりと笑って、手持ちの鞄から何かをごそりと取り出した。
「それじゃあ、切原さんにいいものあげます」
「いいもの?」
何?と首を傾げた彼に差し出されたのは、布製の何かが折り畳まれた物体だった。
折り畳まれているので正確な形状は分からないが、赤と白の実にカラフルなものだ。
「…何だよこれ」
「まぁよく見て下さい」
「???」
促されるままに若者がそれの端を持ち上げ、両手でぴらっと広げてみる…と、見る見る内に彼の表情が驚きのそれに変わっていった。
「これって…靴下じゃん!!」
しかも普通サイズのものではない。
幅は五十センチ、長さは一メートル近くある、巨大な靴下。
靴下型の布を縫い合わせて作られたもので、本来のそれが持つ弾力性には今一つ欠けるが、ちゃんと袋状になっており、中に物を入れる用途は十分に果たせる。
「ウチにあった布で、ミシンを使って縫ってみました。今日はそれを枕元に吊して寝たらいいですよ、サンタさんもきっと見つけてくれます」
「マジでくれんの!? すげー嬉しい、これなら絶対入る! ありがとな、竜崎!!」
「いえいえ」
満面の笑みで靴下をぎゅーっと抱きしめながら、切原は何度も礼を述べた。
「大変だったろ? これ、大きいし結構しっかり作ってるみたいだけど…」
「ふふ、心配し過ぎて身体を壊したら大変ですもん…切原さんの為ならこれぐらい、なんてことないですよ」
「!…え?」
俺の為なら…って?
「…あ」
聞き返されたことでようやく自分の発言を振り返り、桜乃がぽっと頬を染めた。
ひっそりと心に秘めていた想いを少しだけ覗かれ、少女は恥じらいつつ一度俯くと、気を取り直すように言った。
「あ、あの…練習のお邪魔になりますから、向こうに行ってますね。頑張って下さい!」
「あ…」
声を掛ける暇もなく、桜乃はぱたぱたとせわしなげにコートの外へと走って行ってしまった。
「……」
残された切原は、同じく己の手の中に残された手作りの贈り物を今一度見つめた。
照れた相手が逃げてしまったせいで聞けなかったけど…自分が一番聞きたいことの答えは、おそらくこれでいい筈だ。
答えはもう…手の中にある。
(…そう思って、いいんだよな? 竜崎)
そう心で呼びかけながら、切原はちょっと困った顔をして呟いた。
「…やっと安心出来るかと思ったら、また気になることが増えちゃったじゃねーか」
でもまぁ…嫌われてはいないみたいだし、いいか。
そしてクリスマス・イブ明け…
おそらく成果が気になって来たのだろう少女と、彼女から靴下を託された若者が、立海のコートで再会していた。
「あ、竜崎」
「切原さん、どうでしたか? プレゼント」
「おう、バッチリだったぜ」
問われた若者が、にっと笑いながら左手を突き出した。
握られているのはつやつやと日光を浴びて輝く新品のラケット。
サンタからの贈り物であった。
「良かったですねぇ」
「アンタの靴下があったからさ、サンタさんも迷わずに入れてくれたんだぜきっと! ホント、サンキューな…そ、そんで、さ…」
「はい?」
「……ホントはイブに誘うのが良かったんだろうけど…ちょっと出遅れちまって…その…」
「?」
「アンタがもし良かったら…今日、部活終わった後にでも、俺と付き合わねぇ?」
「!」
「ダメ、か…? もしかして、先約あったりする?」
「い、いえっ…ないです…あの、大丈夫、です」
「そ、そっか」
いつかの会話の時の気恥ずかしさが改めて二人を襲ったが、何となく悪い気はしない。
寧ろ、心地よい緊張感と言うか、高揚感の様なものを感じる。
「じゃあ、部活終わった後にまた、な」
「はい」
「…………」
「?」
会話に一区切りつけた後、何故か無言でこちらを見下ろしてきた相手に、桜乃が小首を傾げた。
「何ですか?」
「…えーと、アンタって…そう身長高くないよな。百六十はないぐらいか?」
「え、と…そうですね、多分…」
「だよな…」
「? それが何か?」
「……来年のクリスマス、そんぐらいの大きさの靴下を…いや、何でもない」
「???」
ぼそぼそっと小さな声で希望を述べたが、すぐにそれを誤魔化して、切原は取り繕う様にラケットを持ち直した。
来年、もっと大きな靴下を用意してこいつが欲しいって望めば、次の日に入ったりしてないだろうか…?
自分が入った靴下の端に手をかけて、こちらをつぶらな瞳で見上げてきて…
「〜〜〜!!」
その光景を忠実に頭の中で再現した切原は、思わず萌え死にそうになりつつ必死に頭を振った。
(い、いやいや…ま、先ずは自力で何とかしないとな、やっぱ…!! ちょっと、見てみたい気もするけど…)
そんな二人の様子を遠巻きに眺めていた仁王が、うーむと唸りながら頭を掻いた。
「…こりゃ来年はいよいよ秘密を解禁せんといかんかのう…」
「何でだ?」
不思議そうなジャッカルの耳に、続けて部長の声が聞こえてくる。
「或いは、人さらいは犯罪だから、サンタさんは出来ませんって今から言っておくかだね」
仁王は切原の唇の動きを読んだが、幸村はその仕草や雰囲気で相手の欲求を読みとったらしい。
「ラケット程度ならどうにかなったが…来年はどうなるものやら」
やれやれ、と溜息をついた真田に、柳がくすりと小さく笑いながら心配するなと忠告した。
「あまり無茶なものを願うことがないように、協力者にそれとなく伝えてもらったらいいだろう。おそらく一番効果はある筈だ」
「ああ、成る程ね」
「確かに、それが一番の様ですね」
丸井や柳生が見遣った先には、切原の専属サンタ達と新たに太いパイプを結んだ少女が、彼に向かって柔らかく微笑んでいた…
了
Shot編トップへ
サイトトップへ