祭の狭間
世がクリスマスが近くなるにつれて大いに盛り上がっている時期、ここ立海もまた世に倣って同じく生徒達の一番の話題はイブや当日のそれになっていた。
しかし、珍しくその楽しげな輪の中に入れていない人物が約一名…
「いや〜〜、たっのしみだなクリスマス! 今年はどんな限定ケーキが出てくるのか、情報収集が楽しいったらねぇぜ!!」
「そーかよ、良かったな」
「…?」
部活中もなかなかその煩悩から抜け出しきれていない丸井ブン太がそんな正直な気持ちを口に出していたところで、何とも陰気な、乗り気ではない返事が返ってきた。
「どーしたいジャッカル、いつにも増して不幸背負った顔してさ」
「ほっといてくれ」
陰鬱な返事を返した自分の相棒は、完全に拗ねた様子でこちらを見ようともしない。
「おおっ、しかも更にいつになく凹みモード…もうすぐクリスマスだってのにしけた顔してんなよ、こっちまで暗くなるだろい?」
「そのクリスマスが近いからこっちは憂鬱になってるんだ、嬉しくも何ともねぇ」
「へぇ?」
不思議な相手の主張に、丸井は興味を示しつつ風船ガムを膨らませた。
「ジャッカルんとこって仏教徒じゃなかったよなぁ? 真田とかなら何となく分かるんだけどさ、クリスマスが面白くないってどういうコトよ?」
「何の話をしとるんじゃ?」
そこに、丸井達と同じくダブルスを組んでいる仁王と柳生が歩いてきた。
「お二人とも、もう少ししたら私達と練習試合ですよ。準備は宜しいのですか?」
「ああ、準備はバッチリだぜい、後はコイツからクリスマス嫌いの理由を聞くだけ」
「クリスマス嫌い?」
それは珍しい性癖ですね、と柳生が感心した様に頷き、仁王はいつもの皮肉の笑みを隠さずに言った。
「ジャッカルよ…お前さんの不運の責任を神に押しつけるんはどうかと思うがのう」
「ああ、身内に元凶がいるのはよく分かってるよ」
皮肉へ返す嫌みの棘もいつもより更に鋭さを増している。
「ほ、ほんとにどうしたんだよい。何でクリスマスが嫌いなんだ?」
いつもの温厚な相棒にしては珍しい姿に、いよいよ丸井が違和感を覚えて不安げに問うと、向こうはようやくこちらを向いてはぁと力なく息を吐き出した。
「別にクリスマスそのものに恨みがある訳じゃないけどな…でも、少なくとも今年のクリスマスは俺にとって厄日だ」
「何じゃ、その日の世界中の人間の不幸がお前さんの頭上に落ちてくる訳でもないじゃろ」
「仁王君はいちいち例えが酷すぎます」
もう少し別の言い方があるでしょうと柳生が窘めている間に、ジャッカルは今の自分の気持ちが落ち込んでいる最大の理由を暴露した。
「ウチの親って、料理店で働いてるだろ?」
「じゃったな」
「飲食店にとってクリスマスはかき入れ時期でな」
「確かにそうですね」
「店の売り上げもそうだが、ケータリングも見過ごせない収入源なんだ」
「……もしかして」
大体読めてしまった…と、丸井だけではなく他の男達も察した表情に変わり、その中央でジャッカルの心の叫びが木霊した。
「みんなが楽しく騒いでいる間にコッチは商品抱えてチャリかっとばしてんだよ! 営業スマイルも必須なんだから今の内に腐ってたっていいだろうがーっ!!」
確かに、遊びたい盛りの思春期の男子にとっては酷な仕事である。
「わ、分かった、よく分かったから、な?」
「来年は神様がいいこと増やしてくれるじゃろ…一個ぐらいは」
「どういう形であれ、労働は尊いものですから…」
あまり慰めにはならないかもしれないが、せめてもの励ましを皆が送る中、ジャッカルはぐちぐちと溜めきれなかった愚痴をこぼす。
「…お陰で、楽しみにしていた桜乃とのデートもおじゃんになっちまったし…」
「………」
「休憩時間ったって、午後七時から三十分の間しか持てないし、それだって外でファストフードぱくつくぐらいだ」
(十分じゃないか〜)
「アイツは快く受け入れてくれたけど、一年に一度のイベントを家の手伝いで潰されて、流石に凹む…」
(神様、どうかコイツには来年もたっぷりと不幸を贈ってやって下さい)
「…何か、お前らの空気変わってないか?」
肌と第六感で感じた雰囲気の変容に、ジャッカルが今度は戸惑ったが、その時には全員がにこやかな笑みを浮かべていた…本心のものかどうかは別として。
「いやいやいやいや、そんなぁ」
「あんないい子を恋人に出来たんじゃから、ちょっとやそっとの不幸なんぞ気にせんでもええじゃろ?」
「彼女を恋人に出来るなら、私など喜んでその手伝い、全力でやらせて頂きますけどねぇ…」
「そ、そうか? そうだな…いや、やらないぞ絶対、うん…」
仲間達から「自分だって狙ってたのに、まんまと手に入れやがってこの果報者っ!!」と思い切り呪詛を受けたことにも気づかず、ジャッカルはやや気持ちを切り替えたが、それでもやはり完全に落胆から立ち直るコトは出来なかった。
(イブって言えば、恋人達が一緒にイルミネーション見たり美味しい食事食べたりして盛り上がる日だろ…? そんな光景横目で見ながら配達って…桜乃のコト思い出すばかりでやっぱ辛いと思うんだけどなぁ…)
イブ当日
「ポン五人分追加で、しかもターキーも二羽分!? 誰がそんなに食うんだよ!ってかチャリに乗らねーぞ!!」
「いいから根性で運べ!! 落とすなよ!」
「くそ〜〜〜〜っ!! いいよなぁ二千年過ぎても祝ってもらえる奴は!!」
予想通り…いや、予想以上にその日の配達数はかなりのもので、店にとっては収益が大幅増となる神の恩恵だったが、比例してジャッカルにとっては労働量が半端ないものになってしまうという、神の試練だった。
「四つの肺を持つ男」と呼ばれている彼だからこそこなせる仕事量だったが、もし普通の中学生男子にやらせようとしたら間違いなく過労で倒れてしまっていた筈だ。
(あ〜…こういう時はちょっとだけまともな男子学生でいたかったって思うよな…体力あるってのは言い換えたらそれだけ酷使させられる危険性もあるってコトだし)
しゃーっと自転車を走らせる彼の脇を、幾組もの若いカップルが楽しげに談笑しながら歩いてゆく。
「え〜、やだホントー?」
「マジだって、今日は奮発してやるからさ…」
端から見ても幸せ一杯という彼らの姿を見ていると、ジャカルはまだ十代でありながら人生の悲哀を感じずにいられなかった。
(あーあ…同じ十代なんだろうけど、いいよなぁ…俺なんか今日は夕食時ぐらいしか暇がねぇってのに、しかもそれも一時間もないしよ)
そんなんじゃ、誘って待ち合わせるだけで終わってしまうよな…と思いながら、彼はまた一件の家にデリバリー品を届けると、次の行き先を記したメモ用紙を懐から取り出した。
「えーと、次は…珍しいな、プロムナードにあるクリスマスツリーの前で受け渡し、か。時間的には何とか間に合いそうだな、それが終わってから夕食か」
ま、適当にそこらで買って済ませるんだろうけどな…
(運ぶのはペアセットにミニケーキ…成る程ね〜)
その中身を考えると…きっとどこかのカップルがその場で品物を受け取り、そのままベンチなどで食べながら愛を語るんだろう。
プロムナードは今頃は当然クリスマス仕様で美しく飾られているし、ぴったりのシチュだ。
(しかも指定で「早まるのは構わないが時間厳守」って…必死だよな)
そう思っていても仕方がない、仕事は仕事だし、この仕事が済めば後半戦に入れる。
早く仕事を済ませたら、会えなくても桜乃に電話ぐらいはかけられると自分を慰めながら、ジャッカルは急いでそのプロムナードへと向かって行った。
「えーと…指定の場所はここでいいんだよな?」
頼まれたセットをビニル袋に下げて、ジャッカルはきょろきょろと辺りを見回しながらプロムナードを歩いていた。
(ま、多分受け取るのは野郎だと思うんだけど…しかし、俺が配達人だって分かるのかね…)
使ってる自転車は少し離れた駐輪場に置いているし、流石にこの人混みの中で一人なのは自分だけではないし…
(かと言って、俺も受取人の顔なんか知らないしな)
「あ、いたいた」
どうしたものかと思っていた彼の背後で、誰かの細い声が聞こえたかと思うと、その肩がとんとんと叩かれる。
「ん?」
「お勤めご苦労様でーす」
振り返った先でにこやかに挨拶をしてきたのは、今自分が一番会いたいと思っていた人物だった。
「さ、桜乃っ!?」
「ふふふっ」
最初から驚かすつもりだったのか、相手が大いに驚いていることを確認して少女は嬉しそうに笑ったが、ジャッカルはまだ混乱から抜け出せていない。
「なっ、何でお前がここに?…って、もしかして買い物か?」
「そうですよー、ちゃんと持ってきてくれました?」
「へ?」
「ペアセットとミニケーキです。あ、その袋の中がそうですか?」
「あ、いや…これは田中さんからの頼まれもので…」
「じゃあ間違いないです、田中の名前で頼んでましたから。有り難うございました」
「…………」
一瞬思考が停止した後で、ジャッカルの脳内で状況がパズルの様に一つ一つ組み立てられてゆく。
つまり…何だって?
田中さんが頼んだと思っていた品物は、実は桜乃が頼んだものだったと。
そして、それを受け取りに俺をここで待っていたと。
頼まれていたのはペアセットとミニケーキ。
小食な彼女が二人分の注文をするということは、やはり連れがいると考えた方が自然だ。
つまり…
「………俺はフラレたってコトか…」
「ええっ!?」
がくっと肩を落としてうなだれる恋人に、今度は桜乃が驚いたが、相手は構わずにどんどんと失望の沼に沈んでいく。
「まぁな…折角のイブにデートも出来ない甲斐性ナシじゃあ、フラレるのも尤もだろうな…田中さんって奴に取られても…」
「ちょ、ちょちょちょっ! 何か知りませんけど誤解してますよう!! 何で私がジャッカルさんをフラないといけないんです!?」
「へ?…だ、だって、お前、ペアセットとかケーキとか頼んで…」
「ジャッカルさんと一緒に食べようと思ってたんです」
「田中さん、て?」
「竜崎じゃバレちゃいますから、ちょっとびっくりさせようかと思って」
「え…」
それって…と言葉を失った若者の前で、桜乃がてれっと照れながら上目遣いに相手を見上げた。
「あのう…これから少しお時間、あるんですよね?」
「あ、ああ…」
「じゃあ、次のお仕事までここで、二人でお食事しませんか? そのう…ケーキも、ありますから…」
「っ!!」
そこでようやく恋人の意図に気づいたジャッカルだったが、すぐには返答を返せなかった。
悲しいかな、これまで幸福というものに慣れていなさすぎたせいで、そういう事態に反応する回路が組み上がっていなかったのだ。
「い、いいのか?」
だから、恋人という立場であるにも関わらず、こんな気弱な返事になってしまう。
「ジャッカルさんじゃなければ、誰ならいいんですか?」
いたずらっぽく尋ね返してくる桜乃に、はた、と我に返ったジャッカルが慌てて挙手。
「い、いや、俺! 俺でいい!ってか俺がいい!!」
「ふふ…」
気を取り直したところで、二人は近くの花壇近くのベンチに陣取り、ささやかなパーティーを開く。
「外でこういうのもドキドキして楽しいですよね」
「そう、だな…」
俺はお前が傍にいるだけでも結構ドキドキしているんだが…とは心の中に留めて、ジャッカルと桜乃は近くの自販機で買ったホットドリンク缶で乾杯。
「メリークリスマ〜ス」
「おう、メリークリスマス」
カツンと硬質な音をたてて、ココアとコーヒーをそれぞれ味わいながら、二人はジャッカルが運んできたばかりのセットに手をつけ始めた。
「わ〜、まだ十分あったかいですねー」
「そりゃな、ウチは迅速宅配も売りだから」
「ジャッカルさんの健脚のお陰ですね」
「いやいや」
すさみ、乾き、ささくれだっていた心が瞬く間に癒されていく。
ほんの三十分…と、早めに着いた分の数分間のささやかな逢瀬だったが、会えないと思っていたこともあり、ジャッカルにとっては十分に心満たされる一時だった。
それでも、並べられていた品々が胃袋の中に収容されていき、持てる自由時間が削られていき、いよいよ別れの時が迫ると切ない気持ちにさせられてしまう。
「もう、お時間なんですか?」
「ん、ああ…元々が立て込んでるスケジュールだからな、幾ら俺でもあまりのんびりもしてられないんだ」
ポケットから手持ちの腕時計を取り出し、時間を確認した若者の様子に、少女は少しだけ寂しさが滲んだ言葉をかけたが、あまり引き留めることも出来ない。
「そうですか……あ、そうでした、お代を…」
「いや、それはいい」
頼んでいたケータリング代を払おうとした少女の手をジャッカルが押し留め、晴れやかに笑う。
「俺が持つから」
「でも、私が勝手にしたことですから」
「いいって…その…恋人に奢るってのは、男の特権みたいなもんだろ、だから、な…」
照れくさそうに続けたジャッカルが、今度はやや疲れた表情で脇に視線をそらせながら続けた。
「…今までは、丸井や赤也にばかり奢らされてたし…アレと比べりゃ可愛いもんだ」
「ご馳走になります…」
深くは聞くまい、と早々と礼を述べて話題を切り上げた桜乃は、駐輪場へ向かおうとするジャッカルを今一度呼び止めた。
「ジャッカルさん!」
「ん?」
「事故とかに気をつけて、頑張って下さいね。私…頑張っているジャッカルさんの姿、大好きです」
そして、伸び上がるとそのまま頑張る若者の唇にちゅっとキス。
「!」
「えへ…い、いってらっしゃいのキスです」
恥ずかしげに笑いながらそういう恋人の可愛らしさに、ぐらっとジャッカルがよろけた。
(ま、まずい…呼吸止まる!)
幾ら自分が四つの肺があるって異名があっても、幸せ攻撃には殆ど免疫がない!
しかも自分の得意なテニスには、そんな有り難い攻撃なんかないし!…あっても困るけど!
「…う、うん…行ってくる」
「はい!」
免疫がつくのはかなり先になりそうだと思いつつも、それもまたいいかと思ってしまう、複雑な心境のジャッカルだった…
了
Shot編へ
サイトトップへ