夏休みの過ごし方
「もーすぐ夏休みだなーっ!」
「俺も今から楽しみッスよ、ま、全国大会も控えてますけど、学校の授業のあるなしは大きいッスからね〜」
その日、高校と中学のテニス部合同練習の時に、中学側の部長である切原を含めた過去のレギュラー陣が、輪になって来る夏休みに向けてそんな雑談を交わしていた。
「ふふ、休みの話題になると途端に元気になるよね、赤也は」
かつて立海大附属中学男子テニス部部長だった幸村精市が、後輩の切原のはしゃぎっぷりをにこやかに見守っている隣では、対称的に渋い表情をした真田弦一郎が腕組みをしている。
「全く情けない…今年は俺達が高校テニス界の頂点に立つだろう記念すべき年、そしてお前達は去年青学に奪われた王者の座を奪還するべき年でもある。そんな浮ついた事でどうする!」
「いやいや、ちゃんとテニスは真面目にやりますって。…テニスは」
「……テニス以外は全くやる気がないということだな」
後輩の言葉の裏に潜む真意をあっさりと見抜いたかつての鬼の副部長はやれやれと腕を組んだまま瞳を閉じたが、代わりに隣に立っていた柳蓮二がノートを抱えたまま切原にさらりと忠告した。
「…お前の人生はお前のものだが、敢えて言わせてもらうと来週の期末試験は真面目に受けることだ。まかり間違って赤点など取ってしまおうものなら、お前の楽しみにしているその夏休み…下手をしたら補習漬けになるぞ」
「むぐっ…ま、まぁそこはまぁ何とかなるでしょ。ねぇ柳生先輩」
振り返って同意を求めてきた後輩に、眼鏡をかけた若者は淡々と余計な感情を含めずに応えた。
「私、常に学年五位以内におりますから底辺の事情はよく分かりません」
「えーえー、すみませんでしたね底辺で」
そりゃ俺はケツから数えた方が早いけどさぁ、そこまで露骨に言わなくてもいいんじゃね?
「ははは、赤也にははっきり言った方がいいからのう。ま、日頃から真面目一辺倒に生きちょる柳生に聞くのがそもそもの間違いじゃな」
ぶーと頬を膨らませて拗ねる相手に、銀髪の仁王がその心を見透かしたような発言をすると、言われた柳生がところで、と仁王へ視線を移した。
「君こそ試験は大丈夫なんですか、仁王君」
「まぁのー、お前さん程じゃあないが上位は取れるじゃろ。幸い、夏休みの宿題は柳生がおるし」
「……………私、見せると言った覚えはありませんが」
「いやいやー、気を遣わせるのも申し訳ないんでな、適当に覗かせてもらうけ」
「現場を見つけたら訴えますからね」
相変わらずの詐欺師と紳士のやり取りを眺めていた、もう一組のダブルスパートナー達がため息をついて互いの顔を見合わせた。
「お前、今年こそ宿題は自力でやれよ」
「バッカだなー、やる訳ねーじゃん。俺は毎年毎年、生涯一度しか来ない夏を精一杯生きる方に人生賭けてんだよい」
「凄い矛盾が含まれてたぞ、今の発言」
「まぁやばくなったら俺も写させてもらうから…ジャッカルの」
「俺かよ!……てかもう慣れたっつーか飽きたなこのパターン」
かと言ってそう簡単に相手が止めてくれたりしないだろうな…と思っているジャッカルの予想は紛れもなく正しい。
「…嘆かわしい」
「ふふ」
再び嘆息する真田に幸村が微笑み、そんな相手に真田が首を傾げた。
「お前は無論、宿題の類はすぐに終わらせるのだろうな」
「まぁね、君や蓮二と同じさ…あ、でも自由課題は後になるかな。珍しい花の種が手に入って、丁度育てているんだ…夏休み終わりまでには咲くだろうから、折角だから記念にそれを描くつもりだよ」
「ほう、お前らしいな」
すぐに取りかからないにしても、相応の理由があってのことか…と、真田が親友の計画に納得していたところで、その傍をととーっと小走りに走る存在が現れた。
「あ、竜崎さん」
「あ、幸村先輩。皆さんもご一緒なんですね、こんにちはー」
テニスボールを入れた籠を持って走っていた少女が、幸村の呼び掛けに足を止め、振り返る。
長いおさげを揺らしつつ、幼い面立ちの少女は屈託のない笑みを惜しげもなく若者達に見せた。
中学二年の竜崎桜乃。
切原赤也と同じく男子テニス部に『所属』しているマネージャーである。
元々は青学の生徒だった彼女は、立海の面々を慕う気持ちが強すぎて、去年の夏休み明け頃に転校してきた。
相手が他の女子だったら彼らにとっても良い迷惑に過ぎなかっただろうが、どっこい、桜乃は男達にとっては既に可愛い妹分だったので文句などあろう筈もなく『転校一つ、頂きました!』状態。
実は、立海大附属中学男子テニス部には、元々マネージャーというものは存在しなかったのだが、彼女の立海への転校を契機に、ほぼ独断状態で幸村が彼女をマネージャーに任命したのである。
いや、独断状態というのは少々異なるかもしれない。
正しくは彼を含むレギュラー全員が諸手を上げて賛同したのだ。
普段は、無自覚でも女子につれない一面があり、伝統を重んじる傾向にある真田も、その案を幸村から聞いた時には『ま、まぁ別に良いのではないか?』という台詞であっさり可決。
寧ろ一番納得出来なかったのは、桜乃よりずっと長く立海に在籍していながら、マネージャー希望していた他の女子達だっただろう。
そんな彼女たちの不満を抑え込んだのも、実は部長である幸村本人だった。
『何か文句でもあるのかい?』
それこそ神の如き慈愛に満ちた笑顔で彼女達を一瞬で黙らせた光景を、他の部員達は顔面蒼白で見守るしかなかったらしい。
兎にも角にも、そんな桜乃と元レギュラー陣の兄妹張りの仲の良さは、先輩達が高校に籍を移した今も続いているのだった。
しかも…
『彼女、変な虫はついてないだろうね赤也』
『大丈夫ッス。ばっちりガードしてるッスよ〜〜』
「???」
桜乃には内緒で、無駄に高スペックな兄貴ガードのおまけつき。
本人が気づいていないのは彼女の鈍感さにも原因の一つはあるのだろうが、それが幸か不幸かは不明である。
「何のお話ですか? 幸村先輩、切原部長?」
「いや、夏休みの話だよ」
「もーすぐ休みになるから楽しみだなーってさ」
嘘は言っていない。
周りの他の部員達は何となく微妙な表情だったが。
「おさげちゃんも夏休みは楽しみだろい? 学生にとってはいっちばんのイベントだし、その間は部活も短時間集中になるから自由な時間は間違いなく増えるしさ」
「お前の事だから、やっぱり宿題も早めに終わらせるクチだろ?」
丸井やジャッカルの台詞に、桜乃は笑みを少しだけ深めながら首を縦に振った。
「はい、宿題は早めに終わらせてますね。お祖母ちゃんの目もあるし、そこは毎年真面目に…でも今年は、あまり夏休みは嬉しくないって言うか…」
最後に、縦に振った首を横に傾げつつ意味深な発言。
「ほう、珍しい意見じゃのう」
「何か部とは別のご用事でも?」
気が進まない家庭での行事でもあるのかと仁王や柳生が興味を示したが、桜乃はそれについてはあっさりと否定した。
「いえ、そういう訳じゃなくて…学校にいる時間が短くなるのが…部活も…」
口を濁す少女に、幸村が自身の予想を述べた。
「もしかして大会のプレッシャーかい? 大丈夫だよ、時間を長くするからいいって問題でもないし、だらだらと無駄に時間を延ばしても却って怪我の可能性が高くなる。プログラムはちゃんと蓮二の監修の元で行われているし、君もマネージャーとして十分よくやってくれてる事も知ってる。あくまでも勝敗は試合をする選手達の問題なんだから」
「その通りだぞ、お前まで気を病む必要はない」
柳のフォローも加わり、彼らの意見には他のメンバーも誰も異論を唱えなかった。
勝負はあくまでも相手と自分との戦いであり、周囲のフォローに責任を求める事自体が間違っているのだ。
それすら分かっていない人間は、勝負の舞台に立つ資格そのものを持っていない、持つべきではない。
そう気を掛けてくれた先輩達に、桜乃はほんの少し照れ臭そうに笑い、頷いた。
「有難うございます、でも、そんなんじゃないんです。大会で皆さんが勝つことは、私、信じていますから…ただ、大会が終わったら、部の方も何日か休みになるじゃないですか」
「ああ…流石に全期間出ずっぱりにしたら、何かと問題だからな」
「それが残念なんです。休みになってしまったら…」
桜乃は頬に手を当てて、ほう…と憂い顔で息をついた。
「皆さんにお会いできなくなるから、寂しくて……あまり、休みたくない…」
『………』
こういう場合、無自覚ほど罪作りなものもない訳で…
「君って本当に良い子だね…」
「心配すんなよい!! 俺ら、これからもおさげちゃん一筋だからさ!!」
「俺、お前がいたからこの過酷な学生生活も生きて来られたと思う、うん」
幸村や丸井、ジャッカルがなでなでなで!と桜乃の頭を撫でくり回している向こうでは、おそらく真っ赤になっているのだろう真田が必死に後ろを向き、手を顔に押し当てていた。
「? あの…」
「まぁ、気にせんでええよ。皆すぐに戻ってくるじゃろ」
「はぁ…」
まだよく分かっていないらしい桜乃に仁王が断り、隣にいた柳生も感動を抑えつつ少女に頷く。
「慕って下さるのは非常に嬉しいですが、折角の夏休みなのですから、竜崎さんもテニス部のマネージャー以外に何かを楽しまれては? 色々普段では出来ない事もあるでしょう」
「何か、ですか…そうですね…そう言えば友達が言ってましたね、夏と言えば恋だって」
『…』
「望みはないですけど、ちょっと休みの間に女子力上げてみようかな…これでも一応女の子だし」
てへ、と頭を掻いて照れ臭そうに笑う桜乃の姿を眺めつつ、仁王はふっと遠い目をして乾いた笑みを浮かべた。
向こうから、ずももも…と、ただ事ではないオーラが立ち上っているのが背中越しでもよく分かる。
(あ〜あ…こりゃもう後半の夏休みの予定も決まったのう…)
そして大会後の夏休み、彼らの生活がどうなったかと言うと…
「うわーんっ!! もういいじゃないスか! 夏休みの宿題は終わったんスから〜、ちょっとぐらい休んだって〜〜」
「たわけ! お前がクラスメートの宿題を写した事はとうにバレとるわ! ぐだぐだ抜かさずとっとと解け!!」
「ジャッカル、辞書貸して」
「ほれ」
真田家の居間にて
朝から立海の元レギュラーと桜乃が集まり、勉強会が開かれていた。
この一日だけではなく、大会が終わりほぼ連日、同じ様な行事が行われているのだった。
「何か分かりませんか? 竜崎さん」
「俺達今は少し手が空いとるけ、見てやれるぜよ?」
「えーと、えーと…」
暫し鉛筆が止まっていた桜乃に柳生達が問い掛け、桜乃がノートを見せて彼らに教えを乞うている間にも、他の先輩たちもまた各々の参考書を開き、勉学に勤しんでいる。
若干、苦痛に悲鳴を上げている若者もいたが、殆どの人間は大人しく自学自習を実践していた。
「……それにしても」
つまずいていた問題が解けて一段落したところで、桜乃が顔を上げて他の皆を見回す。
「夏休みに皆で集まって勉強会だなんて、急に決まった割には皆さん参加されているんですね。学年とか色々違う私までお誘い頂いたのは嬉しいんですけど…」
「まぁ、俺達も高校に上がって最初の夏だしな。大学進学を見据えた上で、ここで周りとの差をつけておくのも一考だ。お前も、先輩である俺達と一緒に勉強したら、分からないところも質問出来るし、メリットは大きい筈だ」
「はい! 折角の機会ですし、これならテニスじゃなくても毎日お会い出来ますもんね」
柳の言葉に嬉しそうに頷く桜乃に、念の為に真田が確認する。
「ご家族の了解は、取ってあるのだろうな?」
「勿論です。皆さんにお任せするのなら心配ないって」
(合ってるんだか間違ってるんだか…)
この会の本当の趣旨が、勉学ではなく妹分の隔離だと知っている切原は、心の中でだけそう呟いた。
桜乃に会える特典もあるし、夏休みの宿題だけやればいいと思って気軽に参加してしまったものの、現実はそうは簡単にはいかなかった様だが、それでも男衆だけでなく女子一人が入っているというだけで気持ちはかなり楽だった。
何しろ先輩達の指導という名の攻撃も、過ぎれば彼女がやんわりと止めてくれるのだから。
(…ま、こういう夏休みもいいもんだ)
そして結局、二学期が始まるまでこの勉強会は続けられ、結果切原や桜乃は休み明けの試験に於いて、目を見張る程に学年順位を上げたという話である。
了
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