不思議な生き物・切原編
その日の切原は学校からの帰り道の間ずっと上機嫌だった。
「へっへー、いよいよ明日だな、新作発売日! ちゃんとこの日の為に予約もしていたし、小遣いも何とかギリギリ間に合ったし…あー、早く明日にならねーかなー」
テニスの腕もさることながら、TVゲームの腕前もなかなかの彼は、無論、普段からそちらの修行も欠かしていない…代わりに学校の授業関係の修行はおろそかになりがちだが。
そんな彼はずっと以前より、アーケードで夢中になっていた新作の格闘ゲームがいよいよ家庭用ゲームに移植される明日を心待ちにしていた。
「パッドでも十分戦えるとは思うけど、やっぱスティックの方が扱いやすいんだよなー、けど、流石に予算が…」
そんな事を考えていた彼が、帰り道に通っている公園をいつもの様に抜けようとした時だった。
『わーい、こいつ何かおもしれー!』
『ひゃー、ボールみたいじゃん!』
「ん…?」
自分より先に公園に来て遊んでいた、幼稚園か小学生低学年の少年達が、いつもより随分とハッスルした様子で騒いでいる。
何だろうと何気なく彼らの様子を通り過ぎながら見遣った切原は、彼らの内の一人が持っていた物体に気づいた瞬間、その場で彫像と化してしまった。
(何だありゃーっ!?)
子供の手の中に…子供がいるっ!
いや、よーく見たら変な白く長い耳と丸い尻尾がついている。
しかし、他は黒い髪…おさげと制服姿の女子の姿だ。
(え…え…? い、生きてんの? それともぬいぐるみ?)
唖然としている彼の前で、子供達はあろうことか、その生き物でキャッチボールまで始めてしまう。
『おーい、いくぞーっ』
『おーっ!』
ぽーんっ!
遠慮も何もなしに投げられたその生き物は、無力なまま宙を舞い、もう片方の少年へと飛ばされていく…が、無事に手の中に納まることはなく、そこで勢いよく弾かれて、切原の足元近くの地面に落下してしまった。
『ぴっ!!』
痛そうに悲鳴を上げたその生き物は、地面の砂と泥で汚れ、ぶるぶると震えながらもゆっくりと姿勢を屈む形に整えた。
『おーい、ボールーこっちに来いよー』
『来たらエサやるぞー!』
自分達がどんなに残酷なことをしているのかまだ自覚もない少年達が、給食のコッペパンらしいものをぶんぶんと振り回してその小動物を呼ぶ。
普通だったらこれだけ痛い目に遭わされたら逃げそうなものなのだが、驚いた事にその動物は、ふらふらとふらつきながらもその子達の方へと向かっていったのだ。
「お、おい…?」
思わず、相手が人型に見えることもあり、切原は声を掛けてしまったが、小さい音量の所為で聞こえなかったのか、向こうがそこまで集中力がなかったのか、振り返ることはなかった。
『よーし、来たな』
『さっさと食えよ、食べたらまたボールになってもらうんだから』
子供達がその動物にパンの欠片を投げやると、彼女はそれに飛びついてはむっと口に咥えて食べ始めた。
苦痛を与えられようとも、飢えを満たす為に、生き抜く為に、彼女はパンを必死に食べ続けていた。
しかし切原は見てしまったのだ。
食べ続けるその少女の姿の小動物が、必死に涙を堪えている事に…そしてその努力も虚しく、涙の粒が零れている事に。
何を思っての涙かは知らない…己の悲運か、子供達の無知なるが故の残酷さに対してか…ただ、それを見てしまった切原は、もう見ているだけでは済まなくなった。
「こら――――――っ!! おめーら動物いじめんのもいい加減にしろーっ!!」
怒声を張り上げ走りながら向かってくる年長者に、向こうの少年達は大いに驚き、その気迫に押されて一斉に逃げだした。
『わーっ! なんだアイツ!?』
『早く行こうぜ!?』
謝罪の言葉もなかったが、最初から期待していなかった切原は彼らが公園を後にした事を確認した後で、改めてあの小動物を振り返った。
もうパンは食べ終わったらしいその生き物は、そこから逃げることもなく、ちょこんと座ったまま、じっと切原を見上げている。
「あ…あーっと…」
自分とこの小動物だけになったところで、彼は急にどもり、ぽりぽりと頬を掻きながら空を見上げた。
やばい…夢中になって助けたはいいけど…これって捨て猫や捨て犬拾うパターンに変わってね?
何となく向こうも、助けた俺に期待の眼差しみたいなもん向けてるし…でもなぁ…
「じゃ、じゃな…気ぃつけろよ、ここ、ガキが多いからさ」
『…』
その場凌ぎの挨拶を済ませて、切原が背を向けてすたすたすた…と歩いて行くと、その後を少女がぴょこぴょこぴょこ…とついて行く。
どうやら、懐かれてしまったのは間違いないらしい。
「…あのなぁ」
良心の呵責に苛まれながらも、切原は溜息をつきながら振り返り、相手に向かって弁解した。
「助けてはやったけど、俺はお前を飼う気はねぇの。飼うってなったら色々と物要りだしさ、ウチの頑固な親だって説得しなきゃいけねーし…大体お前みたいな不思議な生き物、ちゃんと飼う自信ねーよ」
『……』
言葉を喋らない、解しているかも分らないその少女の姿をした生き物は、相手がどうやら『ついてくるな』といった意味の言葉を言ったらしいという事は察したのか、酷く寂しそうな顔をして、しょぼ…と俯いた。
(う…っ!!)
その姿に、切原の心が衝かれる。
何か…可哀想っつーか、可愛いっつーか…滅茶苦茶ほだされそうなんすけど!
戸惑っている間に、小動物はまるで助けてくれた事に感謝する様に、ぺこ、と小さく頭を下げてくるりと方向転換すると、そのままぴょこぴょこ…と離れていってしまった。
しつこく食い下がる事もなく諦められると、却って彼女の行く末が気になってしまったが、切原は振り切るように再度背を向けて家へと戻って行った。
(まぁ…しょうがねぇよな…)
しかし、それでも帰宅後、切原は何度もあの不思議な生き物について思い出しては不安に駆られていた。
(…あいつ、パンだけで足りてたかな…それによく考えたら、怪我とかしてるかもしれない……腹減らしてどっか彷徨ってて…またあんな子供に会ったら…)
もんもんもん…と嫌な想像ばかりが浮かび、夜の自室の中で難しい顔をしていた彼の耳に、さーっという音が外から聞こえてきた。
「…っ! うっそ、雨!?」
確かに帰る時はちょっと曇っている感じだったけど、何でこんなタイミングで!?
「……」
若者は、音から結構強い雨脚である事を知り、公園で見かけたあの子の事を思い出していた。
あんなに空腹そうにしていたんだ、体力だって少ないに決まっている。
何処かの木の下とか、遊具の中で雨を凌いでいるだろうか…それでもかなり冷えるだろう…雨と空腹で、今日という日を乗り切れるのか…
「………」
窓越しに雨を見ていた切原は、それから結局、傘を一つ持って外へと出かけていった。
「チビーッ!! おい、チビ!? いねーの!?」
例の公園に到着して、切原は声を上げながらあの少女を探し回った。
雨は更に激しくなっており、時々雷の音と雷光までもが出ている。
(あーもー、俺、こんなトコで何やってんだよ!)
そうは思いながらも、あの少女の姿を探す事が止められない…去り際の寂しそうな姿が、どうしても気になっていた。
草むらの陰や、遊具の下や、砂場…色々な場所を探し回っていると、雨の音に混じって、別の音が聞こえてきた。
『…ぴぃ』
「っ!? そこか!?」
公園の木の下の草むらから聞こえてくる、あの鳴き声…向かってみると、確かにあの子だった。
出てこられなかったのは、雷の音と光に怯えていた所為か…ずっと小刻みに震えている。
「あーあー…ぐっしょりじゃん、お前」
しょうがないな、という口調だったが、相手が生きていた事を喜びながら、彼はゆっくりと手を伸ばして彼女を抱きあげた。
逃げようともせず素直に身を預けた相手は、最初は切原の姿を信じられないといった様子で見つめていたが、すぐに嬉しそうに笑って、すり、と胸に頬ずりをしてきた。
「……ったく、呑気でいいよなー、お前は…お陰で俺は大変なんだぞこれから。親も説得しなきゃいけねーしさ、色々買うもん出来るから、明日の新作予約も取り消しだろ?…言っとくけど小屋買うなんて贅沢は出来ねーぞ。ウチで一番汚いって言われてる俺の部屋に置くからな」
ぶつぶつと文句を言いながらも、切原はその小動物を大事に抱き抱えて再び家へと歩いて行った。
それから暫くして…
「おあよーございまーす」
「おう、赤也か」
「最近は遅刻しなくなったな。感心なことだ」
テニス部の朝練に集合した切原は、まだ少し眠そうな様子ではあるものの、きっちりと指定の集合時間には部室に姿を現していた。
遅刻常習犯だった若者にとっては、ここ数週間の定刻参加は奇跡に等しいことだったので、周りのレギュラー達も一様に感心している。
「…まだ眠そうだな、相変わらずゲームでもしていたのか?」
参謀である柳の問いに、半分は寝惚けているらしい切原がぶんぶんと首を振った。
「や、ゲームじゃなくて…参ったッスよ、あいつが自分の家に帰りたがらなくて…俺と一緒に寝たいってベッドの中に潜り込んできちゃ甘えてくるんスから…可愛いからいいんスけどね」
『っ!!!!!』
他のレギュラーが硬直してしまった事にも気付かず、まだ片足を夢の国に突っ込んでいるらしい切原が更に問題発言。
「朝は朝で顔に何度もちゅーしてくるし…まぁ俺の起きないといけない時間にぴったり合わせてしてくれるんで、そこらの目覚ましよりかよっぽど寝覚めはいいっすけど…あー、今日は帰ったら何して遊んでやろーかなー…」
『…………』
他レギュラー陣、更に沈黙…副部長の真田に至っては半分失神状態だ。
勿論、切原が言っている相手は、あの日拾った少女の姿の小動物だ。
家に戻って親を拝み倒して、彼女の生来の可愛さにも手伝ってもらう形で、彼は彼女の養育権を勝ち得たのだった。
どうやら人間の姿に見えるのは自分だけであるらしく、家人達は例外なく彼女を白いミニウサギだと言っていた。
必要な物品を買うために、ゲームの新作は見送りになった…が、実はあの日以来、切原はゲームのコントローラーをろくに握っていない。
ゲームより、持ち帰ったあの少女の姿の白ウサギの世話の方が余程楽しく、スリリングだったからだ。
あの子には、今は桜乃という名前がある。
最初は桜の木の下で拾ったのでサクラとつけようとしたのだが、姉から『単純』と笑われ、むきになってつけ直したのだった。
つけ直したと言っても、『桜の子』から桜の→サクラノ→サクノと変換したもので、やはり単純と言えばそうだが、自分も本人(?)も気に入っているので変える気はないらしい。
桜乃は命の恩人であり、文句を言いながらも何かとかまってくれる切原にべったりになり、切原は切原で、小さい身体で精一杯『大好き』アピールをしてくる桜乃にメロメロになってしまった。
呆れた家族から『結婚する時はそれは持っていけよ』という言葉を掛けられた時も、『桜乃がいんのに浮気なんかしねーもん』と平然とのたまい、更に呆れさせたらしい。
そんな切原が寝言レベルの失言から先輩達からあらぬ疑惑をかけられ、ようやくそれが解かれたのは、彼らと桜乃を面通しすることになった翌日の事だった。
了
Shelfトップへ
サイトトップへ