不思議な生き物・丸井編


「あ、おっちゃん久し振り〜」
「よう、勉学励んでるか中学生」
 その日、丸井は学校からの帰り道の途中、行きつけの洋食店のシェフとたまたま道端で鉢合わせていた。
 立海テニス部レギュラーの中でも最も食にこだわりのある若者は、たまにこのシェフから料理についてノウハウを教えてもらうなどしていた。
「スイーツだけじゃなくて普通の料理も結構腕を上げてきたな、前に差し入れてもらった奴、結構良かったぞ」
「へっへー、そお? じゃあ、次の学園祭で本格的に出してみっかな」
 褒められてにひゃっと嬉しそうに笑った丸井に、そのシェフはおお、と思い出したように言った。
「ところでお前、こないだウサギ肉の料理に興味あるって言ってたなぁ」
「え? うん、フツーの肉屋とかじゃなかなか手に入らない食材だしさぁ、やっぱ一度はトライしてみてーじゃん」
 相手の言葉に素直に頷き、どんな味なんだろうとうっとりと思いを馳せている若者に、その恰幅のいいシェフはそうか、と頷いた。
「じゃあ持ってくか?」
「へ?」
「丁度仕入れたのがあったんだが、今ひとつ肉付きが悪くてなぁ、思っていたより痩せてたんだ。商品として使えないもんを持っていても仕方ないし、プロ仕様にこだわるんじゃなければ分けてやるぞ」
「マジ!?」
 その申し出に、この丸井が飛びつかない訳がない。
 貴重な食材をゲット出来るというチャンスに、彼は嬉しそうに何度も首を縦に振った。
「貰う貰う!! うわー、どんな調理法にしよう!」
「そうか…んじゃちょっくら待ってろ、持って来るから」
 店の中へと一度戻っていったシェフの帰りを待ちながら、丸井は焼くか煮込むか炙るかと、あらゆる調理法を思い浮かべては、湧き出す唾液を抑えるのに必死だった。
(肉か〜、肉…そーいやそろそろ赤ワインが切れてたっけなー。んじゃ帰りがけにどっかで買って…うーん、でも肉ってどんぐらい貰えるんだろう)
 そんなコトを考えている間に、シェフが目的の肉を持ってきたらしく、その場に戻ってきた。
「すまんすまん、ちっと手間取っちまった…ほれ、ウサギ肉だ」
「わーい! おっちゃん、ありが…」
 ぽすっ…
「と…?」
 思わず差し出した両手に乗せられた肉は、嫌にふわふわと柔らかく、しかもほかほかと温かかった。
(え? 下ろしたて…?)
 何かそれって生々しいな…と一瞬考えた丸井だったが、真実は更にその上をいっていた。
 目の前の己の手に乗せられたのは、下ろされた肉どころか、今まさに生きている生物だった。
 しかも自分の知る一般的なウサギの姿とは程遠い、『人間』のそれだったのだ。
(え…何この生き物…)
 見つめる瞳は黒くてつぶらでうるうるしてるし、髪も黒くておさげだし、狙っているのか仕様なのか着ているものはセーラー服だし…少なくともウサギと呼ばれし生き物ではない!!
 万歩譲って、白く長い耳と丸い尻尾だけはウサギのものだと認めてやろう!
「えーと、お、おっちゃん…これってさ…」
「ウサギってのは小さいからなぁ、下ろしても少しの量しかないから、大きな料理には向かないぞ」
「い、いや、そうじゃなくてこいつさ…」
「ん? 何だ? 生きてる奴じゃやり辛いか?」
 丸井の当惑の理由を、向こうはどうやら生きたまま渡した所為だと思っているらしい、いや、それも確かにそうなんだが、もっと根本的な何かが激しく間違っているだろう。
 しかしそれに言及する前に、向こうは再びその人型ウサギを持つとくるっと背を向けて再び店に引っ込もうとする。
「しょうがねぇなぁ…じゃ、ちょっくら下ろしてきてやるから待ってろ」
「うわああああああん!!! いい、いいですっ!! 自分でやるから止めて〜〜〜〜〜っ!!」
 勿論自分でも下ろすつもりはなかったが、そうでも言わないと相手を止められない!!
 何とか相手を引き止めて、自分の手にウサギを取り戻すと、丸井はぜーはーと息を乱しながら早々に暇を告げた。
「じゃ、じゃあな、おっちゃん!…肉、ありがと」
「おう」
 何か、妙な事になってきてしまった…
 そうは思ったものの、今更手にしたウサギもどきを手放す事も出来ず、彼は仕方なく家へ彼女を連れて帰ったのであった。


「ブン太兄ちゃん、幾らお腹空いてるからって……」
「かわいそ〜〜」
「ちがわいちがわいっ!!」
 帰宅してから、ウサギを抱えたまま二人の弟に会った丸井は、早速謂われない嫌疑を掛けられてしまった。
 普段からどれだけ食いしん坊かそれだけでもよく分かるが、彼は必死に否定しながら自分の部屋へとウサギの少女を持ち込むと、改めて彼女をまじっと観察してみた。
 向こうはまさか自分が食用で譲られた事実など知る由もなく、若者に無邪気な笑顔を向けている。
 どうやら遊んでくれるのかと期待している様だ…呑気なものだが。
 しかし、やはり自分にはこんな人型の生き物を捌くなんて無慈悲な真似は出来そうにもないし…
「ったくもー、しょーがねーな。少しの間だけウチで世話して、誰か他に欲しい奴に譲るか」
 それがいいな、と結論付けた丸井は、後の行動は非常に敏速だった。
 自分には少女の姿にしか見えないウサギのスナップを取り、大体の大きさなどを項目に上げて、ネット上で飼い主の募集をかけたのである。
(ま、こうしとけばもっとウサギに詳しい奴が貰ってくれんだろい…しっかしその間はこいつの食事は俺持ちかぁ…)
『…』
 ふと気づくと、机の上にほぼ放置状態だったあのウサギがじーっとこちらを訴えるように見つめてきている。
 そこに言葉は存在しなかったが、雰囲気で丸井は相手の希望を読み取った。
「…なに? 腹でも減ったの?」
 当然、向こうは人間の言葉も語ることはなく、唯、期待を示すように丸い尻尾をふりふりと振っている。
 そこまでされたら丸井も鬼ではないので、しょうがないと言いながら席を立った。
「えーと、どっかからダンボール箱持ってくるか…ついでに冷蔵庫に何かあったか見てくるからな、大人しくしてろよい」
 そして彼は丁度空になっていた中型のダンボールを物置から見つけて引きずり出し、その帰りに台所の冷蔵庫からリンゴを見つけ、器用にくし型に切ってから部屋へと持ち込んだ。
 丸井の言葉を理解していたのかどうかは定かではないが、あの子ウサギは言われた通りに暴れることもなく、ちょこんと大人しく座って丸井の帰りを待っていた。
「よ、暫くはオメーの家はここだぞい。いつかは貰われていくんだから、新しいカゴなんかは買えないしな。それと…ほれ、食え」
『!』
 ダンボールを床に置き、丸井が持っていた皿からリンゴをひとかけら取り上げ相手の口元に持っていくと、向こうはとても嬉しそうな顔で、てしっとリンゴに両手をかけ、かぷっとその小さな口で齧り付いた。
「おっ」
 思わずその少女の笑顔に見入ってしまい、手を離すタイミングを逸してしまった丸井は、リンゴを手にしたままじーっとお食事中の相手に注目する。
 しゃくしゃくしゃくしゃく…・っ
 声こそないものの『おいしい、おいしい!』と大喜びで食べてくれているらしい相手に、不覚にも丸井は動悸を覚えてしまっていた。
(うわ…な、なんかコイツ、すげぇイイ笑顔で食べてくれてんだけど…リンゴ剥いただけなのに)
 それから、彼のウサギに対する本格的な餌付けが始まったのである…


 くはああぁぁぁぁ…
「…何だ、今の不気味な音は」
「丸井の溜息じゃよ」
 立海の部室で聞こえた異様な音に副部長の真田が怪訝な顔をして問うと、詐欺師という異名を持つ若者があっさりと答えを返しながら、くい、と背後を親指で指し示した。
 そこには、机の前でぐったりと椅子に座ったまま突っ伏している赤髪の男。
「…何があったんだ」
「さぁ? よく知らんが、最近ウチで飼うことになったウサギをどっかに譲るとか何とか」
「ほう」
 そんな仲間達の声を聞いていた相手は、やがて身をゆっくりと起こして、参謀である柳に声を掛けた。
「なぁ柳ー、おめーのPC、ちょっと貸してくんねい?」
「それは構わんが…何をする気だ?」
「…今日までが期限だったんだよい、アイツの里親募集…何か、一人で部屋にいるとPC開く気になんなくてさ…もうここで確認だけする」
「…随分と、情が移ってしまった様ですね」
「……」
 『紳士』の柳生からの指摘を、丸井は否定しない…その通りだったからだ。
 初日には見えていなかった事も、日が経てば見えてくることもある。
 あの子が、良く見たら凄く可愛かったこととか、無邪気に遊ぶ様を見ると心から癒されることとか、懐いてくれていることが物凄く嬉しいこととか…
 何で、あの日、自分は募集なんかかけてしまったんだろう。
 もう少しだけ待っていたら、きっとそんな物、絶対に出さなかったのに。
「なかったコトにしたらどうッスか?」
 後輩の切原が極論をかましたが、ジャッカルは待て待てと待ったをかけた。
「それもアリと言えばアリかもしれないが、向こうもそのウサギを可愛がってやろうと思って募集するもんだろう。丸井はウサギをこれまで飼った経験はないし、そう考えると慣れた誰かに渡した方がウサギにとっても幸せかもしれないぞ。尤も、丸井の方がそのウサギを大切に出来る自信があれば話は別だが…」
「そりゃそうかも知れないッスけど…」
 後ろの男達の声を聞きながら、丸井は覚悟を決めて、返信の一覧を呼び出した。
 こうなったら、一番大事にしてもらえて、何不自由なく過ごせるような処を選んで送り出してやろう…
 手放すのは寂しいし悲しいけど、希望してくれた相手の気持ちを無碍にする訳にもいかないもんな。
「…よっしゃ、確認…っと」
 そして開かれたメール一覧…
『少々痩せ気味ですが、是非当店の食材に…』
『本格フランス料理店のシェフですが…』
『飼ったことないけど可愛いから下さい…』
『絶対大きくならないなら貰っても…』
 どう見ても、安心して渡せる様な対象だとは思えない輩ばかり…
「………論外だね」
 背後から覗き込んでいた部長の幸村が、『あ〜あ』といった様子で呟いた。
 誰もが同じ感想を抱いた中、きっと一番あのウサギを気に掛けていた丸井は当然…

「おめーらみてーな奴らにウチの子を渡せるかバッキャロ〜〜〜〜〜ッ!!!!」

 どがっしゃーんっ!!と机をちゃぶ台よろしく引っ繰り返す勢いでキレていた。
「…予想通り」
 最初からこうなるだろうと見越していたらしい柳は、机が引っ繰り返された時に自分のPCが飛んでくる場所を見越していたらしく、淡々と宙を飛んでいたそれを受け止める。
 唖然とするメンバー達の視界の中で、丸井はかんかんに怒りながら結論を下した。
「あーもー馬鹿馬鹿しいっ! やめだやめ! 最初から悩む必要もなかったってのい、やっぱアイツは俺の傍にいるのが一番幸せなんだー!!」
「いや…別にそういう訳でもないと…」
 相手に何か言おうとしたジャッカルだったが、幸村が肩に手を置いて首を横に振りながら止めた。
「やめておいた方がいいよ。聞いてないし聞く気もないだろうから…」
 これまでの葛藤の分、相手の執着は凄い事になるんじゃないかな…


「たでーまー!! ほれ、土産だぞ!」
『?』
 その日、丸井の部屋の片隅に置かれていたダンボールの中で彼の帰宅を待っていたウサギは、相手が大きな荷物を持ってきたのを見て、耳をぴくぴくと動かした。
「えーと、ケージだろ? 水入れに、餌入れ、その他雑貨諸々…でもって最高品質の牧草! 今日は大切な記念日だからさ、美味いもん沢山奮発してやるからな!」
 今日、この部屋を出る時にはあまり元気がなかった若者だったが、今は物凄いテンションで、嬉しそうにウサギの少女を抱き上げている。
「へへ、あ、そうだ、じゃあ名前も俺が決めていいってコトだよな…んー、食い物の名前じゃあんまりか? 髪とか目とかは黒いけどちょっと暗い感じだし、シロってのは犬みてーだし…」
 そして、彼は相手の健康そうな柔らかな色合いの頬と、耳に注目した。
「じゃあ…綺麗な桜みたいな色だから…どうせなら一杯咲かせたいから桜の野…サクラ、ノ…サクラノ…サクノ、でどお? サクノ」
 呼びかけた若者に、そのウサギは抱き上げられたままにこ、と嬉しそうに笑った。
 弟達にもたまに見せたりしているけど、彼女がこんな笑顔を見せてくれるのは自分にだけだ。
「どお、気に入った? サクノ」

 これからはもっともっと大事にしてやるからな…俺のサクノになったんだからさ。





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